新潟久紀ブログ版retrospective

土木部監理課13「現職での死去が相次ぐ(その1)」編

●現職での死去が相次ぐ(その1)

 仕事がらみで知っている人の死というのは、福祉ケースワーカーを担当していた頃に、生活保護受給者や特別養護老人ホーム入所者で担当していた高齢者には頻繁に遭遇したものだ。しかし。職場の同僚ともなれば、20代から定年の60歳までの働き盛りの面々であるわけだから、普通なら在職中には滅多にないことだと思う、
 しかし、土木部監理課に在籍していた2年の間は、異例の事態が続発した。主管課の担当参事として土木部全体の労務管理関係の実務の総括を担当していたので、部内各課の人事がらみの対応の調整等に関わるのであるが、本庁と出先機関において、30歳代の職員が2年続けて自死してしまうという辛い事案が発生した。私が赴任する前年にも部内の課の職員が病気で急逝していたとも聞いていた。「お祓いが必要なのでは」と真面目に話す声が部内で漏れたほどだった。
 さらに、もっと身近な同僚においてである…。1年目の年度末に、監理課の執務室において副部長兼監理課長を挟んだ先に座す予算係長さんが、50歳代半ばで急逝してしまった。
 高校を卒業してすぐ県職員となり、本庁において土木部という大きな部署の予算係長を務めるまでに至ったたたき上げ的な苦労人であった。私は、監理課で初めて同僚となって知り得た職員であったのだが、誠実で丁寧な仕事ぶりや上司や部下への隔てない腰の低さなどで、私が来る以前から在籍する副部長などからは信頼を置かれていた。
 また、見た目にはいかにもという体型ではなかったのだが、フルマラソンにも参加するほどのランナーであると漏れ聞き、心身ともに鍛え上げてきた人なのだろうなあと、私は敬意を感じながら仕事のやりとりをしていたものだ。
 面倒な懸案の束ねに当たるとともに部下の数も多い予算係長を4年ほども勤めた年度末に、満を持して言い渡された内示は、土木部内の別の課の課長補佐職であった。高校卒業での入庁者として、また年齢的から見ても、そう多くはない任用だ。人事は見ていないようで見ているものである。栄転という形で苦労が報われた彼を、副部長や我々同僚は課の送別会において大いに称えたものである。彼も嬉しさひとしおの笑顔でそれに応えていた。
 そんな深夜遅くまでの大盛り上がり大宴会を金曜に終えて、3月も残りあと2週間ほどとなる週明けの月曜日、いつもどおり課で一番早く出勤していた私に、始業時間直前に出勤してきた予算係の職員が近寄ってきた。
 「予算係長が休むようです」。最初にこう聞いた時に私は「ああ、自分が主役だった送別会で飲み過ぎて月曜の今日まで体調が戻らないのだな」と思った。しかし、彼が続けて話すとそんな呑気なものではないことが分かってきた。「土曜の自宅での夕食中に胸の痛みを訴えて大病院に緊急入院した。大動脈解離だという。手術を受けたが未だ昏睡状態らしいです」というのだ。
 喜ばしい異動内示を肴にした盛大な送別会での彼の笑顔や嬉し泣きが、課員の皆に鮮明に記憶されたのはほんの先週末の出来事である。それが、週が明けたらなんとも重苦しい空気になったことか。ついに二日後には彼の奥様から直属の上司である私に直接電話が入ってきた。「今朝方、息を引き取りました」。
 葬儀への参列者の調整、死亡に伴う諸手続など、課長補佐としてお手伝いさせて頂いたが、あの華やかな送別会を最後に交わす言葉もなく急逝というのは、なんとも空虚な感じをもたらすものである。一段落がついて職場に遺留品の引き取りを兼ねて奥様とご長男が挨拶にお越し頂いた折りには、各々気丈にお話をされていたので、こちらも少し救われたような気になった。思い起こせば私の父も57歳の若さで心筋梗塞の発作で急逝した。明日は我が身と考えて、思い残すこと無く日々を過ごしたいものだと思うのだった。

(「土木部監理課13「現職での死去が相次ぐ(その1)」編」終わり。「土木部監理課14「現職での死去が相次ぐ(その2)」編」に続きます。)
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