今月15日に「どんど焼き」が無事終わった事により、元日から始まった一連のお正月行事の全てが終わり、漸く、神社としても平時の態勢に戻りました。
やはり年末年始は、雰囲気や気持ちの持ち様だけでなく、実際に勤務態勢(奉仕時間、奉仕場所、一緒に奉仕する人達など)がいつもとは異なり、初詣シーズンのため参拝者数も格段に多くなるため、神社にとっては明らかに平時とは異なる特別な期間となります。その特別な期間が恙無く終了した事により、私自身も気持ち的に一段落し、今は少しホッとしている状況です。
さて、本年(令和4年)の十二支は、皆様も御存知の通り「寅」(トラ)です。
動物の虎は、小さなお子さんにとっては、優しくて勇気もある「しまじろう」や、その妹の「はなちゃん」のイメージが強いかもしれませんが(笑)、一般には、荒々しく雄々しくて勇ましい、どう猛な肉食動物、というイメージを抱かれています。
古代や中世に於いては、そのどう猛で力強いイメージから、虎は畏怖の対象であると同時に、特別な神通力を持った動物、流行の病をも喰い尽くす動物、と認識されていたようで、そのため、医療が未発達な時代には、病に効くとされた薬の原材料に虎の骨が使われたり、当時の漢方薬の薬名にも「虎」の漢字が使われたり、神社仏閣で頒布する疫病退散等のお札にも虎の絵が描かれるなどしたそうです。
一昨年から始まった「コロナ禍」と称される国難は、残念な事に依然として現在も続いておりますが、今年こそは、虎が疫病を悉く喰らい尽くしてそれら全てを退散・鎮静化させるかの如く、コロナが完全に終息します事を、そして、これは私自身への戒めでもあるのですが、このブログを読んで下さる皆様方に於かれましても、虎のように、柔軟な足をしっかりと大地に踏みしめ、その上での自分の定めた道を真っすぐ進む事が出来る年となります事を、祈念致します。
疫病対策(感染症拡大防止)の観点から、昨年と一昨年は、西野神社も含め全国各地で相次いで神輿渡御が中止となりましたが、本年は神輿渡御を復活出来るのか、現時点ではまだその予想は難しい状況ですが、今年こそはどの神社に於いても平年通りに(コロナ禍以前のように)神輿渡御が行えますようにという事も、併せて強く祈念致します。
以下の動画はいずれも、西野神社の過去の神輿渡御の様子です。西野神社ではもう2年も神輿渡御を行なっていないので、今年の秋まつりでは、是非、こういった楽しくも賑々しい光景をまた見てみたいです!
新春を迎え、皆々様の御清祥を謹んでお祈り申し上げます
令和三年の年頭に当り、謹みて、全国の神社の本宗である伊勢の神宮の御祭神や、西野神社の御祭神をはじめとする天津神国津神の、日々の広大な御神恩に深く感謝申し上げると共に、皇室の彌栄と我が国の隆昌、そして、このブログを読んで下さる皆様方及び神輿渡御関係者の皆様方の御健勝を、心より御祈念申し上げます。
昨年は、日本書紀 撰進千三百年の記念すべき年であり、また、令和の御代替りに纏わる最後の儀式として立皇嗣の礼が執り行われるなどの慶事があった年でもありましたが、それ以上に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)という疫病の爆発的蔓延により世界が激しく翻弄された年として人々の記憶に残る年となってしまい、しかもその疫病の猛威は未だ収束の兆しが見えておりません。
昨年夏に華々しく開催される予定であった東京オリンピック・パラリンピック大会も開催が延期され、その他 国内外の多くの行事が中止もしくは延期となり、全国各地の神社に於ける祭礼や神輿渡御も、昨年は疫病対策のため中止や大幅な規模縮小などが相次ぎました。
大正時代にはスペイン風邪という新型インフルエンザウイルスが世界中で大流行し、我が国でも多くの人々がその犠牲となり、また、日本書紀によると崇神天皇の御代(三世紀後半頃)にも我が国では疫病が大流行し、当時の日本人の半数以上がその犠牲となる程の猛威で、大物主神様を丁重にお祀りする事で漸く鎮まった、とされています。近世以前は、疫病流行を理由とした改元も幾度も行なわれており、日本人の疫病に対する畏怖の意識が窺えます。
現代の疫病であるこの新型コロナウイルス感染症が、一刻も早く収束し平穏な世となる事を改めて祈念申し上げ、そのためにも本年は一層祭祀の厳修に努め、祭祀を通して国の安寧と疫病鎮静を日々真摯に只管祈る、という神職としての第一義への思いを新たにすると共に、皆様方には本年も引き続き神社に対する変わらぬ御崇敬の程をお願い申し上げ、簡単ではありますが新年の御挨拶とさせて頂きます。
令和三年辛丑歳 皇紀二千六百八十一年
西野神社創祀百三十六年
元旦
令和三年の年頭に当り、謹みて、全国の神社の本宗である伊勢の神宮の御祭神や、西野神社の御祭神をはじめとする天津神国津神の、日々の広大な御神恩に深く感謝申し上げると共に、皇室の彌栄と我が国の隆昌、そして、このブログを読んで下さる皆様方及び神輿渡御関係者の皆様方の御健勝を、心より御祈念申し上げます。
昨年は、日本書紀 撰進千三百年の記念すべき年であり、また、令和の御代替りに纏わる最後の儀式として立皇嗣の礼が執り行われるなどの慶事があった年でもありましたが、それ以上に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)という疫病の爆発的蔓延により世界が激しく翻弄された年として人々の記憶に残る年となってしまい、しかもその疫病の猛威は未だ収束の兆しが見えておりません。
昨年夏に華々しく開催される予定であった東京オリンピック・パラリンピック大会も開催が延期され、その他 国内外の多くの行事が中止もしくは延期となり、全国各地の神社に於ける祭礼や神輿渡御も、昨年は疫病対策のため中止や大幅な規模縮小などが相次ぎました。
大正時代にはスペイン風邪という新型インフルエンザウイルスが世界中で大流行し、我が国でも多くの人々がその犠牲となり、また、日本書紀によると崇神天皇の御代(三世紀後半頃)にも我が国では疫病が大流行し、当時の日本人の半数以上がその犠牲となる程の猛威で、大物主神様を丁重にお祀りする事で漸く鎮まった、とされています。近世以前は、疫病流行を理由とした改元も幾度も行なわれており、日本人の疫病に対する畏怖の意識が窺えます。
現代の疫病であるこの新型コロナウイルス感染症が、一刻も早く収束し平穏な世となる事を改めて祈念申し上げ、そのためにも本年は一層祭祀の厳修に努め、祭祀を通して国の安寧と疫病鎮静を日々真摯に只管祈る、という神職としての第一義への思いを新たにすると共に、皆様方には本年も引き続き神社に対する変わらぬ御崇敬の程をお願い申し上げ、簡単ではありますが新年の御挨拶とさせて頂きます。
令和三年辛丑歳 皇紀二千六百八十一年
西野神社創祀百三十六年
元旦
新春を迎え、皆々様の御清祥を謹んでお祈り申し上げます
昨年、天皇陛下におかれましては、御在位三十年と、大御代三十回目となる天長節(満八十五歳の御誕辰)をお迎えになられ、また昨年は、近代日本の原点ともいえる明治維新(明治元年)からは丁度百五十年の年でもあり、更に、昨年は北海道の開道(太政官布告による、蝦夷地から北海道への改称)からも丁度百五十年という年であり、誠にお目出度く、御同慶の至りに存じ上げます。
昨年斎行された西野神社例祭の神輿渡御では、これらの慶事を記念して、当社の担ぎ御神輿には「奉祝 御在位三十年」「北海道百五十年」等と記された幟を垂れさせ、西野神社神力會の会員さん達や他会から応援に駆けつけて下さった多くの方々と共に、奉祝の真心を籠めて神輿渡御の御奉仕をさせて頂きました。
昨年も当社の神輿渡御は、皆様方の御協力・御助勢により、盛大・勇壮に、恙無く執り終える事が出来ました事を、この場にて改めて心より感謝申し上げます。
