新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代22「下手の横好きでバンド活動(その4)」

●下手の横好きでバンド活動(その4)

 メンバー各々で個人練習を開始して2週間ほどであったか、一応軽音楽部員であった我々にも部の練習スタジオを借りられる順番がやってきた。当時はバンドが多かったのか、それとも我々のような"にわか部員"によるバンドは劣後に追いやられていたのか、スタジオを借りられる機会は2週間に一回、2時間程度だった。
 スタジオには自前のものの持ち込みが面倒なドラムセットが備え付けられていた。ここで大学生になってからは初めて、リアルなドラムに接することができることに。私たちの前に練習していた組と入れ違いになったのだが、そのドラム担当はスネアドラムは専用のバッグに入れて持ち込みであり、イヤホンで常にリズムを聴きながら頭を縦振りしているような本格派だった。
 そんな本気で入れ込んでいる人を見ると、練習と言えば雑誌を叩く程度の自分は恐縮至極になる。更に、メンバーで音合わせを始めると、更に居たたまれない気持ちにさせてきた。メンバーの演奏は既に良い水準に達していて、特に教育学部音楽科の女性陣二人はプロ並みに奏でてくれるのだ。
 私といえば、叩くドラムやシンバルの音色はともかく、リズムは弛まず刻むべきところ、やはり、少し速まったり遅れたりとなりがちになってしまう。とにかく音楽科の二人が主旋律担当でありながら頭の中にメトロノームかリズムボックスがあるかのように進行が正確なのだ。リズムパートのベースも合わせるのに懸命に見える。
 明らかに足手まといの私であったが、それは織り込み済みとばかり、粗相があっても皆は怒ることもなく、正にビギナー向けの指導や助言をしてくれた。そうした気遣いは私をさらに恐縮させたが、それでもこの頃の私は、恥をかくのを恐れないというか怖いもの知らずというか、ミスまみれでもへこたれずに合奏の時を凌いだ。
 ただ、そんな優しい雰囲気が自分に甘えをもたらしていたかも知れない。大学2年生になったこの頃は、時間と活動に際限のないアパート暮らしになって以降、バンド活動のほかにも映画クラブの活動や夜のバイトなど色々な掛け持ちをしていて、ドラムに徹底して時間を掛けて入れ込むという状況ではなかった。
 むしろ、大学生生活の自由さの下で、学業以外の初めての色々なことに取り組む中で、自分が何に関心が強く力点を置いているのかが図らずも浮き彫りになってきていた。それは、楽器演奏ではなく、映画クラブにおいて自分が主導的に差配できる同人誌編集活動の方であり、それもバンドと同様に大学祭の頃が期限となっていたので、注力する時間に上手く折り合いが付けられなくなってきたのだ。
 音楽をはじめとしておよそ芸術と呼ばれる分野の取組においては、レベルや次元の違いはともあれ、集中して専念したかが結果に露わになるものだと思う。私のドラムプレイの下手さには、単にビギナーだからということではなく、メンバー達の緩い雰囲気に甘えて徹底して練習することを怠ったことが如実に現れていたと思う。

(「新潟独り暮らし時代22「下手の横好きでバンド活動(その4)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代23「下手の横好きでバンド活動(その5)」」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
☆新潟久紀ブログ版で連載やってます。
 ①「へたれ県職員の回顧録」の初回はこちら
 ②「空き家で地元振興」の初回はこちら
 ③「ほのぼの日記」の一覧はこちら
 ➃「つぶやき」のアーカイブスはこちら
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「回顧録」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事