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尖閣有事 日本政府最悪のシナリオ
オスプレイが沖縄を守る!
ありがとう沖縄、ありがとうアメリカ

NHKスペシャル「沖縄平和の代償」 偏向報道の記録 5

2010年12月09日 | 過去記事倉庫



当時のアイゼンハワー政権の内部文書など、300万点を所蔵する大統領図書館。
ここにアメリカの思惑を伺わせる報告書が、残されていました。


朝鮮戦争で司令官を務めた、
ジェームズ・バンフリート元陸軍大将。
大統領からの特命で、半年にわたって、
日本など東アジア状勢を調査しました。





その中間報告は、当時の日本について、こう指摘しています。
「戦争の悲惨な体験から、国民には反戦の意識が非常に強い。アメリカ軍が存在し続けると、国民の間に反米感情が高まりかねない」




<ニュース映像が流れる>

「石川県内灘町試射場の問題は、6月13日、政府側が一方的に強制接収を……」


日本が独立を回復した1952年以降、
各地でアメリカ軍基地への反対運動が起こり始めます。




数多くの基地をそのまま起き続けることは、難しくなっていました。



「アメリカ軍および政府代表は、激しい怒号を浴びながら、かろうじて引き上げてゆきます」




行き場を失ったアメリカ軍。
バンフリート元大将は、こう報告しています。
「沖縄は、大きな潜在力を持っている。
多くの部隊を引き受ける訓練場や施設をつくることができるからだ」


海兵隊の元将校で、その歴史を研究してきた、アラン・ミレット博士。


当時、沖縄がアメリカの施政権下にあったという政治的理由が重要だったと指摘しています。

アラン・ミレット博士
「日本の住民との衝突を減らすには、部隊をしっかり管理し、兵士たちを隔離するのが一番です。それにはアメリカの施政権下にあった沖縄が、本土より適しているのは明らかでした。」


さらに沖縄はと問いの賃貸料が安く、
海兵隊の駐留費用を大幅に節約できたのです。




海兵隊の移転先に、沖縄を選んだアメリカ。

当時の「基地建設計画」を入手しました。
新たに土地を接収する地域として、まだ基地がなく
開発も進んでいなかった沖縄本島北部に目をつけました。


その一つが、現在の名護市辺野古です。



海兵隊基地、キャンプシュワブの建設計画が明らかになった、辺野古地区。



55年前の人口は、およそ500。


生活の糧としていた田畑や山林が奪われるとして
当初、多くの住民が反対の声を上げました。




NHKスペシャル「沖縄平和の代償」 偏向報道の記録 4

2010年12月09日 | 過去記事倉庫
住宅の上空で、ヘリコプターにぶら下がる兵士たち。
(路上には三輪車で遊ぶ子どもの姿)



沖縄のアメリカ軍の6割を占める海兵隊です。



いち早く敵地に乗り込むことから、殴り込み部隊とも呼ばれる海兵隊。
(訓練で、敵兵役を激しく殴打する場面)



しかし、戦後しばらく沖縄には海兵隊の部隊はありませんでした。



1953年、岐阜で撮られた映像です。


一般の市民に混じって、電車に乗る海兵隊員の姿がありました。



実は戦後、海兵隊は沖縄ではなく、
日本本土に駐留していました。



沖縄戦の時、上陸作戦の主力部隊を務めた海兵隊は、
終戦とともにいったんアメリカ本国に帰還。


その海兵隊は、朝鮮戦争をきっかけに、再び日本に派遣されます。
この時部隊が置かれたのは、関東や関西など、
本州各地にあったアメリカ軍基地だったのです。

神奈川県湘南海岸。
江ノ島を臨む若者に人気の海岸にも、かつて海兵隊の姿がありました。




茅ヶ崎ビーチと呼ばれたアメリカ軍基地。
海兵隊と陸軍による共同訓練の映像です。
本格的な上陸演習のできる海岸として、
連日のように訓練が行われていました。


しかし、駐留を始めて4年。
海兵隊は本土の基地から次々と姿を消します。



その海兵隊の移転先とされたのが、沖縄。
その理由は何だったのか。






NHKスペシャル「沖縄平和の代償」 偏向報道の記録 3

2010年12月09日 | 過去記事倉庫



普天間基地のすぐ横にあります住宅地に来ています。
アメリカの安全基準に照らしてみても運用が認められないと指摘される、危険な基地です。



住宅や病院、小学校の真上を低空で飛び、
海兵隊を乗せたヘリコプターが頻繁に離発着する、危険な基地です。
(遠くからヘリコプターが飛んでくる)





先週、沖縄県民は普天間基地の県内への移設を拒否する、
そうしたメッセージを突きつけました。

日本政府は普天間基地の名護市辺野古への移設を、
規定どおり進めるとしているんですけれども、
先週の選挙結果を受けてその見通しがまったく立たないどころか、
仮に県民の声に反して移設が規定どおり行われれば、
在日米軍基地、この沖縄にある在日米軍基地全体への反発が高まり、
日米同盟全体を揺るがしかねないと指摘する声も上がっています。




この沖縄には陸海軍三軍に加えて、大きな部隊が常駐する海兵隊の基地もあります。
日米同盟だけでなく、アメリカの軍事戦略上の要とされている沖縄ですけれども、
世界的に見てもけた外れに基地が集中する、異常な状況が続いています。

シリーズ日米安保50年、2回目の今日は、
日米安保体制を事実上支えている沖縄への基地集中を見つめてまいります。



この沖縄への基地集中ですけれども、
終戦直後、実は沖縄ではなく本土に基地が集中していました。
それが1950年代になって、沖縄の割合が急速に高まっていきます。



なぜこの時期に、沖縄への基地集中が始まったのか。
取材を通して見えてきたのは、
「地理的に重要だから」というこれまで語られてきた理由では
説明できない事実があったのです。