goo blog サービス終了のお知らせ 

神幸記 ~西野神社神職のみこしブログ~

◆◆◆神輿渡御奉仕記録&神輿関連情報◆◆◆
(西野神社の公式ブログではありません。公式ブログは別に開設しております)

北海道神宮 プロムナード駐輦祭

2014年06月17日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
昨日の記事でも書かせて頂きましたが、昨日は、北海道神宮例祭に伴う鳳輦(ほうれん)の渡御が行われ、午前9時から午後4時40分頃まで、同神宮の厳かな鳳輦や、各祭典区の華やかな山車(だし)などを中心とした凡そ1400人の奉仕者から成る神幸行列が、北海道神宮の周辺や、本年の年番(主管)である第十六桑園祭典区の区内、市内中心部の一部を神幸しました。

北海道神宮の本殿には、大国魂神(おおくにたまのかみ)様、大那牟遅神(おおなむちのかみ)様、少彦名神(すくなひこなのかみ)様、明治天皇様の4柱の御祭神がお祀りされているのですが、同神宮では毎年例祭翌日(札幌まつり最終日)の6月16日に、その4柱の神様達を1柱ずつ鳳輦と称される立派な輿(こし)にお載せして、神様達に市内を神幸(渡御)して戴いているのです。
普段は同神宮本殿内陣の奥深くに御鎮座されている神様が、年に一度この日だけは、鳳輦に載って市内を廻られるのです。

その北海道神宮鳳輦渡御では、南2条東3丁目に鎮座する同神宮頓宮と、三越デパートや4丁目プラザ前のスクランブル交差点の2ヶ所で、それぞれ駐輦祭(神輿渡御でいうところの御旅所祭)が斎行されるのが慣例となっており、私は今回、4プラ前で斎行されたプロムナード駐輦祭を見学してきました。
私はこの時、狸小路商店街の狸神輿の担ぎ手の一人として狸神輿に供奉しておりましたが、担ぎ手の人数がかなり多かったため、実際には御神輿を担いでいる時間よりも御神輿に寄り添って歩いている事のほうが多かったという事もあり(つまり余裕があったため)、都心に於いては狸神輿と渡御のルートが重複する北海道神宮の神幸もほぼ同時に見たり撮影したりする事が出来ました。


今回の記事に貼付の写真はいずれも、昨日私が見学・撮影してきた、駐輦祭の斎場(4プラ前交差点)に到着する直前の北海道神宮神幸行列の一部と、プロムナード駐輦祭の様子です。


▲ 本年の札幌まつりの年番である第十六桑園祭典区の山車。
桑園祭典区は9年ぶり、7回目の年番奉仕となります。私はかつて一度だけ、北海道神宮の神幸行列に奉仕員として供奉した事がありますが、その時の年番も桑園祭典区でした。


▲ 第二十琴似祭典区の山車。
本年の札幌まつりから新たに加わる事になった山車で、山車の上の人形は、南北朝時代(神社によってはその歴史観からあえて吉野朝時代とも云いますが)に南朝方の武将として活躍した名和長年です。


▲ 北海道神宮の鳳輦と、鳳輦に供奉する人達。
鳳輦は全部で4基あります。なかなか雅な光景です。場所は札幌駅前通りです。


▲ 北海道神宮の鳳輦と、鳳輦に供奉する人達。
この日は一時的に霧雨や小雨が降ったりしましたが、この時は雨は上がっていました。


▲ 北海道神宮の鳳輦。
鳳輦の形や大きさ、鳳輦を担いでいる人達の装束などからも、御神輿との違いが分かるかと思います。鳳輦は御神輿のように勢いよく揺さぶって担いだりはしません。


