新潟久紀ブログ版retrospective

新潟暮らし推進課31「解散。終わる新潟暮らし推進課」

●解散。終わる新潟暮らし推進課

 令和2年3月をもって我が新潟暮らし推進課が廃課となることが公表されたものの、私は課長を務めて以来蓄積してきた人口減少対策やUIターンの促進策などの知見を、3月の最後の一日まで仕事に反映させたいと考えていた。1月の年末年始の休み明けというのは当初予算について実務的な詰め作業のヤマ場を迎える時期なのであるが、来年度自分は無関係になるかもしれない予算案とはいえ、調整を仕切る部署とのやりとりには意識を緩めずに時間外に及ぶ協議にも対応していた。
 それでも、レームダックの気持ちを先に記したとおり、どこかで精神的な綻びというか、やりがいを挫かれる気落ち感というかが生じていたのかもしれない。なんと10年ぶりにインフルエンザに罹ってしまった。1月9日の夜に熱が上がり始めるも市販の薬と栄養ドリンクを飲んで寝込むという体調不良時の常套で対処したところ、起床したら平熱近くになり、やはり単なる風邪だったと決め込んで出勤支度を始めたところ、妻から猛烈な指導を受けてしまった。「予防接種もしていないので、万が一にも罹患していたら回りの職員さん達が迷惑でしょうという。インフルで無いとしても医者で検査してもらう半日程度のロスは惜しむべきではない」という。けだしもっともだ。陰性の証明を勝ち取らんとして近くで馴染みの病院に向かった。そこは私が年末に風疹のワクチンを受けたところで、それ以来なんとなく体調不全が続いていたので、その副反応の一つではないかと医者に問い質したいという気持ちもあった。果たして例の綿棒の親玉みたいなデカいやつを頭がのけぞるくらいに鼻奥に差し込まれて待つこと数十分。診察室に呼ばれると医者からは「はいインフルエンザA型陽性でした」。風疹ワクチン云々を訴えるも「それは関係ない」とピシャリ。
 そんな訳で、年明けからラストスパートを決め込んでいた当課最後の残り3か月の出端を簡単に挫かれてしまった。自宅の一室に隔離され、ボウッと大相撲初場所など眺めながらおかゆなどをすすりベッドに横たわる生活に。しかし、早めにタミフルを飲み始めたのが奏功したのか1日経つと熱もすっかり下がり元気になってきた。対処が遅れた10年前とは大違い。妻の言いつけを聞いて良かったと思うことが歳を取ると増えたなあと思う。
 しばらくした一月下旬あたりから、世の中では新型コロナウイルスという言葉が良く聞かれるようになってきた。この頃は、中国の一部地域の風土病が人や物の流れのグローバル化の中でしみ出してきたのだろうが一過性のものだろう、と高を括っていたのだが、その後一気に世界中を震撼させる災禍へと拡大し、ウイルス変異の繰り返しにより感染の再拡大を繰り返し2年を超えても収束が見えないのは周知のとおりだ。
 昔から不思議に思うのだが、世に言われるとおり年が明けると1月からの日々の進み具合といういうのは早く感じるものだ。加えて未曾有のコロナ禍により若者座談会など集合形式のイベントが軒並み開催取りやめとなるなどで、最後の3か月というのは見込んでいた成果が得られず、目指していた"当課5年間の集大成"とか"有終の美"とはほど遠い、なんとも口惜しいものとなってしまった。
 だからなおさら、私は定年まで5年程度と先が見えている中で、同期採用の連中と比較しても多様といえる職務経験から得られた知見を総合的に活かせる分野として、人口減少問題対策に関わり続けられないかと思えてならなかった。当課業務を吸収する部署の体制等を考えるとと私のようなロートルが配置される可能性は殆どないのであるが、消化不良のままでこのキャリアを途断されたくないと考えていた。県という大きな組織の中で私ごときの配置による効果などは塵のようなものなのであるが、"塵の神髄"というものを見せたかった。
 令和2年3月13日の始業まもなく。部長室に呼び込まれた私は4月からの行き先を内示された。「病院局業務課長をお願いします」という。やはり、巨大組織県庁においては私の想いなどは全く関係無しに動いていくものなのだ。然りとて自分自身で選んだ"宮仕え"の人生だ。これまでの30年と同様に4月からは頭を切り替えて新任に注力するまでなのだ。
 令和2年3月31日火曜日の昼前。課そのものが無くなるわけなので、机や備品などの一切全てが運び出され、執務室は文字通り"がらんどう"になった。夕方には部下が記念にと、居並ぶ職員をデジカメに納めてくれた。「コロナ禍で送別会すらできなかったですが、落ち着いたら是非とも皆で吞みしょう」と声を掛け合うが、2年を経てもそれが実現できないことなどその時は想像すらできないまま、私は課員達に今までの労いと解散の挨拶をして、一足お先に"何も無くなった新潟暮らし推進課"を後にした。

(「新潟暮らし推進課31「解散。終わる新潟暮らし推進課」」終わり。次は、仕事遍歴を少し離れて、独り暮らし時代の思い出話の連載「新潟独り暮らし時代1「プロローグ~思い出の「あけぼのハウス」が無い~」」を開始します。そして仕事遍歴の続編「病院局業務課1「振り出しに戻った状況に驚き(その1)」」も開始しました。)
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