気分はいつも、私次第

『関心領域』<2>

・・・・・・・・・・・・続きです


色んな解釈や感想があると思います(当然だね)
私は、「人と人のつながりが、人を人にさせる」
「人とつながることで、人になっていく」「人になれる」
そんな・・・なんかシンプルなことを思いました。
これが、私のこの本から得たものです。だから私の中では重要です。
まさしくこれが私の「The Zone of Interest」ですね。

トムゼンの親友ボリス。武装親衛隊上級大佐、です。
が、物語の中では「大尉に降格中」の立場で登場します。
トムゼンと同じような年齢でしょうから、出世頭だったのでしょうか?
ボリスに関しては、この背景がなければ、「好青年」にもとれる描写です。
ではなぜ降格したのか・・・
ボリスはエスターという元バレリーナ?の被収容者の美しさに魅了され
勝手に(エスターの意思は無視して)庇護者になっている。
そのトラブルで、結果降格となってしまった、ということです。
ボリスにとってエスターは、性的な欲望を持つよりも
父親のような・・・守ってやらねばという気持ちになる、と。

ドルの妻ハンナに恋したトムゼンも、徐々に気持ちが変化してくる。
夫ドルを軽蔑し(ちゃんと理由がある)、
精神的に追い詰めようとするハンナの心理が、
ドルが行っているアウシュヴィッツの「様々な出来事」を混ざり合い
ドルへの嫌悪がアウシュヴィッツへの嫌悪を同化していく・・・
恋のライバルであるドルを、トムゼンが嫌うのは当然であるものの
そこでアウシュヴィッツへの疑問や異様さへの理解不能などが加わる。
考え始めたトムゼンは、目の前で起こっていることに真の意味で
「気が付いてくる」

「人と人との関わり」が収容所では、とても重要だったようです。
被収容者の中でも、そういうことが「生き残るため」に必要だ、
とされていました。
年少者を庇護する年長者。こういうパターンが多かったようです。
中には「性的関係」が目的で、もあったようですが。
(被収容者同士、被収容者と管理する側等々)

分かりやすく言いますと
「子どもを亡くした父親or母親が、幼い子の親代わりになる」ってことです。
それが色んなパターンがあって、ですね。
年少者は当然生き残るために守ってもらえる。
年長者も守ろうとすると考えるし、責任感も出てくる。
生きようとする意欲が出てくる。「私が死んだらこの子は・・・」
それが生き残ることに繋がる・・・なんですよね。
またグループを作り、励まし合い助け合うことも。

ドル家で庭仕事をしていたボフタンも、少年のドフを助手としていました。
どちらも被収容者です。
しかしボフタンが、ドルの身勝手な面目の犠牲者となり去って行く。
(って殺されるのですけどね)
その後のドフは?
ハンナは気になります・・・そしてさらにドルを憎む。

ある夜、ハンナはドルの前でスリップ姿になる。
そして夫に問いかける。
「知っているの?」
「死んだ女性のうちの、どの人からこれを盗んだのか知っているの?」

移送されてきた女性から下着を盗ってきたのか。
綺麗だから妻にプレゼントしようかと考えた?
死んだ女にはもう必要ない。だから・・・別に大したことじゃない?

こうやって・・・ハンナも考えが変わっていく・・・。

私、「なぜトムゼンがボルマンの甥設定なのか?」と???でして。
「ドルより高位からの情報を入手できるってことかな?」と思ったのですが。
それもあるでしょうが・・・ボルマンの妻ゲルダを登場させたかったのかな。
と思ってきましたね。

ゲルダは夫ボルマンに忠実です。というか国民社会主義に忠実です、です。
帝国のために子どもを沢山産む・・・女の、母の務めである。
ゲルダは、ナチ高官の妻ですが、あまり表舞台に出てきません。
(って夫のボルマンも出てこないが。裏でヒトラーに影響を与えてだから)

