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安住淳(国会対策委員長)

2011年01月14日 | つける薬のない政治家
国会対策委員長
安住淳



元NHK政治部記者。
東京報道局政治部記者として、総理官邸や自民党を担当。
旧知の自民党幹部も多い。

父・安住重彦は元牡鹿町長。早稲田大学社会科学部卒業。日本放送協会(NHK)に入局し、政治部記者となる。
民主党が野党だった当時、衆参の多数派が異なる「ねじれ」の下で国対委員長代理を務め、強気の国会対応で自民党政権を揺さぶった。


1996年 衆議院議員総選挙で民主党公認で立候補し、初当選
ガソリン国会ではガソリン値下げ隊に「破れた服の修理やけがには手当てが出ます」と激を飛ばし、国会運営を妨げた。

2010年の参議院議員選挙では党選挙対策委員長として陣頭指揮を取ったが、民主党は大幅に議席を減らし、枝野幸男幹事長と安住の責任論も噴出したが、菅は両名を続投させた。


2008年12月5日の国籍法改正で、『認知の基準が杜撰すぎて虚偽の認知の防止ができない』と指摘する意見がネットを中心に沸き起こると、安住は『外国人との間に生まれた子供の認知を安易にやれば日本の社会秩序がおかしくなる』と主張するネット右翼が組織的に反対運動を行ったと批判し、『ネット社会の負の部分をまざまざと見た思いだった』と不快感を表明した。なお、この法律に不備があることは安住自身も『虚偽の認知の防止をどうするかなど、まだまだ完璧ではない』と認めている。



【閣僚プロフィール】江田五月(法務大臣)

2011年01月14日 | つける薬のない政治家
法務大臣
江田五月


<父、江田三郎について>

父の江田三郎は社会市民連合の初代代表。日本社会党委員長代行、書記長、副委員長を歴任。
岡山県に生まれ、日本の植民地下の朝鮮・京城(現在のソウル)の善隣商業学校で学ぶ。修学旅行で、内地に戻った際、植民地において、日本人がいかに横柄な振る舞いをしているかに気づき、植民地支配について勉強するため、神戸高等商業学校(現神戸大学)に進学した。このころ、労農派のマルクス主義に興味を覚え、社会主義についてさらに学ぶために東京商科大学(現一橋大学)に進学する。しかし、1931年、大学を中退して、郷里に戻り、農民運動の指導者となった。

第2次人民戦線事件に連座して検挙され服役し、出獄後は葬儀会社につとめたり、中国で開拓事業に従事。1946年に日本に引き揚げ、日本社会党に入党し、左派の活動家として頭角をあらわす。

菅直人とともに社会市民連合(社会民主連合の前身)を結成し、その年の参議院全国区選挙への立候補を表明したが、公示直前に肺癌が末期化して急逝し、代わりに息子の江田五月が急遽出馬して、第2位で当選した。


<江田五月のおいたち>

東京大学文科一類入学。教養学部自治会委員長時代に大学管理制度改革に反発し、他の学部とともに全学ストを実行する。このストを指揮したため、責任を取る形で退学処分となる。1年後、学生運動と絶縁し、東大に復学。

政治学科で丸山真男の薫陶を受け、吉野作造の研究に従事する一方、法律の勉強に精を出し、在学中の1965年に司法試験に合格。裁判官としてキャリアを積んでいたが、父の急逝で後継候補として担がれることとなった。

※大学4年の時の対談 「学生運動の今昔」(朝日新聞社発行 「朝日ジャーナル」 1965年11月21日号掲載)

<逮捕歴>
2回逮捕されている。

1回目は300人ほどの学生を引き連れ、自民党本部に抗議に行き自民党総裁との面会を求め、住居侵入で逮捕。
2度目は大学管理法反対運動で逮捕。
退学処分になったあと、東欧へ渡っている。

参考インタビュー

<政治家として>

1977年 参議院議員選挙に社会市民連合から立候補し、当選
1983年 衆議院議員総選挙(旧岡山1区)に社民連から立候補し当選
1985年 社民連代表
1993年 細川護煕を首班とする非自民連立政権に参加し、科学技術庁長官に就任
1994年 日本新党副代表
1996年 岡山県知事選挙に立候補するため、議員辞職→県知事選は落選
1998年 参議院議員選挙に民主党公認で立候補し、当選
2007年 参議院で民主党が第一党になり、参議院議長に就任