ただ、その一方で昨年は、大阪府北部地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震など、日本各地で自然災害が多発し甚大な被害が発生した一年ともなりました。
昨年九月に本道で発生した北海道胆振東部地震では、震源地の胆振中東部などでは非常に大きな被害が発生し、震源地からは離れているここ札幌でも、東区・清田区などの一部の地域で実際に建物や道路が損壊するなどの被害が生じ、また、当社氏子区域(西区西野界隈)に於いては、人的被害や直接的な物損の被害は確認されなかったものの地震発生の影響により一斉停電、所謂ブラックアウトが、長時間に亘って続き、当社氏子の皆様方の生活にも多大な影響を及ぼしました。
これら各地の災害で亡くなられた方々に、改めて衷心より哀悼の誠を捧げますと共に、未だ苦しみや悲しみの中にある被災者・御遺族の方々に一日も早く平穏な日々が訪れます事を、心より祈念申し上げます。
一神職として、苦しむ人々に思いを寄せ、苦境にある人達に寄り添い、希望を持って歩み続ける事を常に忘れずに、本年も西野神社で神明奉仕に励み、併せて、各地で神輿渡御の御奉仕もさせて頂こうと思っております。
本年も何卒御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
平成三十一己亥年
西野神社創祀百三十四年
元旦
昨年、天皇陛下におかれましては、御在位三十年と、大御代三十回目となる天長節(満八十五歳の御誕辰)をお迎えになられ、また昨年は、近代日本の原点ともいえる明治維新(明治元年)からは丁度百五十年の年でもあり、更に、昨年は北海道の開道(太政官布告による、蝦夷地から北海道への改称)からも丁度百五十年という年であり、誠にお目出度く、御同慶の至りに存じ上げます。
昨年斎行された西野神社例祭の神輿渡御では、これらの慶事を記念して、当社の担ぎ御神輿には「奉祝 御在位三十年」「北海道百五十年」等と記された幟を垂れさせ、西野神社神力會の会員さん達や他会から応援に駆けつけて下さった多くの方々と共に、奉祝の真心を籠めて神輿渡御の御奉仕をさせて頂きました。
昨年も当社の神輿渡御は、皆様方の御協力・御助勢により、盛大・勇壮に、恙無く執り終える事が出来ました事を、この場にて改めて心より感謝申し上げます。
ただ、その一方で昨年は、大阪府北部地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震など、日本各地で自然災害が多発し甚大な被害が発生した一年ともなりました。
昨年九月に本道で発生した北海道胆振東部地震では、震源地の胆振中東部などでは非常に大きな被害が発生し、震源地からは離れているここ札幌でも、東区・清田区などの一部の地域で実際に建物や道路が損壊するなどの被害が生じ、また、当社氏子区域(西区西野界隈)に於いては、人的被害や直接的な物損の被害は確認されなかったものの地震発生の影響により一斉停電、所謂ブラックアウトが、長時間に亘って続き、当社氏子の皆様方の生活にも多大な影響を及ぼしました。
これら各地の災害で亡くなられた方々に、改めて衷心より哀悼の誠を捧げますと共に、未だ苦しみや悲しみの中にある被災者・御遺族の方々に一日も早く平穏な日々が訪れます事を、心より祈念申し上げます。
一神職として、苦しむ人々に思いを寄せ、苦境にある人達に寄り添い、希望を持って歩み続ける事を常に忘れずに、本年も西野神社で神明奉仕に励み、併せて、各地で神輿渡御の御奉仕もさせて頂こうと思っております。
本年も何卒御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
平成三十一己亥年
西野神社創祀百三十四年
元旦
新春を迎え、皆々様の御清祥を謹んでお祈り申し上げます
昨年は、天皇・皇后両陛下におかれましては第六十二回神宮式年遷宮の遷御の儀が行われてより初めて、全国の神社が本宗と仰ぐ伊勢の神宮に御参拝遊ばされ、そして、皇后陛下におれましては傘寿のお祝いを迎えられました。誠にお目出度く、御同慶の至りに存じ上げます。
また、昨年斎行された西野神社例祭の神輿渡御は、西野神社神力會の会員さん達や、他会から応援に駆けつけて下さった多くの方々の御協力・御助勢により、盛大・勇壮に、恙無く執り終える事が出来ました。改めて、心より感謝申し上げます。
その一方で、昨年は広島の水害、御嶽山の噴火など、日本各地で自然災害が多発し、非常に甚大な被害が発生しました。
東日本大震災の発生からは早四年が経とうとしておりますが、被災地の、本当の意味での復興に至るまでの道程も、依然として厳しい状況が続いております。
震災や各地の災害で亡くなられた方々に、改めて衷心より哀悼の誠を捧げますと共に、未だ苦しみや悲しみの中にある被災者・御遺族の方々に一日も早く平穏な日々が訪れます事を、心より祈念申し上げます。
一神職として、苦しむ人々に思いを寄せ、苦境にある人達に寄り添い、希望を持って歩み続ける事を常に忘れずに、本年も西野神社で神明奉仕に励み、併せて、各地で神輿渡御の御奉仕もさせて頂こうと思っております。
本年も何卒御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
平成二十七乙未年
西野神社創祀百三十年
元旦
昨年は、天皇・皇后両陛下におかれましては第六十二回神宮式年遷宮の遷御の儀が行われてより初めて、全国の神社が本宗と仰ぐ伊勢の神宮に御参拝遊ばされ、そして、皇后陛下におれましては傘寿のお祝いを迎えられました。誠にお目出度く、御同慶の至りに存じ上げます。
また、昨年斎行された西野神社例祭の神輿渡御は、西野神社神力會の会員さん達や、他会から応援に駆けつけて下さった多くの方々の御協力・御助勢により、盛大・勇壮に、恙無く執り終える事が出来ました。改めて、心より感謝申し上げます。
その一方で、昨年は広島の水害、御嶽山の噴火など、日本各地で自然災害が多発し、非常に甚大な被害が発生しました。
東日本大震災の発生からは早四年が経とうとしておりますが、被災地の、本当の意味での復興に至るまでの道程も、依然として厳しい状況が続いております。
震災や各地の災害で亡くなられた方々に、改めて衷心より哀悼の誠を捧げますと共に、未だ苦しみや悲しみの中にある被災者・御遺族の方々に一日も早く平穏な日々が訪れます事を、心より祈念申し上げます。
一神職として、苦しむ人々に思いを寄せ、苦境にある人達に寄り添い、希望を持って歩み続ける事を常に忘れずに、本年も西野神社で神明奉仕に励み、併せて、各地で神輿渡御の御奉仕もさせて頂こうと思っております。
本年も何卒御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
平成二十七乙未年
西野神社創祀百三十年
元旦
札幌市内やその近郊(旧石狩支庁管内)に鎮座する各神社に奉職している45歳以下の若手神主達により構成されている青年会「北海道神社庁札幌支部青年神職文月会」の研修会が、先週(8月8日)、札幌の隣町・江別市に鎮座する江別神社の社務所で開催されました。
青年神職文月会の8月例会「教養研修会」として午後5時から8時まで3時間に亘って開催された今回の研修会の内容は、江別神社の内田宮司さんによる氏子教化活動についての講演と、江別神社神輿会「江神會」の白旗会長さんによる御神輿や神輿渡御等についての講演、そして、受講生達による神輿担ぎ体験の3本立てで、神輿担ぎ体験では、私達受講生達は社務所から外に出て、江神會の会員さん達と一緒に御神輿を担ぐ練習を行いました。


