銅崎富司さん
「どうしても契約は嫌だという人が出てくるんですよね。だから個人の家を一軒一軒みんな回って、契約してくれませんかという説得をして回ってますよね。だからそれはやっぱり大変な業務ですよ。それは数が多いから。」
日本政府は、多くの地主たちを説得するのに、どのような手段を講じたのか。
軍用地として基地のために土地を提供した地主たち。
これまで多くを語ってきませんでした
普天間基地のある宜野湾市に住む、花城清善さん(79歳)。
沖縄戦で父を亡くした花城さんは、戦後、家や田畑をアメリカ軍によって接収されました。
「あのね、営舎があるさね。兵隊の宿舎ね。
あれの下のほうです」
──あのあたりに、花城さんが生まれた家もあったんですか。
「そうです。それがずっと戦後、米軍の基地になって、そこへは帰れなかったんですよね」
高校卒業後、家計を支えるために
タクシーの運転手になった花城さん。
客の大半はアメリカ軍の兵士でした。
その後、仲間とタクシー会社を設立。
乗り逃げや料金の踏み倒しなどのトラブルに見舞われても、基地に依存する形の生活が続きました。
花城さん
「共存させられたということですよ。
共栄じゃないよ、共存させられたということ。
一緒に生活が一緒くただったということですよ。
これはもう現実問題ですからね」
経営が厳しい会社を抱えていた花城さん。
しかも土地はアメリカ軍に奪われたまま。
こうした地主たちと日本政府の契約が本格化したのは、
復帰の1年前でした。
当初、軍用地契約の交渉は難航。
与党自民党は危機感を強めました。
交渉にあたった自民党幹部がとったのは
地主に賃貸料として支払う軍用地代を
一気に6.5倍に引き上げるという手段でした。
地主を代表して自民党との交渉に同席していた、
砂川直義さんです。
「予算の措置は政調会長が責任をもってやると。
鶴の一声で決まるというやり方ね。それがまさしく政治的解決だなということを、実感しましたね」
土地を取り戻すのは難しいと考えていた地主側は
交渉を通じて実質的な補償を求めました。
これに対して、自民党の幹部は
軍用地代を値上げすることで、どのくらいの地主が契約に応じるのか、繰り返し尋ねました。
地主側から9割は契約に応じるだろうとの答えを聞いて、地主側は大幅な値上げを行ったのです。
「とにかく沖縄の言うとおりにしてやれというのが、
天の声みたいな感じで出てきましたよね。一件落着ですよね。だから、そうでないと確かに米軍に基地を提供できなくて、もう契約しないという人がもっとたくさん増えたかもしれませんよね」