死刑廃止論者である。

<辛光洙釈放署名問題>

在日韓国人政治犯釈放の要望書に署名。この中には後年明らかとなる北朝鮮による日本人拉致問題の実行犯である、辛光洙を始めとする北朝鮮スパイ容疑者10名が含まれていた。自らのホームページにおいて「1989年に128人の国会議員で、政治犯として韓国に拘束されていた在日韓国人19名の釈放要求の署名をしたが、その中に拉致犯人がいたことは、当時知らなかった。不明を恥じ、被害者の方々にお詫びする。私としてもさらに検証するつもりだ。」と言及している。


<中国に、言論統制を約束>

2010/10/19 13:46 【共同通信】記事より

 【北京共同】中国を訪問している民主党の江田五月前参院議長は19日午前(日本時間同)、楊潔チ外相と北京市内で会談した。楊外相は中国各地で発生した大規模な反日デモの拡大に懸念を示し「中国国民の国を愛する気持ちは分かるが、それだけではいけない」と指摘。江田氏は「日本国内にも中国をいら立たせる言論はある。それではいけない」と強調した。両氏は中国漁船衝突事件も踏まえ、互いの政治的意思で関係修復を図ることで一致した。


 【北京時事】民主党の江田五月前参院議長は20日夜、北京市内で記者団に対し、19日以降行った楊潔※(※=竹カンムリに褫のつくり)外相ら中国要人との会談の雰囲気について、「友好を進めたいと思っているのに、日本側から阻害するメッセージが伝わってきて困惑している、という感じだった」と明らかにした。
 江田氏は「中国は日中友好を前に進めたいと思っている。(会談では)日本側も同じ思いなので、日本の態度に懸念を持つなら、その懸念は無用だと申し上げた」と語った。中国側の「困惑」は、前原誠司外相が漁船衝突事件をめぐる中国側の対応を「ヒステリック」と批判したことなどが影響しているとみられる。
 江田氏は「日本青少年訪中代表団」の総団長として訪中し、前駐日大使ら日中関係に携わってきた要人と相次ぎ会談した。
 



【閣僚プロフィール】中野寛成(国家公安委員長)

2011年01月14日 | つける薬のない政治家
国家公安委員長・拉致問題担当相
中野寛成



長崎県長崎市生まれ。4歳の時原爆を体験する。
1963年 関西大学法学部を卒業。大学在学中から民社党に入党。
1965年 大阪府豊中市議会議員選挙に立候補し当選
1976年 衆議院議員総選挙に旧大阪3区から民社党公認で立候補し初当選
1994年 新進党に参加。政策審議会長、党国対委員長を歴任。

野党時代の民主党の拉致問題・日朝交渉対策本部副本部長

<在日韓国人への参政権付与運動>

在日韓国人の人権問題に30年間取り組み、その一環として、在日韓国人への参政権付与を主張している。

2009年10月29日、在日本大韓民国婦人会中央本部創立60周年記念式典に参加し、「政権交代のこの機会に、地方参政権を実現したい。政権政党という立場から、議員立法よりも政府自らが責任を負うという意味で政府提案に向け準備している。遅くとも来年春の通常国会には実現させたい。民主党として全力を尽くす」と発言した。

2010年06月12日、日韓国交正常化45周年記念フォーラムで「市長や市議など地域の選挙には、住民の権利として投票権を付与することは必要」と定住外国人の地方参政権の意義を語った。

韓国民潭が主催した当選祝賀懇親会で、「人権後進国ではなく、人権発展国として、この問題こそ解決されるべきだ」と発言。

子ども手当に国籍制限が無いことについて民主党は「かつての児童手当にも国籍制限は無かった」と強弁しているが、児童手当から国籍制限を外したのは中野寛成が推進したことによる。(下記議事録参照)