まず、正式参拝と開講式が行われ、開講式の後は第1講として、内田宮司さんが講演をして下さいました。
内田宮司さんは、平成6年に江別神社の宮司に就任して以来、現在に至るまで20年間に亘って同神社の宮司を務め、その間、青年神職文月会の会長や、北海道神社庁一区札幌支部の教化委員長なども歴任されて斯界の発展に寄与され、更に、地元では自治会長を7期14年に亘って務めるなど、地域にも多大な貢献をされており、その豊富な経験や知識、実績から、神社や神職が果たすべき役割、日本全体の教化、世情の分析、氏子組織の立ち上げ、氏子組織の運営、祭の護持についてなど、大変貴重な内容の講演をして下さいました。


内田宮司さんは、祭の護持に関連して、「政教分離と祭」についても実例を用いて解説をして下さいましたが、それは私にとって特に興味深い内容でした。
なお、政教分離については、私も西野神社のブログ(以下の各記事)で過去に何度か取り上げた事があるので、興味のある方はそちらも是非御一読下さい。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20060815
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20080217
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20081107
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20140312
内田宮司さんによる講演の後は、第2講として、江神會の白旗会長さんによる講演が行われました。
白旗会長さんも、江別市消防団の副団長、江別西ロータリークラブの会長をはじめ地元では多くの役職を歴任されている方で、その活動や実績から、主に、江別神社の御神輿、市川市行徳時町について、神輿は日本の伝統文化を集積したもの、江神會について、神輿渡御について、今後の課題(世代交代、周年事業、他会との交流)などについて、大変貴重な内容の講演をして下さいました。


内田宮司さんの講演も、白旗会長さんの講演も、とても興味深い内容で、私にとっては大いに勉強になりました。
そして講演の後は、社務所前にて、江神會による江別神社の御神輿を担ぐ練習を見学させて頂き、その後、私達受講生もその練習(今回は練習のため、神輿本体は無く、担ぎ棒だけでしたが)に参加させて頂き、実際に御神輿を担ぐ作法等を体験しました。


今回の受講生のうち、私や当社の越川権禰宜、豊平神社の三橋禰宜、当別神社の後藤禰宜など一部の神職は、自社の神輿会の半纏を着て御神輿を担ぐ経験を有しているものの、大半の受講生は、今まで一度も御神輿を肩に担いだ事が無かったため(神職は御神輿を担ぐべきではないという立場を採るお宮や神職にとっては、むしろそれが当然という事になりますが)、そういった受講生にとっては、今回の神輿担ぎ体験は、特に新鮮な経験になったようでした。









そして、研修会の終了後は、社務所にて懇親会が開催されました。
和気藹々とした雰囲気の中、青年神職文月会、江神會、今回の研修会に数名が参加して下さった豊平神社の神輿会「豊神會」の各会員達で、楽しくいろいろと語り合ってまいりました。