▲ 北海道神宮の鳳輦に供奉する人達。
赤い装束(衣冠)を着装しているのは同神宮の神職です。鳳輦1基毎に1人の神職が供奉します。


▲ 北海道神宮の宮司が乗っている馬車。
駐輦祭で舞を奉納する巫女も一緒に乗っています。ちなみに、今年の宮司車を引いたのは、北海道帯広市のばん馬レース「ばんえい十勝」で活躍したばん馬です。


▲ 北海道神宮の責任役員が乗っている馬車。
この神幸行列に於ける馬車は、講長車1台、副講長車1台、宮司車1台、責任役員車2台の、計5台です。


以下の写真はいずれも、午後2時半過ぎ頃から斎行されたプロムナード駐輦祭の様子です。
駐輦祭では、4基の鳳輦の御前にて、祓主や大麻所役による修祓、宮司による祝詞奏上、巫女による舞の奉納、斎主以下祭員や参列者による玉串拝礼などが、大勢の市民や観光客などが見学する中、厳かに執り行われました。


























下の動画は、この時の駐輦祭で、北海道神宮の巫女2人により大神様に奉納された舞の様子です。
舞に続き、巫女により参列者への鈴祓いも行われました。




駐輦祭の斎行中は、私達が担いでいた狸神輿や、四番街商店街の繁盛神輿は、駐輦祭参列者達の後ろに控えていました。

地下鉄の浅草駅に展示されている御神輿

2011年11月05日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
先月東京を旅行した際、都営地下鉄の浅草駅構内で見かけた立派な御神輿です。
(協)浅草おかみさん会から提供された御神輿らしいですが、こういったものが駅構内に展示されているのが、東京の下町らしいです。札幌では、地下鉄の駅に御神輿が展示されているなんて事はまず無いですから…。

 


※ 下記の文章は、このブログやこの記事とは全く関係ありません。別のブログで行われているある企画に連動して書かれているものなので、その企画を関知されていない方はスルーして下さい。
【1】 いつも「西野神社 社務日誌」をお読み戴き、どうもありがとうございます。

富岡八幡宮にある日本一の大神輿

2011年02月23日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
今月の20~22日にかけて、東京・千葉方面を旅行してきました。
21日の朝は、東京都江東区富岡に鎮座する富岡八幡宮を参拝してきたのですが、そこで特に私の印象に残ったのは、境内の参道沿いの神輿庫に奉安されていた巨大な二基の御神輿です。

 



向かって左側の、台車に載っている御神輿は、平成3年に製作された「一の宮神輿」で、高さは4m39cm、重さは約4.5トンもあります。
この御神輿は「日本一の大神輿」と云われていますが、単に大きいだけではなく、各所にダイヤ、ルビー、純金、プラチナ、銀、その他宝石が多数使われている、大変豪華な御神輿です。

そして、向かって右側の御神輿は、平成9年に製作された「二の宮神輿」で、こちらは高さが3m27cm、重さは約2トンあります。

富岡八幡宮では、関東大震災で御神輿を焼失して以降、何十年も御神輿が無かったのですが、平成の御代になってから、昔に優るとも劣らない、このような豪華で立派な御神輿が復活しました。

亀田八幡宮の神輿殿

2010年11月01日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
前回の記事では、先月27日の早朝、函館市内に鎮座する函館八幡宮を参拝してきたという事を書かせて頂きましたが、私はそのすぐ後、同市亀田町に鎮座する亀田八幡宮へもお参りに行ってきました。
下の写真は、その際に境内で見学してきた、同宮神輿殿の外観と内部です。

 

御覧のように、神輿殿というよりは、内外共に拝殿のような様式の殿舎なのですが、それもそのはずで、元々はこの神輿殿が同宮の拝殿だったそうです。
現在の拝殿が建てられる際、旧拝殿は神輿殿として再利用するため、ここに移築されたようです。

ちなみに、この神輿殿の壁には、戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争で付いたという銃弾の弾痕が今も残っています。

