goo blog サービス終了のお知らせ 

気分はいつも、私次第

アルトゥール・ザイス=インクヴァルト

 第2次世界大戦、ナチスの高官。ニュルンベルク裁判にて、1級戦犯として有罪の判決を受け、1946年10月、絞首刑。で、ここで彼の様々な悪行について書くことはしない。そう言う事の概要は、ネットで調べれば出てくる事だし、ここは、私の場所だから、私がどう考え、どう感じているのかを、吐露する事に専念する。相変わらず、自分勝手&不親切な場所だ。

 私が、ザイス=インクヴァルトに興味を持ったのは、「ニュルンベルク軍事裁判」(E・パーシコ)を読んだ時からだ。この本には、ニュルンベルク裁判で1級戦犯として法廷に臨んだ被告の写真が掲載されている(全部じゃないけれど)。まぁ、刑務所内で撮影されたものが多いと思われ、彼らが意気揚揚としていた時代に比べると、うらぶれた印象があるのは仕方がないだろう。その中で、ザイス=インクヴァルトは、申し訳ないが、何処を見ているのか分からないような表情をしていた。勿論、ポーズをとる訳ににもいかないし、いきなり撮影されたのかも知れないが、とにかく他の被告達とは、ちょっと違った印象を受けた。ところが本文では、殆ど出てこない。被告中、最も目立たない被告の1人、と言われているようで、全くその通りの扱いだ。この刑務所で、アメリカの精神科医が被告達の知能検査を行なった。これは有名な話で、これだけの事を成し遂げた被告達の知能&人格に、その原因を見出そうとの試みの1つであろう。ところが医師の予想の反して、殆どの被告は優秀であり、その中でも数人はある意味優れた数値を出して来た。一般的には、第1位はシャハトであり、またある書籍では2位はゲーリングと書かれているものもある。私が関連本数冊読んだ限りでは・・・。この検査では、当然年齢に応じて加点が行なわれる。加点前の粗点では、ザイス=インクヴァルトが第1位である。加点をすると・・・シャハト、ザイス=インクヴァルトとなり、その後ゲーリングとデーニッツが同じ点数、という事らしい。加えて、ザイス=インクヴァルトは法律家であり、もと弁護士である。法律家として、裁判の行く末、つまり自分の運命を見誤る事無しに考えられたのかも知れない。裁判中の態度は、無罪を主張し(って被告は皆無罪を主張)弁明しただろうけど、終始諦めムードが漂っているような印象だったらしい。

 DVD「ヒトラーの建築家」は、ヒトラーお気に入りの建築家であり、後に軍需相として戦時中のドイツに貢献した、シュペーアの物語である。この作品の中でニュルンベルク裁判の場面は、何度も見た。と言うのは、裁判中被告席のシュペーアの隣にザイス=インクヴァルトがいるからだ。シュペーアは有名であり、ニュルンベルク裁判の映像でも結構写っている。隣のザイス=インクヴァルトも何とか見える。これを繰り返している自分が、ちょっと哀れなときがあるが。

 さて、ザイス=インクヴァルトを捜しての旅は、「ニュルンベルク裁判(マーザー)で、ちょっと一息入れる事が出来た。ここでは、他の被告同様のページ数で証言等が書かれていた。ネット古本屋さんを探して捜して捜し捲くった甲斐があった。ここでは、裁判中の発言と共に、刑務所内の医師や牧師との会話もあるのだ。これは有難い。ここでのザイス=インクヴァルトは、自分の運命を受け入れ、他の被告に罪を被せて自分が助かろうとする行為が余りなく(全然無いとは、言えないだろう)、ちょっと悟った状態風に読み取れる。牧師や医師との会話の中で「幸福な時代に第一列にいたものは、不幸になるとこそこそと逃げ隠れすることがある」(「ニュルンベルク裁判」マーザー)という言葉があった。裁判中は、各被告の差がありはするが、罪の擦り付け合いは当たり前であった。ザイス=インクヴァルトも無縁では無いだろうが、その限界や諦めもあったのだろうか。