研修会の会場を提供して下さり第1講の講師も務めて下さった江別神社の内田宮司さん、第2講の講師を務めて下さり更に私達受講生に御神輿の担ぎ方も指導して下さった白幡会長さん、御多忙にも拘らず今回の研修会に合わせて各地から集結して下さった江神會や豊神會の会員さん達、そして、今回の研修会を開催して下さった文月会の役員さん達をはじめ関係者の皆さん方、どうもありがとうございました!
青年神職文月会の8月例会「教養研修会」として午後5時から8時まで3時間に亘って開催された今回の研修会の内容は、江別神社の内田宮司さんによる氏子教化活動についての講演と、江別神社神輿会「江神會」の白旗会長さんによる御神輿や神輿渡御等についての講演、そして、受講生達による神輿担ぎ体験の3本立てで、神輿担ぎ体験では、私達受講生達は社務所から外に出て、江神會の会員さん達と一緒に御神輿を担ぐ練習を行いました。


まず、正式参拝と開講式が行われ、開講式の後は第1講として、内田宮司さんが講演をして下さいました。
内田宮司さんは、平成6年に江別神社の宮司に就任して以来、現在に至るまで20年間に亘って同神社の宮司を務め、その間、青年神職文月会の会長や、北海道神社庁一区札幌支部の教化委員長なども歴任されて斯界の発展に寄与され、更に、地元では自治会長を7期14年に亘って務めるなど、地域にも多大な貢献をされており、その豊富な経験や知識、実績から、神社や神職が果たすべき役割、日本全体の教化、世情の分析、氏子組織の立ち上げ、氏子組織の運営、祭の護持についてなど、大変貴重な内容の講演をして下さいました。


内田宮司さんは、祭の護持に関連して、「政教分離と祭」についても実例を用いて解説をして下さいましたが、それは私にとって特に興味深い内容でした。
なお、政教分離については、私も西野神社のブログ(以下の各記事)で過去に何度か取り上げた事があるので、興味のある方はそちらも是非御一読下さい。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20060815
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20080217
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20081107
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20140312
内田宮司さんによる講演の後は、第2講として、江神會の白旗会長さんによる講演が行われました。
白旗会長さんも、江別市消防団の副団長、江別西ロータリークラブの会長をはじめ地元では多くの役職を歴任されている方で、その活動や実績から、主に、江別神社の御神輿、市川市行徳時町について、神輿は日本の伝統文化を集積したもの、江神會について、神輿渡御について、今後の課題(世代交代、周年事業、他会との交流)などについて、大変貴重な内容の講演をして下さいました。


内田宮司さんの講演も、白旗会長さんの講演も、とても興味深い内容で、私にとっては大いに勉強になりました。
そして講演の後は、社務所前にて、江神會による江別神社の御神輿を担ぐ練習を見学させて頂き、その後、私達受講生もその練習(今回は練習のため、神輿本体は無く、担ぎ棒だけでしたが)に参加させて頂き、実際に御神輿を担ぐ作法等を体験しました。


今回の受講生のうち、私や当社の越川権禰宜、豊平神社の三橋禰宜、当別神社の後藤禰宜など一部の神職は、自社の神輿会の半纏を着て御神輿を担ぐ経験を有しているものの、大半の受講生は、今まで一度も御神輿を肩に担いだ事が無かったため(神職は御神輿を担ぐべきではないという立場を採るお宮や神職にとっては、むしろそれが当然という事になりますが)、そういった受講生にとっては、今回の神輿担ぎ体験は、特に新鮮な経験になったようでした。









そして、研修会の終了後は、社務所にて懇親会が開催されました。
和気藹々とした雰囲気の中、青年神職文月会、江神會、今回の研修会に数名が参加して下さった豊平神社の神輿会「豊神會」の各会員達で、楽しくいろいろと語り合ってまいりました。






研修会の会場を提供して下さり第1講の講師も務めて下さった江別神社の内田宮司さん、第2講の講師を務めて下さり更に私達受講生に御神輿の担ぎ方も指導して下さった白幡会長さん、御多忙にも拘らず今回の研修会に合わせて各地から集結して下さった江神會や豊神會の会員さん達、そして、今回の研修会を開催して下さった文月会の役員さん達をはじめ関係者の皆さん方、どうもありがとうございました!
本年の神輿シーズンを迎えるに先立って、凡そ3年半ぶりに、このブログをリニューアルしました。
今まで単に「西野神社神職のみこしブログ」だった“あまりにもそのまま(笑)”なブログタイトルを、ちょっとだけ改題して「神幸記 ~西野神社神職のみこしブログ~」とし、ブログのベースカラーも、薄い赤色系から、和紙のような上品な黄土色系へと変えました。
ブログタイトルの右横には、富士山と太陽と鶴というお目出度い絵柄を配置し、表紙の写真も、新しいものに変えました。
また、今後投稿する記事の内容についても、今年からは昨年以前とは少し変更します。
昨年まで、他所の神社や他会の御神輿を担ぎに行った際は、神社の公式ブログ「西野神社 社務日誌」とこのブログの両方で、その神輿渡御について紹介しており、具体的には、神社のブログにはその渡御の概要と動画と数枚程度の写真をアップし、このブログには詳細な内容紹介と沢山の写真(但し画像サイズは小さい)をアップする、という形で両ブログに載せる内容に意図的に差を付けていました。
例えば、こんな感じです。
▼ 江別神社の神輿渡御についてアップしたこのブログの記事
http://blog.goo.ne.jp/nishino-mikoshi/e/0c7095733275ca4645be07c0713eb173
▼ 江別神社の神輿渡御についてアップした神社のブログの記事
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20130911
しかし今後は、西野神社の公式ブログにはあくまでも西野神社と直接関わりのある内容をアップしていくという方針から、他所の神社や他会の神輿渡御についての記事は、神社のブログにアップするのはやめ、原則としてこのブログにのみアップするようにします。
それに伴い、今まではサムネイル並みにかなり小さく載せていた各写真を、今後このブログではもっと大きく見やすく掲載するようにし、また、今までこのブログには一度もアップした事の無かった動画についても、今後は随時アップするようにしていきます。
今後も宜しくお願い致します!
今まで単に「西野神社神職のみこしブログ」だった“あまりにもそのまま(笑)”なブログタイトルを、ちょっとだけ改題して「神幸記 ~西野神社神職のみこしブログ~」とし、ブログのベースカラーも、薄い赤色系から、和紙のような上品な黄土色系へと変えました。
ブログタイトルの右横には、富士山と太陽と鶴というお目出度い絵柄を配置し、表紙の写真も、新しいものに変えました。
また、今後投稿する記事の内容についても、今年からは昨年以前とは少し変更します。
昨年まで、他所の神社や他会の御神輿を担ぎに行った際は、神社の公式ブログ「西野神社 社務日誌」とこのブログの両方で、その神輿渡御について紹介しており、具体的には、神社のブログにはその渡御の概要と動画と数枚程度の写真をアップし、このブログには詳細な内容紹介と沢山の写真(但し画像サイズは小さい)をアップする、という形で両ブログに載せる内容に意図的に差を付けていました。
例えば、こんな感じです。
▼ 江別神社の神輿渡御についてアップしたこのブログの記事
http://blog.goo.ne.jp/nishino-mikoshi/e/0c7095733275ca4645be07c0713eb173
▼ 江別神社の神輿渡御についてアップした神社のブログの記事
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20130911
しかし今後は、西野神社の公式ブログにはあくまでも西野神社と直接関わりのある内容をアップしていくという方針から、他所の神社や他会の神輿渡御についての記事は、神社のブログにアップするのはやめ、原則としてこのブログにのみアップするようにします。
それに伴い、今まではサムネイル並みにかなり小さく載せていた各写真を、今後このブログではもっと大きく見やすく掲載するようにし、また、今までこのブログには一度もアップした事の無かった動画についても、今後は随時アップするようにしていきます。
今後も宜しくお願い致します!
昨日は、新十津川町にある某ホテルで、北海道神職神輿連絡会の今年度の定例総会及び懇親会が開催され、当社からは、同会の事務局である宮司(但し今回の総会で事務局は交代となりました)と、会員ではないものの私と越川権禰宜の2人、計3人が出席させて頂きました。私にとっては、昨年の芦別以来、2度目の参加となります。
午後4時から始まった今回の総会で同会の役員が改選され、会長は、新川皇大神社の宮司さんから端野神社の宮司さんへと交代する事になりました。
そして総会の後、休憩を挟んで午後6時から懇親会が開催され、道内各地から集まった会員神職及び会員の家族の皆さん方で、美味しい夕食を食べながらじっくりと語り合ってきました。
私は、隣の席に座っておられた新十津川神社の山形宮司さんから、いろいろと為になる、貴重なお話しを拝聴させて戴きました。