岡崎トミ子議員といい、中野議員といい、
なぜか国家公安委員長に任命されるのは、朝鮮半島と非常に関係の深い議員ばかりのようです。

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昭和56年03月02日
衆議院予算委員会第三分科会

○中野(寛)分科員
私は、在日外国人、とりわけそのほとんどの割合を占めます在日韓国人の権益の問題についてお伺いしたいと思います。厚生大臣が席を外しておられますので、厚生省以外のことを先にお尋ねをしたいと思います。

きょうの新聞紙上に、ほとんど一面のトップ記事として、法務省の方でレクチュアされた出入国管理令の一部改正につきまして報道がなされております。内容をよく拝見いたしますと、それぞれこれに該当をする皆さんが強く望んでこられた内容ばかりでございまして、また私もこの四年間この場所において訴え続けてきたわけでありまして、そういう意味では心から敬意を表したいと思うものであります。

問題は、大体いつごろ国会へ提出されるのかということと、もう一つ、これはあえて御要望を申し上げたい内容なんですが、退去強制事由の整備というものもなされますけれども、強制退去に関連をいたしまして、たとえば協定永住権者で七年、一般の永住権者で一年以上の懲役の刑を受けますと服役後強制退去をさせられるわけであります。これにつきましては日本の法律に基づいてその刑を受けるわけでありますけれども、それに加えて強制退去という刑を受けるということで二重に刑を受けることになるわけであります。また人情的に考えますと、家族の分散という事態も招来してまいるわけであります。人権擁護の上から考えましても少々過酷に過ぎるきらいがあるのではないかという感じがするわけでありまして、これらにつきましても改めてぜひ再検討をしていただきたい、こう思うわけであります。

もちろん、だからといって安心して犯罪を犯すなどのことがあってもらっては困るわけでありますけれども、それに対しては、日本国民と同様の法律に基づき、そして刑に処せられるわけでありますから、二重の刑を受けるというような形にならないように何らかの措置が検討されてしかるべきではなかろうか、こういうふうにも思います。

出入国管理令の一部改正につきまして、その要点とその提出時期、そしていま申し上げましたこと等につきまして、まず法務省からの御説明、御答弁をお願いしたいと思います。
…………..

○中野(寛)分科員
外国人登録法につきまして、きちっと御記憶をいただいておって、昨年これについては二、三年お待ちいただきたいという御答弁で、きちっとあれから一年たったからということで引き算をしていただいて御答弁していただいたわけであります。どうか、昨年の御答弁、二、三年ということでございましたので、一年引きまして一、二年、できれば来年の通常国会には御上程をいただけるように御努力をお願いしたいと思います。それじゃ、どうもありがとうございました。

続きまして、厚生大臣にお伺いをしたいと思います。

私は、在日韓国人を中心にいたしまして在日外国人の皆さんへの、特に永住権者への、国民年金そして児童手当等、あと残されております国籍条項のございますものにつきまして、何とか国籍条項を外して早く内国人並みに適用をしていただきたいということを御要望申し上げ続けてまいりました。一年目、二年目は残念ながら厚生省からこれといって前向きの御答弁をいただくことはできませんでした。昨年野呂厚生大臣のときにやっと、初めて、前向きに一度検討してみたいというお答えをいただきました。ことしは、質問申し上げる前に園田厚生大臣の方で、難民条約の批准に関連をしてではありますけれども、国民年金等の適用について大臣の方から具体的に検討を指示されたということを各種報道等でも拝見をいたしました、そして今国会にもそれを提出されるという運びになろうかという状態のようでございます。

これらの問題につきましてぜひとも早急に御提示をいただき、でき得ることならばといいますか、ぜひお願いをしたいわけでありますけれども、あの特別措置、いわゆる三十五歳を過ぎた方々に対する特別措置のことも含めましてぜひ前向きに御検討いただき、その実現を改めてお願いをしたいと思います。そのお願いするといいますか御要望申し上げる趣旨については、くどくど申し上げるよりも大臣御自身がもうよく御存じでございます。大臣の今日の決意と、そして現在の作業状況につきましてお尋ねをしたいと思います。
………….

