神幸記 ~西野神社神職のみこしブログ~

◆◆◆神輿渡御奉仕記録&神輿関連情報◆◆◆
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四番街祭好會による「北海道神宮例祭奉祝神輿渡御」

2010年06月16日 | 平成22年 他社・他会の神輿渡御
札幌の初夏の風物詩としても有名な「札幌祭り」(期間は北海道神宮例祭の6月15日とその前後を合わせた3日間)の最終日の今日は、北海道神宮の主祭神四柱を奉斎した4基の鳳輦や、各祭典区の山車8基、時代装束を纏った崇敬者達などを中心とした、総勢約1,400人にも及ぶ神幸行列が、午前9時から午後4時半まで市内を賑々しく渡御したのですが、それに合わせて札幌市中央区の四番街では、札幌四番街祭好會という神輿会の主管により12時45分から午後4時半まで、「北海道神宮祭奉祝神輿渡御」が行われました。

今日行われたこの四番街の“渡御”(神事は伴わず、神輿の中には神霊も奉斎していないようなので、厳密には渡御とは言えないのですが)には、生憎、所用により神力會の会員さんは誰も参加できず、当社の宮司も社務の都合により参加する事ができなかったため、今回は、西野神社からは私一人だけが担ぎ手として助勢に行って参りました。
私にとっては、今日が今シーズン初めての神輿担ぎであり、また、今まで私が他社や他会の御神輿を担ぎに行く時は最低でも必ず2人以上の人数で行っていたため、今日は私にとって、自分一人だけで参加した初めての神輿担ぎともなりました。

ちなみに、この四番街の“渡御”は、場所や時間を北海道神宮の渡御に合わせて行うため、駅前通りで一旦北海道神宮の神幸行列と合流はしますが、あくまもで四番街祭好會独自の行事・イベントとして行っているものであって、北海道神宮の行事・祭事ではありません。

 

1枚目=札幌駅前通りの四丁目プラザ前のスクランブル交差点。御神輿が出発する直前の様子です(神霊が奉斎されている場合は宮出し、出御などと云います)。この写真では御神輿の正面は北(札幌駅方面)を向いていますが、御神輿は出発するとすぐに向きを南に変え、駅前通りを南(すすきの方面)に向かって進みました。なお、この時の駅前通りは、すすきのから大通りにかけての区間が全て歩行者天国になっていたため、御神輿は往路も復路も車道を進みました。
2枚目=駅前通りの東側車線を南に向かって進んでいる様子です。

 

1枚目=駅前通りの歩行者天国になっている区間の最南端部(すすきの直前)でUターンをしている所。中央分離帯を横切って西側車線に移り、今度は北に向かって進みました。
2枚目=狸小路3丁目と狸小路4丁目の間を通過中。狸小路は北海道最古の商店街のひとつで、その歴史は開拓間もない明治6年頃にまで遡る事ができ、また、道内では最大規模の商店街でもあります(総延長は約900m・店舗数は約200軒)。


 

1枚目=パルコの前を通過中。
2枚目=駅前通りの歩行者天国になっている区間の最北端部(大通り直前)でUターンをしてまた東側車線に移り、午後1時50分頃、四丁目プラザ前のスクランブル交差点の直前で停止し、ここで1時間程休憩しました。ここで休憩したのは、この交差点で午後2時から、北海道神宮の神幸行列の駐輦祭が斎行されるからです。

ちなみに、この時行われた北海道神宮の駐輦祭の様子は以下の記事で紹介させて頂きましたので、興味のある方はこちらも御一読下さい。↓
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20100616

そして、駐輦祭が終了した後、四番街の御神輿は再び動き出したようですが、駐輦祭が終わると、私は社務の都合によりその場を失礼して西野神社へと戻りました。
駐輦祭が始まる少し前から雨が本格的に降り出し、私を含め担ぎ手の皆さん方は全身がびしょ濡れになりましたが、担ぎ手の方々は雨を気にする事もなく、とても清々しい表情で威勢良く御神輿を担いでいました。

神輿殿に懸魚を取り付けました

2010年06月08日 | 西野神社神輿殿
現在当社では参集殿の増改築工事を行っているのですが、昨日は、その工事と並行して神輿殿と神楽殿にそれぞれ懸魚(げぎょ)を取り付ける作業が行われました。
懸魚というのは、社寺などの和風建築の屋根下に吊り下げられる飾りの事で、火に弱い木造建築では火を忌むため水や魚を模した装飾を施す事が多く、それを屋根に懸けて火伏のまじないとした事から「懸魚」と呼ばれるようになったと云われています。

 

上の写真2枚は、大工さん(縞模様の服を着ているほうです)と当社の宮司(紺色の服を着ているほうです)が、神輿殿屋根下の破風に懸魚を取り付けている様子です。

 

上の写真は、取り付けが完了した懸魚と、取り付けが終わり足場を撤去した後に撮った神輿殿正面全景です。