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平和賞式典で代読された劉暁波氏の文章

2010年12月13日 | 過去記事倉庫
 私の人生において(天安門事件の起きた)1989年6月は重要な転機だった。

 私はこの年、米国から戻って民主化運動に参加し、「反革命宣伝扇動罪」で投獄された。そして今また、私を敵と見なす政権の意識によって被告席に押し込まれている。

 しかし、私には敵はおらず、憎しみもない。私を監視、逮捕した警察も検察も、判事も誰も敵ではないのだ。私は、自分の境遇を乗り越えて国の発展と社会の変化を見渡し、善意をもって政権の敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かすことができる人間でありたいと思う。

 改革開放が国の発展と社会の変化をもたらしたことは周知の通りだ。改革開放は毛沢東時代の「階級闘争を要とする」執政方針の放棄から始まり、経済発展と社会の平和的な融合に貢献した。

 こうした進展は、異なる利益や価値が共存するための土壌をつくり、国民の創造力の発展と愛情の回復の励みとなった。経済の市場化、文化の多元化、秩序の漸進的な法治化。これらはみな、敵対意識の弱まりによってもたらされた。

 最も進歩の遅い政治領域でも、敵対意識の弱まりは政権が社会の多元化に対して包容力を増す効果を生んだ。政治思想が異なる者への迫害は大幅に弱まり、89年の民主化運動への評価も「動乱」から「政治的風波」へと変わった。

 98年に中国政府が国連の2大国際人権条約への署名を世界に約束したことは、中国が普遍的人権の標準を受け入れたことを示した。2004年には憲法が改正され、初めて「国家は人権を尊重し保障する」と明記された。こうした進歩は、私自身も逮捕されて以来の経験の中で感じ取ることができた。

私の心は、いつか自由な中国が生まれることへの楽観的な期待にあふれている。いかなる力も自由を求める人間の欲求を阻むことはできず、中国は人権を至上とする法治国家になるはずだ。私はこうした進歩が本件の審理でも体現され法廷が公正な裁決を下すと期待している――歴史の検証に耐えうる裁決を。

 私は私の国が自由に表現できる大地であってほしいと思う。そこでは異なる価値観、思想、信仰、政治的見解が互いに競い合い、共存できる。多数意見と少数意見が平等の保障を得て、権力を担う者と異なる政治的見解も十分な尊重と保護を得ることができる。すべての国民が何のおそれもなく政治的な意見を発表し、迫害を受けたりしない。

 私は期待する。私が中国で綿々と続いてきた言論による投獄の最後の被害者になることを。

 表現の自由は人権の基であり、人間らしさの源であり、真理の母である。言論の自由を封殺することは人権を踏みにじることであり、人間らしさを窒息させることであり、真理を抑圧することである。

 憲法によって付与された言論の自由を実践するためには、公民としての社会責任を果たさねばならない。私がしてきたことは罪ではない。罪に問われても、恨みはない。

朝日新聞 2010/12/10より)