函館八幡宮の神輿舎

2010年10月29日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
神社のブログの今月27日付の記事でも報告させて頂いたように、私は今月27日の早朝、函館市内(函館山の山麓)に鎮座する函館八幡宮を参拝してきました。
下の写真は、その際に境内で見てきた神輿舎です。この神輿舎の正面扉の右横には「函館市指定文化財大神輿」と書かれた看板が掲示されていました。きっと、かなり立派な御神輿なのでしょうね。


樽前山神社の御神輿庫

2010年10月20日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
神社のブログの今月19日付の記事でも報告させて頂いたように、私は今月17日の早朝、白老から札幌への帰路の途中に、苫小牧市に鎮座する樽前山神社を参拝してきました。
下の写真は、その際に境内で見てきた「御神輿庫」です。私は同神社の御神輿は一度も見た事がありませんが、この建物の大きさから考えると、かなり立派な御神輿が奉安されているようです。


平成15年 御香宮神社 神輿渡御

2010年04月13日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
私は、西野神社に奉職する前年の平成15年の10月、京都市伏見区に鎮座する御香宮神社で、神職実習生(神主のタマゴ)として神幸祭の神輿渡御を奉仕させて頂きました。
以下は、その時に撮影された神輿渡御の写真です。

 



かなり大きな立派な御神輿ですが、それ以上に、私が今この写真を見返してみて興味深いなと思うのは、担ぎ手の方々が、担ぎ棒が当っても痛くないための対処と思われる大型のパッドを肩に装着している事です。
このような肩パッドは、道内の神輿渡御では今まで一度も見かけた事がありませんが、まだ御神輿を担ぐのが慣れていない人にとっては、結構有り難い便利なグッズかもしれませんね。

伊弉諾神宮の神輿庫

2010年02月18日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
今月の15~17日にかけて、私は2泊3日の旅程で淡路島・鳴門・岡山方面を旅行してきたのですが、2日目の午前中は、国生み神話の地としても知られる兵庫県淡路市に鎮座する伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)をお参りさせて頂きました。
下の写真は、同神宮境内(本殿の東側)にあった「神輿庫」です。

 

御覧のように、茅葺寄棟造りの大変珍しい様式の神輿庫で、内部には、例祭当日(4月22日)の神幸式に召される六角鳳輦(ろっかくほうれん)型の豪華な御神輿が奉安されています。
この建物は、もともとは文化5年(1808年)、阿波藩主が造営寄進したもので、平成6年、南西の旧地から移築され、同8年に、修理が施されて現在の真新しい状態になったそうです。

白壁も映えますが、特に屋根が茅葺というのが、実に風情があります!

北海道神宮の御鳳輦

2009年06月15日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
札幌市中央区に鎮座する北海道神宮では、毎年6月14日から16日にかけての3日間、例祭(札幌市民には「札幌まつり」の名で親しまれれています)が執り行われ、今年の例祭は昨日から始まったのですが、2日目の今日は午前10時から、3日間の神事の中では最も重大な祭典である「北海道神宮例祭」が執り行われ、私も参列させて頂きました。

いつもは鳳輦庫に奉安されている四基の御鳳輦(ごほうれん)も、今日は、明日の渡御に備えて四基とも、神門内の参道脇に舗設された仮殿に奉安されておりました。
以下の写真4枚がその様子です。

 

 

北海道神宮では四柱の御祭神をお祀りしているのですが、明日の渡御では、四柱の神様を一柱ずつそれぞれの御鳳輦に奉安して市中を御巡幸戴き、御祭神の御加護と御神徳により発展した現在の札幌の様子を、御鳳輦から見て戴くのです。

なお、札幌まつりを報じるテレビや新聞などは、大抵、神輿渡御(みこしとぎょ)と報じられていますが、北海道神宮で渡御に使われている輿(こし)は、正確には御神輿(おみこし)ではなく御鳳輦(ごほうれん)といわれるものです。
毎年札幌まつりを楽しみにしている人でも、実際には神輿も鳳輦も区別がついていない人が多いのですが、「Yahoo!」で「鳳輦」という言葉を辞書検索すると、御鳳輦については以下のように解説されています。
『屋形の上に金銅の鳳凰(ほうおう)を飾った輿(こし)。天皇の晴れの儀式の行幸用のもの。鳳輿(ほうよ)。鸞輿(らんよ)。転じて、天皇の乗り物の称。』

