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気分はいつも、私次第

ヒトラーの絞首人<4>

・・・・・・・・・・続きです


しかし、私が注目するのは、
ハイドリヒのボヘミア・モラヴィア保護領の総督代理時代のことです。
これは珍しいし、本では、とても詳しく記述してあります。

ヒトラーは、このハイドリヒの統治を大絶賛していました。
まさしくドイツのための統治・・・・
チェコ人を働かせ、ドイツが搾取する・・・理想的だ
このチェコの統治は、「飴と鞭」を組み合わせた政策です。
またナチスは、チェコ侵攻直後から、レジスタンス等の壊滅に乗り出し、
特に市民を先導できる指導的立場の人々を逮捕、そして処刑・・・

最初の統治者が、温和政策であると不興を買い
その後任者として、ハイドリヒが登場します。

余談ですが、本日2017年3月31日現在
東京・国立新美術館でミュシャ展が開催されていますよね。
目玉である『スラブ叙事詩』・・・
これが原因で、ミュシャはナチスに逮捕され、厳しい尋問を受けます。
ミュシャの作品は、愛国心を刺激する危険がある、が理由です。
う~ん、年代等を確認すると
ハイドリヒ着任以前かなぁ~て思いますがね。

話を戻します。

この恐怖が静まってくると、今度は労働者にちょっとサービス。
食糧配給を増やそうとしたが、どうもドイツに送る量が減ると、断念。
次の作戦・・・休日を増やし、旅行の無料や格安で提供、
また娯楽の機会も増やすことで、労働者をいわゆる「生かさず殺さず」統治で。
一部の労働者は、ドイツへの犯行意欲が失われていっている・・・
との情報が、ロンドンのチェコ亡命政府に伝わる。

これは・・・困った・・・
ロンドンには、多くの国の亡命政府があり、英国から支援を受けている。
亡命政府は、故国に檄を飛ばし、内側からの反抗を促さねばならない。
チェコでは懐柔されているので・・・・と危機感を募らす亡命チェコ政府。
ここで、ちょっと英国の情報関連機関のアレコレも加わり・・・暗殺計画が水面下で。
しかし、チェコに潜伏するレジスタンス組織は、この暗殺計画に大反対。
悪名高きハイドリヒの復讐を考えると・・・いや、考えられない程恐ろしい結果になる。
だから止めて欲しい・・・と切実に訴えるが・・・ロンドンは計画をやめようとしない。

もう、チェコの組織は
「あんたたちは、安全な場所(=ロンドン)から、なんとでも言える。
 実際、酷い目に遭うのは、ここにいる我々だ」
と・・・・いや、正論ですね。

しかし暗殺計画は、最終的には実行になる。それが、どのような結果になったかは・・・
リディツェ村の惨劇、ですね。
また他の地域でも、同じような悲惨なことが起きています。
ヒトラーは、完全に復讐に燃えてしまって・・・・で、気持ちを落ち着かせることに苦労苦労。

最後にはヒトラーも、チェコの重工業は戦争続行に不可欠と理解し、
チェコという国を潰してやる、は撤回。
その後、後任のカール・ヘルマン・フランクが、厳しく過酷にチェコを支配します。
ちなみに戦後、カール・ヘルマン・フランクは、
戦後プラハの裁判で有罪になり、絞首刑となります。

・・・・・・ちなみに、昔ですが・・・・・
「ハンス・フランク(ポーランド総督府総督)の絞首刑の映像」と銘打っていて、
私は、大喜びで(失礼)見たのですが・・・
ハンス・フランクは、ニュルンベルク裁判で有罪、絞首刑になったのですが。
まさか、ニュルンベルクの絞首刑の映像???????????????????!
と半信半疑で・・・ほ~ら違ったわ・・・ああああああああぁぁぁぁぁ

カール・ヘルマン・フランクの絞首刑映像でした・・・だから、混同するなって!!!!!

ゼイゼイ・・・言ってやったぜ!!!(バカ・笑)

ここで、アルベルト・シュペーアの言葉を本から抜粋しておきます。
ハイドリヒがチェコ統治時代、シュペーアが訪れています。
シュペーアは、建築家なのでその関連の話をしていますね。
その時のことを、戦後述べています。


*************

・・・しかし、チェコ文化を掘り出し
究極的には根絶することを目指したハイドリヒの文化的帝国主義は、
決して学問の世界に限定されたわけではない。

それはまた建築分野にも及んだのだった。
一九四一年十二月、アルベルト・シュペーアが、
チェコ建設労働者をドイツ本国に派遣してもらうべくプラハを訪れて
ハイドリヒと交渉した際、両者はプラハの今後の建築についても話し合っている。

ハイドリヒの目標の一つは、プラハを、
バルカン地方や東方占領地へのナチ帝国の玄関口にふさわしい、
活気溢れる、ドイツらしい都市に変えることだった。
二時間の市内観光の後、
ハイドリヒとシュペーアは、戦勝終了後プラハを
ドイツの都市として再建するための建築プランをあれこれ論じ合っていた。

新しいドイツ大学、ドイツ・オペラハウスを建築しなければならない。
城の周辺には新しいドイツ政庁の庁舎群も必要だ。
プラハの周囲に一本の環状道路をめぐらせ、
これをドイツのアウトバーン・システムと連結させよう・・・・・
シュペーアは、ハイドリヒが、建築関係の会話においても、驚くほど率直であることを知った。

戦後、彼は次のように語っている。

 大管区指導者たちとは大違いだった。
連中は勝手な御託を並べて、技術的にも建築学的にも不可能な計画を押し付けてくる。
たぶん彼らの頭にこびりついている若いときからの夢か、細君の幻想なのだろう。
・・・・・・対照的にハイドリヒには混乱がなかった。
彼は私の提案にいくつかの反対意見を述べたが、
どの意見も、彼の思慮深さを示していた。
そして自分の意見が技術的理由により非実用的であった場合には、
直ちにそのことを理解し納得するのだった。

*************


短いですが、ハイドリヒの有能さを語っていると思います。


別に私は、ハイドリヒに愛を感じているわけではないのですがね(笑)


・・・・・・・・・ではまた、続きます・・・・
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