懇親会は約2時半で終了し、その後は、ホテルの地下にあるカラオケルームに移動して、午後8時20分頃からそこで二次会が開催されました。
私達はそこでも2時間程、歌ったり語り合うなどして楽しんできました。

翌朝は、私達3人は社務の都合により、朝食後すぐにチェックアウトをし、お先に失礼させて頂きましたが、他の会員さん達は、新十津川神社に正式参拝に行かれたそうです。
参加された皆様、大変お疲れ様でした!
また、今回いろいろと御配慮をして下さった新十津川神社の山形宮司様、どうもありがとうございました!
午後4時から始まった今回の総会で同会の役員が改選され、会長は、新川皇大神社の宮司さんから端野神社の宮司さんへと交代する事になりました。
そして総会の後、休憩を挟んで午後6時から懇親会が開催され、道内各地から集まった会員神職及び会員の家族の皆さん方で、美味しい夕食を食べながらじっくりと語り合ってきました。
私は、隣の席に座っておられた新十津川神社の山形宮司さんから、いろいろと為になる、貴重なお話しを拝聴させて戴きました。



懇親会は約2時半で終了し、その後は、ホテルの地下にあるカラオケルームに移動して、午後8時20分頃からそこで二次会が開催されました。
私達はそこでも2時間程、歌ったり語り合うなどして楽しんできました。


翌朝は、私達3人は社務の都合により、朝食後すぐにチェックアウトをし、お先に失礼させて頂きましたが、他の会員さん達は、新十津川神社に正式参拝に行かれたそうです。
参加された皆様、大変お疲れ様でした!
また、今回いろいろと御配慮をして下さった新十津川神社の山形宮司様、どうもありがとうございました!
昨日は、北海道神社庁の庁舎で、午後1時から「北海道神社庁ホームページ委員会」の会議が開催され、私も同委員の一人として出席してきました。
会議が終了した後は、産地直送の「はかた地どり」で有名な、すすきのにある居酒屋「鳥君」で委員会の懇親会が開かれ、私は会議に続いてこの懇親会にも出席してきました。
下の写真は、その「鳥君」の店内に並んで展示されていた、すすきの神輿会「北祭會」の夫婦神輿です。大きい御神輿が「コンコン神輿」で、小さい御神輿が「おんな神輿」です。
大変立派なこの2基の御神輿を眺めながら、私達は美味しいお酒と料理を堪能してきました!

下の写真は「鳥君」の入口で、このお店はビルの1階に入っていて、店内から御神輿を出す時は、右側にある大きな観音扉の戸を開けてそこから外に出すようです。
会議が終了した後は、産地直送の「はかた地どり」で有名な、すすきのにある居酒屋「鳥君」で委員会の懇親会が開かれ、私は会議に続いてこの懇親会にも出席してきました。
下の写真は、その「鳥君」の店内に並んで展示されていた、すすきの神輿会「北祭會」の夫婦神輿です。大きい御神輿が「コンコン神輿」で、小さい御神輿が「おんな神輿」です。
大変立派なこの2基の御神輿を眺めながら、私達は美味しいお酒と料理を堪能してきました!


下の写真は「鳥君」の入口で、このお店はビルの1階に入っていて、店内から御神輿を出す時は、右側にある大きな観音扉の戸を開けてそこから外に出すようです。

昨日は、芦別市郊外にある芦別温泉の某ホテルで、北海道神職神輿連絡会の今年度の定例総会及び懇親会が開催され、当社からは、同会の事務局である宮司と、図々しくも私(実は私は会員ではありません)の二人が出席させて頂きました。
宮司と私は、同会の会長である札幌市北区に鎮座する新川皇大神社のS宮司さんと共に、新川皇大神社の太鼓会・神輿会のマイクロバスに乗って芦別へと向い、総会会場の芦別温泉のホテルで他の会員さん達と合流しました。
総会は午後4時から始まり、その後、休憩を挟んで午後6時からは懇親会が開催され、道内各地から集まった神職及び神職の家族の皆さん方で、美味しい夕食を食べながらじっくりと語り合ってきました。


懇親会は約2時間半で終了し、その後は、ホテル1階にあるお店に移動して、午後8時40分頃からそこで二次会が開催されました。
私達はそこでも1時間少々、楽しく語り合ってきました。

翌朝は午前10時頃にホテルをチェックアウトし、10時半からは、芦別市総鎮守の蘆別神社で正式参拝を行いました。
そして正式参拝の後は、1時間程、同神社社務所にて蘆別神社の宮司さんから、いろいろと為になる貴重なお話しを拝聴させて戴きました。C宮司さん、どうもありがとうございました!