一般には、御神輿は掛け声とともに上下に揺らしながら威勢よく担ぐもので、それに対して御鳳輦は、御神輿のように荒々しく担ぐものではなく、静々と担ぐか、もしくは台車などに載せて引くなどし、基本的に揺さぶったりはしません。
また、担ぎ手たちの格好も、御神輿の場合は半被姿が一般的ですが、御鳳輦の場合は大抵装束を着装します。

御神輿と御鳳輦のそれぞれの本体を比較すると、直接人が乗れるような構造になっている分、大きさは御鳳輦の方が大抵大きく(勿論、神社の御鳳輦はあくまでも神様専用なので、実際に人間が乗る事はありません)、しかし装飾に関しては、御神輿の方が派手で華美である事が多いようです。
歴史としては、御鳳輦の方が古く、御鳳輦は御神輿の原型の一種とも云われています。

イメージとしては、御神輿が、江戸時代の下町情緒溢れる雰囲気を感じさせ、それに対して御鳳輦は、平安時代の王朝絵巻を想起させるような雰囲気、かもしれません。あくまでも私の主観ですが…。

千葉県の船橋大神宮で御神輿を見学してきました

2009年06月02日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
先月の27日~29日にかけて、私は2泊3日の旅程で東京・千葉方面を旅行してきたのですが、2日目の午前中は、船橋大神宮の通称で知られている、千葉県船橋市に鎮座する意富比(おおひ)神社にお参りに行ってきました。
同神社には、私と同じ神職養成機関出身の後輩T君が奉職しており、彼が境内を案内してくれました。

 

1枚目の写真は、神門を背景に彼と一緒に撮ったもので(本殿の神様へのお参りは、通常はこの神門の手前で行うようになっています)、2枚目の写真は、同神社の神輿殿を撮ったものです。

興味深かったのは、2基の御神輿が奉安されている神輿殿が、そのまま境内社(摂社なのか末社なのかは訊き忘れましたが)も兼ねていた事です。
また、この神輿殿にはセンサーが設置されており、神輿殿に近付くと殿内の照明が点き、御神輿がライトアップされているようにもなっていました。

T君、丁寧に境内を案内してくれて(更にお茶まで入れてくれて)、どうもありがとう!

手稲神社の神輿殿と御神輿

2009年04月03日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
今月5日の午後4時から、札幌市手稲区に鎮座する手稲神社で「仮殿遷座祭」という大祭(拝殿・幣殿・祝詞殿・本殿の改修工事と屋根の葺き替えに先立って、本殿の神様を仮殿にお遷しする神事)が執り行われるのですが、私は祭員としてその神事で助勤させて頂く事になっており、今日は午後3時から、同神社で行われた習礼(仮殿遷座祭のリハーサル)に参加してきました。

そして習礼の後は、同神社の禰宜さんの案内により、社殿の周りに組まれている足場に上がらせて頂いて社殿周りや社殿の屋根の状態などを見学させて頂き、また、社殿の裏手にある神輿殿とその内部も見学させて頂きました。
下の写真が、その神輿殿と、神輿殿の中に奉安されいる3基の御神輿です。

 

現在の手稲区前田10条11丁目1番に当たる地に、かつて「新川神社」という神社が鎮座していました(このブログで度々紹介させて頂いている、北区新川に鎮座する新川皇大神社とは全く別の神社です)。
ところが、昭和29年の秋、台風によって新川神社の御社殿は倒壊してしまい、そのため新川神社は、大正天皇が皇太子時代、前田農場にお立ち寄りの折に御休憩されたという記念の建物を譲り受けて、その建物を新たな御社殿としました。