○中野(寛)分科員
時間が限られておりますので先に進みたいと思いますが、ぜひその結論がいい方向に向かって出されますように、文部省としてもなお一層御努力をお願いしたいと思います。

最後に、これは厚生大臣の御所管ではないのでありますけれども、昨年の四月には住宅金融制度というものが社会保障制度に先立ちまして、まあ、言うならばこれも一つの福祉政策でありますけれども、門戸が開放されました。実は、あと残っている一つの大きな問題として、公務員の採用の問題があります。

在日外国人は、国籍が外国であるということのために、永住権者であっても職業選択についてはかなり門戸が狭いわけであります。もちろん自治省等の見解では、公権力の行使または公的意思形成への参画については都合が悪いというふうな通達も出されておるわけでありますが、これらを除外する問題につきましては、むしろ問題ではないのではないか。そして就職上の門戸が開放されることが、ひいては社会的な位置づけについて誤解を招くことも少なくなってまいりますし、そしてまたいい仕事につくことができればそれだけ生活の安定が得られます。また、よく犯罪の発生率が在日外国人は多いと言われる場合があるわけでありますけれども、そういうことについても、職業上の希望が子供の中で生まれるということになりますと、当然これはまたいろいろな面でいい方向に作用していくのではないだろうかと思うわけであります。

内閣の一員として、厚生大臣にはせっかく前向きに年金制度等にお取り組みをいただいておるわけでございますが、これらの問題につきましても御検討をいただき、せっかくの御努力をお願いしたいと思うのでありますが、いかがでありましょうか。


【閣僚プロフィール】片山善博 (総務大臣・地域主権)

2011年01月14日 | つける薬のない政治家
総務大臣・地域主権
片山善博(民間・留任)



慶應義塾大学大学院教授、鳥取大学客員教授。
鳥取県知事(1999年-2007年、2期)。

1974年3月 - 東京大学法学部卒業 4月 - 自治省入省
1979年7月 - 国税庁能代税務署長
1987年6月 - 自治大臣秘書官
1998年12月 - 自治省退職
1999年4月 - 鳥取県知事選挙に立候補 初当選
2000年10月 - 鳥取県西部地震が発生。被災者の個人住宅に対して、日本全国で初めて復旧助成(利子補給)を行うことを決定する。

2003年6月 - 西室泰三地方分権改革推進会議議長(当時)の、国から地方に対する税源移譲の実施先送りの意見書に対し、民主的な手法ではないとし、西室が会長を務める東芝製品を随意契約の対象から外すことを示唆した。

※参考記事 「片山鳥取県知事“不買”発言の波紋」

2007年
4月 - 任期満了に伴い、鳥取県知事を退任。慶應義塾大学法学研究科教授に就任。
5月 - 鳥取大学地域学部地域政策学科の客員教授(非常勤)に就任[3]
7月 - 第29次地方制度調査会副会長に就任。
2009年10月 - 行政刷新会議議員に就任。
2010年9月 - 菅改造内閣にて総務大臣に就任。

 鳥取県知事在任中は、宮城県知事浅野史郎や岩手県知事増田寛也などと並び、官僚出身の改革派知事の代表格として知られた存在であった。2004年7月、読売新聞によって行われた全国世論調査では78%という高い支持率を記録し、これは全国の知事で1位であった。

 しかし、2002年(平成14年)6月の県議会一般質問において、「地方レベルの人権救済制度の必要性」を表明したことを発端に、2005年(平成17年)9月12日には鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例を可決させ、県内外から多数の批判を浴びた。

<人権侵害救済推進および手続に関する条例について>

知事は、「鳥取県人権尊重の社会づくり条例」(平成8年鳥取県条例第15号)に基づいて設置された「鳥取県人権尊重の社会づくり協議会」に対し、「地方レベルの人権救済制度」のあり方、条例案の検討を諮問した。同協議会は、2004年(平成16年)11月に最終審議を行い、この結果を踏まえて、同年12月に知事提案による鳥取県人権救済手続条例案が県議会に提出された。

