新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代54「深夜の研究室での就活試験勉強(その2)」

●深夜の研究室での就活試験勉強(その2)

 当時の新潟大学は郊外の砂丘畑地へ移転新設されて年月が浅く、校舎の周りは商店なども少なく静かなものだった。さらに、教授の研究室は、4階の窓からすぐ先の松林を超えて日本海を広く見渡せるロケーションだったので、街灯すらなく、夜ともなれば静寂と暗闇に囲まれた中で世間から切り離されたようになる空間だった。短期集中で試験勉強をしなければならない私にとって正に最高の場所だったのだ。
 その頃の毎日は例えばこんな風。
 朝7:00にアパートから愛車の三菱ランサーEXに乗って新潟市駅前に向かい、レンタカー屋で仕事用の車に乗り換えて広告代理店の営業で県内各地を回る。その日のノルマを早く終えるべく昼飯に店舗に入るのも惜しんで自販機でアイスかなにかを買い食いしたりすることもあった。夕方に営業所での業務報告を終えてレンタカー屋で愛車に乗りなおすと、今度は大学に向かう。途中大学近くのモスバーガーで夕食用のハンバーガーを買い込み、教授の研究室へ。教授と入れ替わりで独り研究室に残り、教授から頼まれた著書の校正作業の当日分をこなして、一息入れながらハンバーガーをぱくつく。
 時は19:00頃。いよいよ公務員試験勉強だ。分厚い参考図書を丹念に読み込み、ラインマーカーやメモ書きしながら頭に入れていく。集中していると時間が過ぎるのはあっという間だ。当時はスマホなど無いし研究室にはテレビも無かったので雑念に気を取られることも全くない、今から思えば正に奇跡の空間だった。
 2時間置きくらいの区切りの良いところで休憩時間にする。当時は喫煙の習慣があったので、といっても本格的なスモーカーではなく気分転換用に嗜む程度であったのだが、研究室の電気を消して窓枠に腰かけて、暗闇の先に波打つ日本海を眺めながら、「キャスタースペシャル」をゆっくりじっくり吸い上げていくのがなによりの癒しだった。
 5月の穏やかな夜ともなると、遠く日本海の水平線上に扇形の白い明かりが等間隔に並んで瞬いて見える。イカ釣り船の漁火だ。思い返すと、これを眺めながら静寂の中で一服をしたいためだけに、その休憩時間を得たいが一心で、勉強に集中できたといっても過言ではない。サラリーマンが仕事の後のビールが飲みたいがために生きているような本末転倒感。人間の面白みだなあと我ながら感心したり呆れたりという思いだ。
 県職員を目指すという進路決定の遅れに焦り突貫工事的な試験勉強を余儀なくされて極めて緊張していた大学4年生前半のこの頃を想うと、集中するに最高のロケーションを与えてくれた鈴木辰治教授の有難みと、強い孤独感の中でも癒しとなった、毎夜の休憩時間に眺めた美しい夜景が、今でも泣けるくらいに脳裏に蘇ってくるのだ。

(「新潟独り暮らし時代54「深夜の研究室での就活試験勉強(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代55「立教大学との合同ゼミで完敗」」に続きます。)
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