しかし時代の変遷により、その後、新川神社は廃祀される事になり、昭和48年、新川神社の御祭神(菅原道真公)は手稲神社に合祀されました。
そして、新川神社の御社殿は手稲神社の境内に移築され、手稲神社の神輿殿として活用されるようになり、今に至っているのです。
ですから、他所の神社の神輿殿と異なり手稲神社の神輿殿は、内部に仕切りがあったり、奥が床の間のようになっていたりと、大正天皇が御休憩された往時の面影や新川神社の御社殿として使われていた当時の様子などが今でも少し残っており、それが大きな特徴となっています。

大阪の淀川神社で御神輿を見学してきました

2009年03月18日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
今月の15日~17日にかけて、私は2泊3日の旅程で関西を旅行してきたのですが、3日目には、私と同じ神職養成機関を卒業された方が宮司として奉仕されている、大阪市都島区に鎮座する淀川神社をお参りしてきました。
その宮司さんとは社務所にて1時間程お話をさせて頂いたのですが、社殿へも案内して戴き、社殿では3基の子供神輿を見学させて頂きました。

以下が、社殿(2棟あるうちの左側の建物)の外観と、その社殿内に奉安されている3基の御神輿です。

 

 

事情により、そう遠くないうちに淀川神社の宮司さんは別の方に替わる事になっており、そのため現在の宮司さんはその関係(自身が後継者と目した方への宮司としての引継ぎや、総代・役員さん達への対応など)でいろいろと忙しいようですが、御多忙にも関わらず丁寧に社殿等を案内して下さいました。
宮司様、どうありがとうございました!

東京で御神輿を見学してきました

2008年10月31日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
先日、神社から連休を頂き東京に旅行に行って来たのですが、東京滞在中にも御神輿を見る機会がありましたので、それらの御神輿の写真を以下に貼付させて頂きます。

 

上の左側の写真は、都営浅草線の浅草駅構内に展示されていた御神輿で、「浅草おかみさん会」という団体が提供したものだそうです。
上の右側の写真は、千代田区外神田2丁目に鎮座する神田明神(正式名称は神田神社)の鳥居際に建つお土産店内のウィンドウ内に展示されていた御神輿です。これも立派な御神輿でした。



上の写真は、神田明神の境内に展示・保存されていた、将門塚保存会の大神輿です。一般的な御神輿とは異なる入母屋造の御神輿で、しかも巨大で、約1,000人の担ぎ手により担がれるそうです。

琴似神社の御神輿

2008年09月04日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
昨日と今日の二日間は、札幌市西区に鎮座する琴似神社の秋祭りで、私は、昨夜は同社の宵宮祭に、今日は例祭に、それぞれ祭員として助勤奉仕させて頂きました。
以下の写真は、今朝、例祭が始まる1時間程前に神門の前で撮影した、同社の御神輿です。とても綺麗な御神輿なので一見そうは見えませんが、実は62年も前(終戦直後)に奉納された、とても古い御神輿なのだそうです。

  


この御神輿は、例祭のすぐ後、トラックの荷台に載せられて氏子地区を神幸しました。担いだりはしないようです。

三吉神社の本殿と御神輿

2008年07月18日 | 助勤先や旅先で見た御神輿等
昨日は、中央区に鎮座する三吉神社で、「北海道神社庁札幌支部青年神職文月会 創立六十周年奉告祭」と、同「六十周年物故者慰霊祭」が執り行われ、私は文月会の役員(幹事)でもあるため、これらの祭事の準備・手伝いのため昨日は三吉神社に行って来ました。
そして、祭典の始まる前に三吉神社の拝殿内で撮った、同社の本殿(拝殿内にすっぽりと覆われています)と、同社の御神輿が、それぞれ下の写真です。
本殿も御神輿もなかなか立派なものでした!