※この鳥取県人権尊重の社会づくり協議会には、以下のメンバーが入っている。

宇山 眞 ウヤマ スナオ 鳥取県同和教育推進協議会
金 泰鎮 キム テジン  在日本大韓民国民団
朴 井愚 パク チョンオ 在日本朝鮮人総聯合会
安田 寿朗 ヤスダトシロウ 鳥取県弁護士会


同条例案は、当時国会で審議されていた人権擁護法案に類似した内容を持っていたため、同法案に対する批判と同様の批判を受けた。鳥取県弁護士会は、同条例案の問題点を指摘する会長声明を発表し、問題点を解消した上で、改めて議会に提案すべきと主張した。結局、知事提案による「鳥取県人権救済手続条例」案は、提出された12月議会、翌2005年(平成17年)の2月議会、6月議会で継続審査を繰り返し、10月に審議未了廃案となった。一方、知事提案による「鳥取県人権救済手続条例」案の審議において現れた問題点を修正したとする「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例」案が議員提案され、2005年(平成17年)9月12日に県議会で可決成立し、2006年(平成18年)6月1日に施行することとされた。

条例可決が報道されると県内外から多数の批判が巻き起こり、同年11月30日までに鳥取県庁に寄せられた条例に関する意見は1,389件に及んだ。鳥取県弁護士会は、同条例の問題点を指摘する会長声明を発表し、同条例の改廃を求めて同条例施行規則の検討委員会に対する会員弁護士の派遣拒否を内容とする総会決議を行った。

2007年(平成19年)4月、片山の退任に伴い平井伸治が新たに知事に就任。
2009年(平成21年)1月、知事は条例を廃止する条例案を2月議会に提案することを表明。
3月25日、人権侵害救済条例の廃止を含めた「鳥取県人権尊重の社会づくり条例の一部を改正等する条例」が県議会で可決・成立した為、人権侵害救済条例は施行されないまま廃止された。


<言論封殺 >

中国漁船衝突事件以来、政府民主党が外交上の失政を重ねる中、2010年10月20日の官報で突如「民主党の周辺でのデモ活動を事実上禁止」する旨を片山善博総務大臣名にて告示した。


森永卓郎氏をTMJ(Team Melting JAPAN)第1号に認定

2011年01月04日 | 商業左翼マスコミに告ぐ!

Team Melting JAPAN
(日本を溶解させる首謀者たち)


TMJとは、日本という国家を溶解させる首謀者たちの総称である。
栄えあるTMJ(チーム・メルティング・ジャパン)認定第1号は…

森永卓郎(TMJ認定第1号)
…日本の経済アナリスト(評論家)、タレント、獨協大学経済学部教授。元三和総合研究所経済・社会政策部長。専攻はマクロ経済・計量経済・労働経済・教育計画。東京都出身。



<TMJ認定理由>

森永卓郎氏は、2011年1月1日の東京スポーツ(勝間和代との対談)において、「中国バブルの破たんに加え、中国の海軍増強も怖いですね」と話を振った勝間氏に対して、
「私は日本丸腰戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄して、非暴力主義を貫くんです。仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないかと」と発言。

このマスコミ丸抱えオタク有識者は、過去にもテレビ番組において
「とんでもない奴が攻めて来たら、もう黙って殺されちゃえばいいんだと思うんです」
「竹島は韓国にあげればいい」
などの売国発言を幾度となく繰り返してきているが、2011年1月の東スポ対談記事は、中国による日本侵略計画が現実の脅威として迫っている中での、元旦の新聞紙上における「国家解体」「国益消滅」を願望するコメントであり、もはや看過することはできない。

多年にわたり、日本国家消滅のために大きく寄与された功績を讃え、
ここに、森永卓郎氏を、栄えあるTMJ(国家溶解首謀者)第1号として認定する。


なお、このような無教養のコメンテーターを、「有識者」としてテレビ番組やマスメディアに登場させ、「日本などなくなってしまってもよいのだ」などという誤ったメッセージを国民に垂れ流し続けているマスコミも、同罪であることを付け加える。

※TMJ認定者が自らの思想・言論における過ちを反省し、過去の発言を修正した上で
 健全な国家観・歴史観に基づく言論活動を行っているという実績が認められた場合には、
 すみやかにTMJ認定を解除する。



