新潟久紀ブログ版retrospective

地域農政推進課1「懐かしの職場にて私事スクランブル」編

●懐かしの職場にて私事スクランブル

 財政課の7年に続く病院局総務課も振り返れば4年間の長い在職だった。新設された係長格の経営企画員を2年、そして財務係長と兼務しつつの課長補佐を1年、最後に課長補佐専任で1年と、職制も変わる中で、医療について全くの素人で何もかもを新たに勉強しながら、赤字対策や組合交渉など過酷でと激烈な日々を過ごしてきたものだ。
 地域農政推進課は、県庁採用から3か所目の職場だった農政企画課が改組したもので、入庁以来初めて古巣に戻るというもの。普通は16年も経っていれば異動で人員が入れ替わっているので"帰ってきた感"は少ないものなのだが、農林水産部は農業の専門職が限られた部内の職場に居続ける特殊性があるので、かつての同僚達が昇任して戻ってきたりしていて、懐かしさひとしおなのだ。
 例えば、私が主事として平成5年度に机を向き合わせて仕事した農業職の技師さんが、この課の課長補佐級職員として居た。課長も農業職なのだが、私が居た当時に出先事務所の職員であって業務でやりとりした人であり、お互いに知った同士であった。来課する農業関係の団体職員も、基本的にその組織に居続ける人たちなので、若い頃の私を知る人からは声を掛けられたりする。農政企画課での当時は大変な苦労をした職場なのであるが、過ぎてしまえば何もかも良い思い出のように感じるから不思議だ。とにかく懐かしさで朗らかな気持ちになるのは初めての経験だった。
 ※「農政企画課」の回顧録はこちら
 課長級管理職の「参事」としての具体的な職務は、事務系の課長補佐ということになるのだが、農業職の技術系課長補佐が居てくれるので、課が扱う農業施策の企画調整にはあまり関与する必要がなく、職員の勤怠など労務管理が中心になる。
 実は課内で唯一、事務職が係長を務める「農業振興地域の整備に関する法律」に基づく事務に関しては、管理監督を仰せつかったのだが、私と同時期に転入してきた課長は過去の職歴を通じてその道のプロフェッショナルであったから、私の補佐など要することもなさそうだ。課長をミスリードしまいかという補佐職ならではのリスクが低いので気楽にやっていけそうなことが有り難かった。
 勝手知ったる職場と懐かしい顔が並ぶ同僚、そして手の掛からない上司…。とりわけ前職2か所の過酷ぶりを思い返せば、この上ない環境であり、県職員になって以来初めて穏やかな日々を送れるのだなあと嬉しさでしみじみするほどだった。
 新年度2日目の平成24年4月3日火曜日。かつてないほど穏やかな気持ちで、課長や技術補佐と新年度の仕事の進め方など打合せをしていたら、ケータイに妻からの連絡が。僕の母が緊急入院したと実家のご近所さんから我が家の固定電話に連絡が入ったというのだ。"緊急入院"のしかも"人づての連絡"…。本人が電話してこれないような状況に青ざめる。直ぐに母の入院先へ向かうと告げてケータイを切ると終業のベルが丁度鳴り、事情を一言告げて駆け足で職場を後にした。
 この日は午後から日本海側の沿岸地方にありがちな春の暴風が吹き荒れ始めていて、警報も出た頃合いではあったが、自宅で簡単な泊まり支度を積み込んで車に乗ると、迷わず高速道路に入った。帰省の時いつも使う国道に比べて半分近い時間で実家の近くの入院先に着ける。母の安否を不安に思いながら気を揉む帰省は、平成19年の中越沖地震以来5年ぶりだ。私の心情を映し出すかのように、春先の高速は暗くなるのが早く、ヘッドライトが狭く照らす目の前を警報級の暴風で折れた木の枝やらゴミ袋やらが飛び交い、車に次々と当たってきた。車まで持って行かれそうな強い横風を幾度となく凌ぎつつ、やはり、新しい職場でも波乱があるとの前触れなのか…と不安が募る私だった。

(「地域農政推進課1「懐かしの職場にて私事スクランブル」編」終わり。
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