新潟久紀ブログ版retrospective

新発田地域ふるわせ座談会5・「県庁出先の役割」を考える(その2)

●座談会の前に「県庁出先の役割」を考える(その2)

 「地域振興局」と「企画振興部」という組織体制は新潟県内での大方において平成16年度までに配置された。それまで本庁の縦割りの政策分野ごとの系統組織の中で現在の各部署が県の出先機関として各々独立して各地に配置されていたのだが、エリアごとにそれらを束ねて総合的に施策や事業を推進する体制にしようと、括りとしての「振興局」と総合調整や局としての窓口的総務を担う「企画振興部」が整備された。
 令和4年度には、体制の見直しが行われ、12あった地域振興局のうち、新発田、新潟、長岡、南魚沼、上越の5か所を基幹局として企画振興部を残し、他の7か所をインフラとセーフティーネットに係る事業執行に特化させて基幹局が企画振興部機能を兼ねる形にされた。主に行政コストや経営資源の効率化の視点での見直しであったようだ。
 私が配属された新発田地域振興局は、さらに県北部の山形と県境を接する村上市と関川村を擁する村上地域振興局における企画振興機能や施策と事業の一部を兼ねることになったのだが、基本的な守備範囲は、従来どおり、新発田市、阿賀野市、胎内市、聖籠町の四市町であり、そのエリアにおいて県地域機関としての役割を踏まえた振興策に取り組めば良いということになる。
 私が着任する以前の企画振興部としてのこれまでの取組を振り返ってみると、ハードやソフトの両面にわたり年間数千万円ほどの予算を投じて、市町単独では賄いきれない施設の整備や補修、市町の域を越えた集客効果が見込める広域性あるイベントへの補助などが実施されてきたようだ。
 しかし、いずれも、一時的ないしは季節的な観光での来訪を誘う色合いが強いものであったり、この分野の流行り廃りの早さ故に集客効果が持続していないものが散見される。その当時としては最善の選択で取り組まれたものなのであろうが。私が振興局長に着任するにあたり「振興」の一丁目一番地と考える「特に若い人で住み続ける人を増やす」ということへの直接性が弱いのだ。
 さりとて既往の観光系の取組というのは投資を続けていないとすぐに陳腐化や埋没化して内外の人々の関心を失ってしまう。それらから財源を私の考える新たな企画に付け替えるのも上手くない。ましてや、前述してきた他部署のインフラやセーフティーネット系の予算も余剰はなく、そこから少しずつ吸い上げて財源にすることもできない。
 一方で、かつて財政課に勤務して新潟県全体の財政計画の調整にも関わり、新潟県財政の厳しさを良く知る私としては、防災減災といった県民の生命財産の安全安心など緊急度も重要度も高い課題への予算の配分を優先せざるを得ない実情と、見返りや実入りの効果が計りにくい"地域振興"と言う取組へ潤沢な財源が回せないことは十分承知してもいる。
 カネがないなら知恵を出せということになる。新たに特段の予算を用意せずに出来ることといえば、今や普段使いに至っているデジタル技術とウェブネットワークを用いた「情報」の活用と、管内にいらっしゃる有能なヒトから知見や行動力と人脈も含めたマンパワーをお借りして、バカな頭の私へのご協力を頂くしかない。
 その上で、振興局長としてのお金も知恵もない私が、協力を頂ける人達への「お返し」にできるコトといえば…。若者の定住移住の促進という息の長くなりそうな取組を、私が異動などで居なくなっても、後任者か誰かが責任をもって維持したり改善したりして”回し続けられる"ような「仕組み」として残すことではないだろうか。
 何もないところからロハで知恵を出しあうために「座談会」を開き、その内容やそこで得られた人脈などが活かし続けられるような「仕組み」にして、振興策が生まれ充実される仕掛けの自走へとつなげる…。振興に向けた進め方が見えて来た。

(「新発田地域ふるわせ座談会5・「県庁出先の役割」を考える(その2)」終わります。「新発田地域ふるわせ座談会6・「情報の活用」を検証」に続きます。)
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