<森永卓郎(TMJ認定第1号)人物ファイル>

※森永卓郎 オフィシャルWEBサイト http://members2.jcom.home.ne.jp/morinaga/index.html



Wikipediaより引用)

■経歴

1973年 - 新宿区立落合中学校卒業。
1976年 - 東京都立戸山高等学校卒業後、現役で東京大学教養学部理科二類入学。
1980年 - 東京大学経済学部経済学科卒業。日本専売公社(現:JT)に入社。
1982年-1983年 - 日本経済研究センターへ出向。
1984年-1986年 - 経済企画庁総合計画局へ出向。
1986年-1988年 - 三井情報開発株式会社 総合研究所へ出向。
1988年 - 三井情報開発株式会社 総合研究所へ入社。
1991年 - 株式会社三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)へ入社。
2006年 - 獨協大学経済学部教授に就任。
2007年3月 - 三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社を退社し、独立。

■人物

父親は元毎日新聞記者で獨協大学外国語学部専任講師であった森永京一で、毎日新聞時代には、政治評論家・三宅久之の上司だった。父親の仕事の都合により、小学校1年生の時はボストン、4年生の時はウィーン、5年生の時はジュネーヴで過ごしている。 海外生活に馴染めず、この頃を最大の挫折と言っている。

■経済アナリストとして

1990年代半ば頃から経済評論家・コメンテーターとしての活動を始める[8]。
「経済アナリスト」という肩書きは森永が最初に使い始めたと言われている。これは森永が『ニュースステーション』に出演する際、会社の業務活動に該当しないとして「三和総合研究所主任研究員」の肩書きの使用が認められなかったため、同番組のスタッフが考え出したものである。
専門の経済評論以外にもおたく的知識、特異なキャラクターを生かし、テレビ・ラジオで活躍。おたく然とした容姿と直截すぎる発言で、ショーアップされた討論番組などではやや損な役回りになる事が多い。
いわゆる「小泉・竹中路線」(聖域なき構造改革)に反対の立場で、新自由主義や市場原理主義は構造改革の名を借りた弱者切り捨てだとして強く批判している。

著書などで早くから「年収300万円時代」を予測し、程無くして「ワーキングプア」が社会問題として注目された。近年では国民の9割が年収100万円以下になる「年収100万円時代」を予測している。
日銀の量的金融緩和政策と政府による減税および社会投資の前倒しによる景気回復を主張してきたが、現在はスポーツ紙上で大インフレ時代の到来とその恐怖を訴えている。また、不況下の歳出削減や特殊法人改革には「どんな理由でも景気に悪影響しか与えない」と様々な改革を批判している。
森政権の頃から、日銀および財務省の政策を一貫して批判。週刊誌のインタビューで「私を日銀総裁か財務大臣にしてくれたら、半年で景気回復させます。もし出来なかったら死刑になってもいい」と豪語し、周囲の人を心配させた。

■外交政策

一般的な国防の意義を否定しており、軍事力を重要視する価値観に対しても否定的である。よって、日本国憲法第9条の改正やいかなる戦争にも反対している。
森永卓郎オフィシャルWEBサイト 


2004年3月29日放送の『ビートたけしのTVタックル』において、憲法改正について反対し「仮にとんでもない奴が攻めて来たら、もう黙って殺されちゃえばいいんだと思うんです」「世界の歴史の中で、昔は日本という国があって、戦争をしなくって制度を守るんだって言い続けて、ああそんな良い民族が居たんだなぁと思えばいいんじゃないですか」と発言している。その他にも「北朝鮮が攻めてきたら竹やりで対抗すればよいから、自衛隊は要らない」と言い放った。一方で「戦争になったら自分はアメリカに逃げる」などと発言し、同番組ではこの発言を度々ネタにしている。

また同番組内で竹島問題を取り上げた時も「韓国にあげればいい、東京都内だって外国の投資ファンドに買われている」等と発言、同席者から「竹島は武力による占領状態で日本の主権を無視しているが、投資ファンドは日本の主権を認め法律を守り、税金も払っている」と反論された。

