皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

皇位継承の問題について(戦前と戦後。男系男子)

2024-05-03 23:16:16 | 皇室の話(3)
皇位継承の男系男子というルールは、現行の皇室典範が旧皇室典範から踏襲したものであるが、旧皇室典範の時代においては旧憲法すなわち大日本帝国憲法においても、要するに男系男子とうことが規定されていたのである。

具体的に条文をあげると以下のとおりである。

旧皇室典範(明治22年)
第一条 大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス

旧憲法〔大日本帝国憲法〕(明治22年)
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

旧憲法の方では「男系ノ男子」という表現ではなく「皇男子孫」となっているが、制定時の天皇が明治天皇であり、その皇男子孫、その皇男子孫と継承していけば、それは「男系ノ男子」と同じことになるのである。

さて、これらの条文を見ると、皇位継承の在り方が、当時の国家の在り方と不可分のものとして捉えられていたことが分かるのではないだろうか。

まず、旧皇室典範では、「皇位ハ」の修飾語として「大日本国」という文言が付せられている。単に「皇位」ではなく、「大日本国皇位」なのである。

そして、その「大日本国」について定めていたのが旧憲法であるが、旧憲法で定める天皇の在り方というのは、極めて厳つい。

例えば、以下のような条文がある。

旧憲法〔大日本帝国憲法〕(明治22年)
第十一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第十二条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第十三条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
第十四条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

明治22年、当時は帝国主義の時代であり、生き残るためには国としても厳つくあらねばならず、そのことが天皇の在り方にも反映されていたということであろう。

そして、厳つい役割を担う天皇は男でなけばならず、それ故の旧憲法第2条の「皇男子孫」という要件だったのではないか。

そして、男、男、男による継承につき、継承ルールとして条文化したのが旧皇室典範第1条だったのであろう。

これらは、戦前の我が国においては、必然性の高いものであったと言える。

しかし、果たして戦後においては、どうであろうか。

国の在り方、天皇の在り方、皇位継承の在り方の関係につき、戦前は一環したものがあったと言える。
しかし、現在は、国の在り方と天皇の在り方までは連携しているが、皇位継承の在り方との間には断絶があるように思われる。

現在において、皇位の男系男子に拘る勢力というのは、あるいは、戦前のような厳つい天皇の復活、天皇の名の下の戦争遂行体制の復活を願望しているのだろうか。
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