 前述のシュペーアは、知的階級出身者であり、洗練された身のこなしや会話等で、検事側の好意を得たとも言われている。シュペーアは軍需相として、強制労働所からの労働者をドイツの軍需産業に従事させ、その言葉に表現できない劣悪環境で労働力を搾取した事が法廷で問われていた。つまり、シュペーアは、その非人道的な環境を承知して働かせていたのか、という事である。対して労働戦線長官として、各占領区域から労働力を掻き集め移送したザウケルがいる。シュペーアとザウケル。この2人の罪の重さが、当時から争点とされてきた。結果は、ザウケルは絞首刑。シュペーアは禁固20年である。ザウケルは判決に不服を申し立てた。しかし労働階級出身であり、ただ自分は命令に従っただけだとの主張を繰り返すだけのザウケルに、冷たい視線が向けられるだけであった。
 
 判決後、絞首刑までの短い間に、ザイス=インクヴァルトはザウケルに、慰めの手紙を書いている。裁判中から、被告同士が手紙のやり取りをしていたかどうか、明確に書かれていないが、「ニュルンベルク裁判」(マーザー)では、その手紙が掲載されている。同じ絞首刑なのだから、慰めるといっても、自分も同じだろ、って思わない事も無い。私の完全な推測だが、シュペーアとの差に、同情を禁じえなかったのかもしれない。sの手紙の内容は、先ず「我々は総統(ヒトラー)の命に従ってこう言う事をやってきた。やった事は事実だし、その時はドイツの為になると信じて行なったのだから、そう悲観する事も無いだろう」と言う調子である。そして「あなた(ザウケル)の犠牲は、将来のドイツに有益である。あなたの死によって、ドイツ国民は、こう言う行いは罪になるのだという教訓を見出し、それが将来のドイツにしっかり根付く事になるからである」ウ~ム。一国を動かすような人達の発想には、驚かされる、と凡人な私は思った。正直ザウケルが、これで慰められたのだろうか、と危惧さえした。そして「我々に対する最大の非難は、我々が国民の生存の戦いに必ずしも全力を尽くさなかったという事」と書いている。ウ~ム。つまり負けた、という事か・・・?そして「勝利の日に我々は第一列に立っていたのだから、不幸な時に最前列に立つ権利がある」これは、彼が何度も繰り返す言葉である。ザウケルへの手紙は、単にザウケルに同情して書いたのか、それとも自分に言い聞かせる為に書いたのか、分からない。多分、前者が大きいのかも、と私は思っている。

 全く人となりが分からないのだが、「第三帝国の神殿にて」(シュペーア)にて、ヒトラー自殺後にデーニッツ中心の政権下の構想時の事が書かれている。ドイツは避難民で混乱しており、ナチス高官も一般兵に紛れ込んで逃げる者も出てきた。その中で、ザイス=インクヴァルトは、オランダ行政長官という立場から、オランダ→ドイツにやって来て話し合い、またオランダへ引き返していったらしい。オランダの財産や不動産等はそのまま、連合国に引き渡すと約束して、捕まるのは承知で引き返したらしい。この中でシュペーアはザイス=インクヴァルトを、勇気ある人と表現しているが、人道的な勇気では無いようだ。責任という意味なんだろう。それだけ当時責任ある者達の行動が、支離滅裂だったのだろうか。勝手に推測してみる。