『太田総理』では、燃料費高騰で困窮する漁民や運送業者を救済する燃料費補助の予算財源について、「防衛費を1-2年ゼロにすればいい。どうせどこも攻めてこない」と発言している。

2011年1月1日の東京スポーツ(勝間和代との対談)では、「私は日本丸腰戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄して、非暴力主義を貫くんです。仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないかと」と発言した。


■移民受け入れ政策

日本経団連による移民受け入れ政策には、「亡国の政策」であるとして反対を表明している。「もしこの施策が実行に移された場合、もっとも不幸なのは日本にやってきて働く外国人である。受け入れ態勢が十分に整わないまま、単なる低賃金労働者として移民させられれば、ありとあらゆる差別が起こるのは目に見えている。」と危険視している。


■麻生政権への批判

2008年の自由民主党総裁選挙では「経済復調に最良の総裁は100%麻生さん。財政出動はバラマキだと批判されがちだが、お金がない庶民に配るのが常道だ。きちんとした景気対策を打ち出しているのは麻生さんだけ」と彼の公共投資による経済政策を評価していた。にもかかわらず、麻生が内閣総理大臣に就任し、おたく文化に理解があると報道されると「麻生総理はメイド喫茶やコスプレショップに立ち寄ったことはない。おたくの味方などではなく、すべては選挙のためのイメージ戦略」と断言している。その後、麻生政権が長期化していくと、「麻生太郎は居座りテロリスト。一番迷惑するのは日本国民」と主張し、早期の解散総選挙を求めていた。

2009年3月5日放送の『スーパーモーニング』で当時の民主党代表小沢一郎の公設第一秘書が西松建設事件に絡み政治資金規正法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕されると、麻生が指揮権を発動させて逮捕を阻止しなかったことを激しく非難した。

また、同年3月9日放送の『ゴールデンラジオ!』では、「50キロ制限の車道を52キロや53キロで走るくらいではあまり捕まらない」と例えて、政治資金規正法における収支報告書虚偽記載という形式犯事案を、小沢本人の収賄を前提とした政治的関与にまで発展させて問題視する世論にも疑問を呈した。同年3月23日のコラムでは、自分の主張が世間に受け入れられなかったことに戸惑いながらも、この事件は小沢一郎と民主党のイメージを落とすことを目的とした麻生太郎による陰謀であり、世論を「小沢悪者論」に傾かせることに見事に成功したという陰謀論を展開している。

なお、同コラムでは「『国策捜査の可能性があるのではないか』と遠回しに述べたところ」などと発言しているが、実際には、前述の『スーパーモーニング』において遠回しにではなく、直截に「麻生さんですよ。検察動かしたの!」と断言していた。 2010年4月28日の『スーパーモーニング』で、小沢に対し東京第5検察審査会が「起訴相当」の議決を行った事について「プロ(検察)が不起訴と判断したのに素人が口出しするなんておかしい」とコメントした。『スーパーモーニング』では過去に民主党の不祥事を取り扱った時はコメンテーター全員が「検察の横暴だ」等と擁護をするコメントを出していた。


<現在出演中のテレビ番組>

THE・サンデー NEXT(日本テレビ、2008年10月 - )コメンテーター
秘密のケンミンSHOW(読売テレビ、2009年7月 - )「ローカルビジネスサテライト」コーナーに出演
情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ、2008年4月 - )金曜日パネリスト
がっちりマンデー!!(TBSテレビ)不定期
がっちりアカデミー!!(TBSテレビ)不定期
番組内ショートドラマ「トク川刑事の事件簿」(今後あるかは不明)- トク川刑事役
みのもんたのサタデーずばッと(TBSテレビ)不定期
Nスタ(TBSテレビ、2010年4月 - )コメンテーター(週1回程度(主に月曜日)出演)
ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日)年3~4回出演
スーパーモーニング(テレビ朝日、2007年10月 - )水曜日コメンテーター
tvk NEWSハーバー(テレビ神奈川、2006年7月 - )毎月最終水曜日
INsideOUT(BS11)コメンテーター ※不定期
愛川欽也 パックインジャーナル(朝日ニュースター)不定期