ルアンパバーンの風景

ラオスの世界遺産『ルアンパバーン』(Luang Phabang)の静かな風景を載せていきます。
実際は暑かった。

(無題)

2006-11-06 | ヤプログ!のログ
確かに殆どの人が語る神は「想定」である。でも肌のすべすべになるかの崇高な神の気については必ずスルーされている。現人神も、現人ゴッドか現人ガミかではありえなさ度はまるで違う。そもそも人が神を思考していることについては一体何が悪いのか…それこそまさに思想問題であろうが。あってはならない信じてはならないという潔癖症の境界が設けられているかのよう。
旅行スポーツふつう感動を共有する場面
それをみて馬鹿にした顔をする奴がいる。卑屈者にとってはここぞという場面なのだろうが。たまに本当に狷介な人がいる。
もちろん一概に狷介というのではないのかもしれない。サルトル的には神というから神が生まれるらしい。洗脳というから洗脳が生まれる。純物理的に。死なない作家は二流。語りえぬものを語ろうとするやつは究極には自殺となる。あの鼠色の人も恣意的な感覚排除を極めた人だったのかもしれない。(ただそこで死にきれてないから迷惑千万なのだが。二分間息を止めてみろ)。物理学者のほうが言葉ではなく自分の感覚と経験を主体にするのでその点健全で''Einstein''は「そうなったら死んだも同然です」と言いきる。
自然は死んでいない。自然に合一するにはただ言葉をなくすだけでいい。動物のほうが動き回るので面白いが、本当に無私のひとは自然が相手になる。無償とはそこにある。屋久杉が精神に与える影響は怪奇だが(恣意的)やはり霊性は高かったらしい。国津カミぐらいに威力がなければ自分にはほとんど何も感じ取れないけれど。