とにかく、ヒトラーを信じ、夫を信じ、って感じの女性です。
一時期、夫の愛人を家に招いて同居させていた・・・が有名な逸話かな?
「私が妊娠中で、夜に夫の相手ができないから、愛人に相手を・・・」
という発想らしいです。
小説では、育てたトムゼンを気に入っているようです。
トムゼンも伯母に優しい・・・
何も考えない伯母に・・・

ゲルダとハンナは、容姿が似ているような描写があります。
しかし決定的に違うことがある。
ハンナは考える。ゲルダは考えない。
この対比は、私はなかなか象徴的だなって思いましたね。
この小説、女性への扱いは、なかなか・・・厳しいです(そう思うよ)
その中で、ハンナは考えようとする。おかしいことに気付く。
そういう女性を出したことは・・・これは拍手!だと思います。
トムゼンが恋した視線でハンナを見るから、ハンナ描写、多いです。

って!今思ったけど!!
真の主役はハンナか????あ、そうなのか・・・(エッ?笑)

ラストに・・・戦後数年が経過してから、トムゼンとハンナは再会します。
ってトムゼンが根性で探したのですが・・・
ドルは処刑されています。その後の生活、娘2人と両親との生活。
ドルの妻としての立場が、どれだけ辛いか。
トムゼンはハンナとの仲を発展させたいと思っています。
しかしハンナは・・・そういうことはもういい、と・・・「萎れたの」と。
そこでトムゼンは言います。
「(萎れたという権利は君にはない、という意味合いを言って)
 ・・・もう立ち直れないという権利があるのは被害者だけだ。
 そして、そういう者はほとんどいない。
 人生をやりなおすのに必死なんだ。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 きみはずっと夫の被害者ではあったけど、逃げ場のない被害者ではなかった」

この会話の後も2人は話し合います。

自分を哀れむハンナ。
自分たちはアウシュヴィッツから立ち直る権利がない、と。
しかしトムゼンは、言う。
ってこのトムゼンの言葉は、恋するハンナの好意を得たい感、満載で(ゴメンね)
それも含めて・・・ハンナの人生を語っている点が・・・上手いなぁって思いましたね。
単に、「ハンナの人生を大切にして欲しい」なら・・・どうでしょ?
ここにトムゼンの欲=ハンナの好意を得たい、が加わることで
人生という悲喜劇・・・「酸いも甘いも人生にゃのだ」by銭天堂(笑)
ちょっとね・・・「これが小説の力、醍醐味」だと思いましたね(うんうん)

ここでトムゼンの言葉を紹介します。
「いや、ちがう。きみは闘士だ。
 ドルが目に痣をこしらえたときみたいに。(ハンナはドルを殴ったのよ)
 パンチを一発 
 ・・・ああ、きみはまるでボリスじゃないか。闘士だよ。
 それがほんとうのきみだ」

親友ボリスは戦場で死亡したようです。
階級が戻って、ボリスは戦地に赴きました。
ここでトムゼンは、ハンナを親友のボリスのようだ、と言っています。
大切で何人にも代えがたい親友と同じだ。君はその親友と同じだ。
最初は容姿だったけど、恋し続けたのは容姿だけではない。
その心の中、理不尽さに甘んじない勇気と気概。
そう、まるでボリスと一緒だ。だから側にいて欲しいんだ。

と勝手にトムゼン君の心情を想像しましたが・・・スンマセン。
高尚で小難しい小説が、お笑い系に・・・長く書いているからナァ(笑)

2人は別れます。一旦は。トムゼンは仕事に戻らないと、です。
でも、手紙のやり取り、また会いに来ると告げます。
ハンナも、それは了解です。

ハンナの言葉
「あの場所から幸せな何かが生まれるなんて、どんなにぞっとすることか」
これも、分かります。トムゼンとハンナでは立場が違うのですから。

さて、また来る、と言い残しトムゼンは去ります。
そしてこの物語は終わります。

さてさて、読み終わった方には何が残ったでしょうか?
私は、肌に纏わり付く不快さ、その臭いを感じる粘着性。
それは最も強く感じたことでした。
そんな中にいても・・・人と人はつながりたいと願い、つながっていく。

そういうも物語だったんだなって。


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