 「ニュルンベルク・インタビュー」(ゴールデンソーン)は、この被告達、そして証人達へのインタビューが、ズラズラッ掲載されている有難い本である。ところが!ザイス=インクヴァルトのインタビューが無い!そりゃ無いだろう・・・・って気分で読んでいた。あの有名なゲーリングの所で、ザイス=インクヴァルトに関する事が書かれていた。アァ~という気持ちでその僅か数行を何度も繰り返して読んだ。「・・・裁判にかけられるに値する大物は、私、シャハト、それから・・・・リッベントロープ・・・・フリックぐらいだ。ひょっとするとそのほか数人の者、たとえば、ローゼンベルクとザイス=インクヴァルトも含めてもよいかもしれない。残りは手下であって・・・・」(「ニュルンベルク・インタビュー」ゴールデンソーン)ゲーリングの言う事も、100%信用する事も無いが、まぁ言及してくれたので、と言う感じである。そしてもう1人、シュトライヒャーも「・・・・ザイス=インクヴァルトは・・・・答弁には成功したが、罪状が多すぎるので四苦八苦していた。彼はいやというほど責任をとらなければならない」(「ニュルンベルク・インタビュー(ゴールデンソーン)とまぁ、こう言う具合である。

 いや、書いてはいるが、どういう人物なのか、見当がつかない。どうも理想主義であることは確からしい。彼には、自分の理想としたドイツがあったのだろう。絞首台での最期の言葉は、「この刑執行が、第二次世界大戦の悲劇の最終章であること、そしてこの大戦の教訓がこれから引き出されるよう、諸国民の平和と理解が成就去れことを希望します。私はドイツを信じます」(「ニュルンベルク裁判」マーザー)彼の信じたドイツ。彼の理想の中のドイツ。それを私は知る事は出来ない。しかし、そのドイツは多くの人々の血と涙で築き上げなければ完成しなかったのだろうか。そんな陳腐な質問の答えは、多分頭脳明晰は彼なら、知っていたと思う。知っていて、行なったのだ。それが彼の罪だったのでは無いだろうか。

コメント一覧

初めまして
むーさん>初めまして&コメ、有り難う御座います。
遅くなって、大変申し訳ありませんでした。

時々しか、ココを覗かないというダメダメ振りで・・・
+、コメをいただけるとは、全く予想していなかったので・・・

『ヒトラーの子供たち』>私も、読みました。
どうもザイス子供さん方は、ガチガチのようだったそうです。
『アンネの伝記』(メリッサ・ミュラー)の巻末部分ですが
ザイスの孫息子さんのことが、掲載されています。
孫息子さん=ヘルムートが、
1989年アンネ・フランク財団へ、活動を支援したい、という主旨で
接触してきた、という話が掲載されています。
「彼は、戦後もナチ思想を捨てなかった父親やおばたちとは、
一線を画していた・・・」
と、書かれています。

あぁ、仰る通りです。
オーストリア出身者は、特に汚い仕事に、はあったようです。
『人間の暗闇―ナチ絶滅収容所長との対話』という書籍は
トレブリンカ収容所長シュタングルとの、インタビューがメインなのですが
シュタングルは、オーストリア警官だったので
オーストリア出身者の、そういう部分が、書かれていましたね。

また、ゲッペルスの言葉ですが
「オーストリア人は、生まれながらの支配者階級だから
 (人間の)管理等々に長けている・・・」
的発言をしていたようですね・・・
言葉は違うと思いますが、主旨はこんな感じで。

オランダでは、ザイスはじめ、オーストリア人が多数活動していたようで
「オーストリアン・マフィア」と呼ばれていたそうです。
アンネ・フランクの隠れ家への捜索も
オーストリア人の警察関係者、だったと思います。

・・・・ザイス、に御興味が?
むー
アルトゥール・ザイス=インクヴァルト
初めまして。むーと申します。

アルトゥール・ザイス=インクヴァルトの名前を検索致しましたらこちらにたどり着きました。

ナチス幹部の子供たちを取材した「ヒトラーの子供たち」という本によりますと、ザイス=インクヴァルトの娘を取材しようとした所、父は理想主義者でした、父は死刑になるような人物ではありませんと厳しく言われ、取材ができなかったようです。

ザイス=インクヴァルトはオーストリア出身ですが、スラブ系の血を引く人物も多かったオーストリア出身者はナチスドイツでは一段低く見られたそうです。それだからこそいっそう評価されたいと思い、汚い仕事にも手を染めたのかもしれませんね。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Arthur Seyß-Inquart」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事