そして、正午少し前に蘆別神社で解散となり、私は午後3時近くに西野神社へと帰ってきました。
参加された皆様、大変お疲れ様でした。なかなか楽しい一泊旅行でした。
宮司と私は、同会の会長である札幌市北区に鎮座する新川皇大神社のS宮司さんと共に、新川皇大神社の太鼓会・神輿会のマイクロバスに乗って芦別へと向い、総会会場の芦別温泉のホテルで他の会員さん達と合流しました。
総会は午後4時から始まり、その後、休憩を挟んで午後6時からは懇親会が開催され、道内各地から集まった神職及び神職の家族の皆さん方で、美味しい夕食を食べながらじっくりと語り合ってきました。




懇親会は約2時間半で終了し、その後は、ホテル1階にあるお店に移動して、午後8時40分頃からそこで二次会が開催されました。
私達はそこでも1時間少々、楽しく語り合ってきました。


翌朝は午前10時頃にホテルをチェックアウトし、10時半からは、芦別市総鎮守の蘆別神社で正式参拝を行いました。
そして正式参拝の後は、1時間程、同神社社務所にて蘆別神社の宮司さんから、いろいろと為になる貴重なお話しを拝聴させて戴きました。C宮司さん、どうもありがとうございました!


そして、正午少し前に蘆別神社で解散となり、私は午後3時近くに西野神社へと帰ってきました。
参加された皆様、大変お疲れ様でした。なかなか楽しい一泊旅行でした。
このブログは、開設以来ほとんどレイアウト等を変えた事がありませんでしたが、先程、少しだけリニューアルしました。
テンプレートのベースカラーを水色から赤色系に変え、また、左サイドバーに「アクセス状況」と「ブックマーク」の項を追加し、各項の配置順序も一部変更しました。
「表紙」にあったアクセスカウンターは、実際のアクセス数と乖離していて、はっきり言って役立たずだったため(笑)、削除しました。
新たに左サイドバーのトップに表示させた「アクセス状況」のアクセス数及びトータル数が、ほぼ正確な実数です。
今後も宜しくお願い致します!
テンプレートのベースカラーを水色から赤色系に変え、また、左サイドバーに「アクセス状況」と「ブックマーク」の項を追加し、各項の配置順序も一部変更しました。
「表紙」にあったアクセスカウンターは、実際のアクセス数と乖離していて、はっきり言って役立たずだったため(笑)、削除しました。
新たに左サイドバーのトップに表示させた「アクセス状況」のアクセス数及びトータル数が、ほぼ正確な実数です。
今後も宜しくお願い致します!
昨夜は、昔から“札幌の奥座敷”として知られる定山渓温泉街にある某ホテルで、北海道神職神輿連絡会の恒例行事である観楓会が開かれ、当社からは宮司と私の2人が参加させて頂きました。
札幌近郊の神職を中心に、道内各地から16人の神社関係者(神職の家族や、神職ではない神社職員なども含む)が集まり、午後6時半から約2時間、ホテルの広間(御座敷)で美味しい夕食を食べながら皆で語り合ってきました。

北海道神職神輿連絡会の事務局は西野神社の宮司が務めているのですが、私自身は今まで同会の活動や行事にはほぼ全く関わっておらず、同会の観楓会に参加したのも今回が初めてだったため、どのような感じの観楓会なのか、行くまで全くわからなかったのですが、実際に参加してみると、規模としては意外と小ぢんまりした、かなりアットホームな雰囲気の観楓会でした。
私としては、かつて神社庁札幌支部で行っていた観楓会や、青年神職文月会の忘年会のようなものをイメージしていたので、もっと大掛かりなものかと思っていましたが、こういった小規模な観楓会も悪くはないですね。
それに今回は、私と同じ札幌支部管内の青年神職も2人来てくれていたので、私にとってはそれも心強かったです。
この2人以外は、私の知らない人か、もしくは、知っていても私よりも立場がずっと上の人ばかりでしたから(笑)。
広間での宴会の後は、上のフロアにある別のお店へ移動し、そこで二次会が開かれ、私達はそこでも1時間少々、お酒を飲みながら楽しく語り合ってきました。
そして二次会の後は解散となり、私は、前述の2人と共に、ホテル内の別の居酒屋に入って、そこでお酒を飲みながらでラーメンを食べてきました。ここでは、古事記についてとか神葬祭についてとか、意外と真面目な事を話しあってきました(笑)。
はっきりとは覚えてはいませんが、私が就寝したのは、多分翌日の午前2時過ぎ頃だったと思います。
翌朝は各自自由解散で、私は朝食の後、大浴場で入浴してからチェックアウトしました。楽しい観楓会でした!
札幌近郊の神職を中心に、道内各地から16人の神社関係者(神職の家族や、神職ではない神社職員なども含む)が集まり、午後6時半から約2時間、ホテルの広間(御座敷)で美味しい夕食を食べながら皆で語り合ってきました。


北海道神職神輿連絡会の事務局は西野神社の宮司が務めているのですが、私自身は今まで同会の活動や行事にはほぼ全く関わっておらず、同会の観楓会に参加したのも今回が初めてだったため、どのような感じの観楓会なのか、行くまで全くわからなかったのですが、実際に参加してみると、規模としては意外と小ぢんまりした、かなりアットホームな雰囲気の観楓会でした。
私としては、かつて神社庁札幌支部で行っていた観楓会や、青年神職文月会の忘年会のようなものをイメージしていたので、もっと大掛かりなものかと思っていましたが、こういった小規模な観楓会も悪くはないですね。
それに今回は、私と同じ札幌支部管内の青年神職も2人来てくれていたので、私にとってはそれも心強かったです。
この2人以外は、私の知らない人か、もしくは、知っていても私よりも立場がずっと上の人ばかりでしたから(笑)。
広間での宴会の後は、上のフロアにある別のお店へ移動し、そこで二次会が開かれ、私達はそこでも1時間少々、お酒を飲みながら楽しく語り合ってきました。
そして二次会の後は解散となり、私は、前述の2人と共に、ホテル内の別の居酒屋に入って、そこでお酒を飲みながらでラーメンを食べてきました。ここでは、古事記についてとか神葬祭についてとか、意外と真面目な事を話しあってきました(笑)。
はっきりとは覚えてはいませんが、私が就寝したのは、多分翌日の午前2時過ぎ頃だったと思います。
翌朝は各自自由解散で、私は朝食の後、大浴場で入浴してからチェックアウトしました。楽しい観楓会でした!
平成19年9月24日の記事では、新川皇大神社の神輿会「新皇会」と同神社の太鼓会「北響太鼓」が共用している専用バスの写真を掲載しましたが、あの記事をアップした後、あのバスは一新され、現在は新しい別のバスが使われています。それが、下の写真のバスです。
カラーリングは以前のバスとは大幅に変わりましたが、とてもカラフルで遠くからでも結構目立つ、という点は以前と一緒です(笑)。

下の写真は、バスの車体前面に描かれている、同神社宮司さんの顔をモチーフにしているイラストです。実際に宮司さんを知っている人が見れば、誰もが「そっくり!」と言う程、激似です(笑)。
ちなみに、「TEAM わし」と書かれているのは、同神社宮司さんの一人称が「わし」である事に由来していると思われます。
カラーリングは以前のバスとは大幅に変わりましたが、とてもカラフルで遠くからでも結構目立つ、という点は以前と一緒です(笑)。


下の写真は、バスの車体前面に描かれている、同神社宮司さんの顔をモチーフにしているイラストです。実際に宮司さんを知っている人が見れば、誰もが「そっくり!」と言う程、激似です(笑)。
ちなみに、「TEAM わし」と書かれているのは、同神社宮司さんの一人称が「わし」である事に由来していると思われます。

謹んで新年の御慶びを申し上げます。
新玉の年の始めに当り、謹みて皇室の彌栄と祖国の隆昌を祈念すると共に、西野神社神力會や関係諸団体・全道各地の神輿会の皆様方、そしてこのブログを読んで下さる全ての方々の益々の御健勝・御繁栄を心より御祈り申し上げます。
本年も何卒一層の御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
平成二十二庚寅歳 皇紀二千六百七十年 元旦
新玉の年の始めに当り、謹みて皇室の彌栄と祖国の隆昌を祈念すると共に、西野神社神力會や関係諸団体・全道各地の神輿会の皆様方、そしてこのブログを読んで下さる全ての方々の益々の御健勝・御繁栄を心より御祈り申し上げます。
本年も何卒一層の御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
平成二十二庚寅歳 皇紀二千六百七十年 元旦
昨日、午後6時から8時過ぎ頃まで、空知管内の砂川市(西野神社からだと高速道路を利用して約1時間20分の距離にある街)で、砂川神輿会「緑粋」の創立20周年記念祝賀会が開催され、私は、社務(神葬祭奉仕)のため急遽出席できなくなってしまった西野神社宮司の代理として、西野神社神力會の事務局長Iさんと一緒に出席させて頂きました。



緑粋の会員さん達や関係者の方々の他、地元砂川の政治・経済を代表する名士の方々(道議会議員、砂川市議会議員、砂川市役所の各部長、砂川商工会議所会頭、砂川観光協会会長、砂川青年会議所会長、地元商店街の会長など)や、道内各神輿会の会員さん達、招待に応じて道外から来られた来賓の方々など約160人が出席し、祝賀会は盛大に挙行されました。
次第としては、開会の言葉、物故者への黙祷、感謝状贈呈、会長挨拶、来賓紹介、来賓祝辞(砂川商工会議所会頭、東京浅草・三社親睦会会長、北海道神輿協議会副会長、砂川神輿会緑粋後援会会長)、祝電披露、鏡開き、祝杯(北海道議会議員)、祝宴、各神輿会紹介、乾杯(砂川市議会議長)、三本〆(みこし推進空知会副会長)、閉会の言葉、という順に行われたのですが、内容が充実していたため、あっという間の2時間でした。
神職は私以外にはいなかったようでしたが、普段はあまり接点のない他会の方々とお話をする事ができ、また、私は車を運転して会場(砂川パークホテル)に行ったためお酒は全く飲めませんでしたが、その分美味しい御馳走を沢山食べさせて頂き(笑)、私にとっても大変充実した祝賀会でした。
緑粋の皆さん、素晴らしい祝賀会に招待して戴き、どうもありがとうございました。
20周年おめでとうございます!






緑粋の会員さん達や関係者の方々の他、地元砂川の政治・経済を代表する名士の方々(道議会議員、砂川市議会議員、砂川市役所の各部長、砂川商工会議所会頭、砂川観光協会会長、砂川青年会議所会長、地元商店街の会長など)や、道内各神輿会の会員さん達、招待に応じて道外から来られた来賓の方々など約160人が出席し、祝賀会は盛大に挙行されました。
次第としては、開会の言葉、物故者への黙祷、感謝状贈呈、会長挨拶、来賓紹介、来賓祝辞(砂川商工会議所会頭、東京浅草・三社親睦会会長、北海道神輿協議会副会長、砂川神輿会緑粋後援会会長)、祝電披露、鏡開き、祝杯(北海道議会議員)、祝宴、各神輿会紹介、乾杯(砂川市議会議長)、三本〆(みこし推進空知会副会長)、閉会の言葉、という順に行われたのですが、内容が充実していたため、あっという間の2時間でした。
神職は私以外にはいなかったようでしたが、普段はあまり接点のない他会の方々とお話をする事ができ、また、私は車を運転して会場(砂川パークホテル)に行ったためお酒は全く飲めませんでしたが、その分美味しい御馳走を沢山食べさせて頂き(笑)、私にとっても大変充実した祝賀会でした。
緑粋の皆さん、素晴らしい祝賀会に招待して戴き、どうもありがとうございました。
20周年おめでとうございます!
他所の神社に行って御神輿の渡御を奉仕させて頂く時、私はほぼ毎回デジカメを持って行き、その神社の御神輿や渡御についてより深く理解するため、また、このブログに写真をアップロードするため、渡御の様子を撮影させて頂いております。
勿論、渡御の写真を撮影する事自体は、何ら悪い事ではありません。しかし、信仰と伝統に基づいて行われる、神社の例祭での渡御は、当然の事ながら単なるイベントや客寄せのための企画ではなく、あくまでも「神事」なのですから、いつでもどこでも常に写真を撮って良いという訳ではなく、撮影をする際には、信仰上の観点や神様への敬意から、守らなければならないルールやマナーがあります。
ところが、私が今まで見た限り、残念な事に渡御の現場で写真を撮るカメラマンさん達の中には、そういったマナーを守っていない人が時々見受けられます。
例えば、下の2枚の写真をご覧下さい。これはどちらも、今年、某神社の渡御の最中に御旅所で斎行された駐輿祭の様子を撮った写真です。

1枚目は斎場の全景写真で、駐輿祭の全体的な雰囲気や、御神輿・祭壇・神職・参列者などの各位置関係が分かると思います。
そして2枚目の写真は、駐輿祭での玉串拝礼の時に、祭壇の斜め後方から撮影した写真なのですが、この2枚目の写真に、神様や拝礼をしている人に対して大変な無礼な振る舞いが行われている様子が写っている事に気がつかれたでしょうか?
祭壇と御神輿との間に立って、玉串拝礼をしている人に向かって堂々と真正面からカメラを構えているカメラマンがいるのです。
例えば、Aさんという人が、目上(先輩、上司、恩師など)のBさんに対して、面と向かって直接、深々と頭を下げながら感謝の言葉を述べている最中に、Cさんという人が、突然AさんとBさんの間に堂々と割って入り、Bさんに背中を向けて、感謝の言葉を述べているAさんを真正面から撮影し出したとしたら、多分AさんもBさんも、あるいはその周囲にいる人達も、Cさんは何という非常識な人なのだろう、と思うのではないでしょうか。
玉串拝礼の様子を撮影する事自体は何ら悪い事ではありません。拝礼をする人に対してカメラを向ける事も(カメラを向けられた人が嫌がっていない限りは)何ら悪い事ではありません。しかし、写真を撮影する位置に重大な問題があるのです。
恐らく、この写真に写っているカメラマンは、神様に対して無礼を働いているという意識は無く、そもそも駐輿祭の意味を理解していないのだと思います。
「今、玉串拝礼をしている人は、自分の真後ろの御神輿に奉安されている神様に対して拝礼をしている」という事を分かっていないのでしょう。
それを分かっていたとしたら、拝礼をしている人と神様との間に割って入り、正面から堂々とカメラを向ける、なんて事はまずできないでしょうから。
他所の神社の渡御に奉仕に行く時は、あくまでも自分は部外者なので、地元の人達やその神社の関係者の方に苦言を呈するような事は極力避けるべきなのでしょうが、しかし来シーズンからは、さすがに神職として容認できない場を目撃した時は、決してキツイ言い方はしないように最大限配慮しつつ、言うべき事ははっきりと言わせて頂こうと思います。
勿論、渡御の写真を撮影する事自体は、何ら悪い事ではありません。しかし、信仰と伝統に基づいて行われる、神社の例祭での渡御は、当然の事ながら単なるイベントや客寄せのための企画ではなく、あくまでも「神事」なのですから、いつでもどこでも常に写真を撮って良いという訳ではなく、撮影をする際には、信仰上の観点や神様への敬意から、守らなければならないルールやマナーがあります。
ところが、私が今まで見た限り、残念な事に渡御の現場で写真を撮るカメラマンさん達の中には、そういったマナーを守っていない人が時々見受けられます。
例えば、下の2枚の写真をご覧下さい。これはどちらも、今年、某神社の渡御の最中に御旅所で斎行された駐輿祭の様子を撮った写真です。


1枚目は斎場の全景写真で、駐輿祭の全体的な雰囲気や、御神輿・祭壇・神職・参列者などの各位置関係が分かると思います。
そして2枚目の写真は、駐輿祭での玉串拝礼の時に、祭壇の斜め後方から撮影した写真なのですが、この2枚目の写真に、神様や拝礼をしている人に対して大変な無礼な振る舞いが行われている様子が写っている事に気がつかれたでしょうか?
祭壇と御神輿との間に立って、玉串拝礼をしている人に向かって堂々と真正面からカメラを構えているカメラマンがいるのです。
例えば、Aさんという人が、目上(先輩、上司、恩師など)のBさんに対して、面と向かって直接、深々と頭を下げながら感謝の言葉を述べている最中に、Cさんという人が、突然AさんとBさんの間に堂々と割って入り、Bさんに背中を向けて、感謝の言葉を述べているAさんを真正面から撮影し出したとしたら、多分AさんもBさんも、あるいはその周囲にいる人達も、Cさんは何という非常識な人なのだろう、と思うのではないでしょうか。
玉串拝礼の様子を撮影する事自体は何ら悪い事ではありません。拝礼をする人に対してカメラを向ける事も(カメラを向けられた人が嫌がっていない限りは)何ら悪い事ではありません。しかし、写真を撮影する位置に重大な問題があるのです。
恐らく、この写真に写っているカメラマンは、神様に対して無礼を働いているという意識は無く、そもそも駐輿祭の意味を理解していないのだと思います。
「今、玉串拝礼をしている人は、自分の真後ろの御神輿に奉安されている神様に対して拝礼をしている」という事を分かっていないのでしょう。
それを分かっていたとしたら、拝礼をしている人と神様との間に割って入り、正面から堂々とカメラを向ける、なんて事はまずできないでしょうから。
他所の神社の渡御に奉仕に行く時は、あくまでも自分は部外者なので、地元の人達やその神社の関係者の方に苦言を呈するような事は極力避けるべきなのでしょうが、しかし来シーズンからは、さすがに神職として容認できない場を目撃した時は、決してキツイ言い方はしないように最大限配慮しつつ、言うべき事ははっきりと言わせて頂こうと思います。