新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎こども時代14「ワンダーランド比角小学校(その2)」

●14ワンダーランド比角小学校(その2)

 レンガ型の積み木を横倒しして並べ、その間にかまぼこ型か三角屋根の体育館を配したような個性も面白みも無い鉄筋コンクリート造の近年のものとは異なり、100年近い歴史を持つ比角小学校の木造校舎は、増改築の果てということもあるのか、入り組んでいたり物珍しく思える空間が随所にあって、年次を重ねて校舎内での行動範囲の広まりに連れて私の好奇心にどんどん応えてくれるようであった。
 玄関は体育館と一体になっていたのだが、玄関の上の空間が大きな屋根裏部屋のような板張りの空間になっていて、天井が屋根の関係で斜めだったり不整形で面白かった。そこは、粘土細工や焼き物などの工作作業をしたりその制作途中品等の置き場になっていて、やや薄暗く湿度を感じる独特の空間が芸術的雰囲気を漂わせるようで、教室とは違う非日常感を感じていたものだ。
 そして、その部屋の中ほどにむき出しの木製階段があって、その入口にはロープか何かで進入禁止とされていたと覚えている。階段の先は板戸で閉じられていて、正に屋根裏につながる風情。校舎内の随所で児童にとって危険であったり死角になったりする場所が割と野放図になっていたにも関わらず、ここだけは出入りの管理が厳重であった。
 「この上はなんだろうね」と級友に話すと「先生に許された6年生しか入れない場所らしい」と言うばかり。それでも3年生くらいになると玄関のある建物を外から見て位置的に「そこ」につながる階段なのだと私にもさすがに分かった。
 体育館に併設された広い間口の児童玄関口の上にあたる屋根は4階建て程度の高さがあり、その最頂部に人が二三人程しか立てないような「気象観測台」が設けられていたのだ。
 「そこに行けるのは限られた6年生だけ」ということが呪縛のようでずっと気になっていた私は、小学6年生の卒業目前に仲の良い級友数人を「そこに登ってみよう」とさそった。先生に咎められてももう卒業だしどうってことないと思っていた。
 階段口の出入り禁止のロープなどするりとくぐって階段を上り、遮る板戸を押すと、なんと簡単に押し開けられた。やはり昭和半ばの危険対策など大らかなものだ。私たちはさらに登り上がると、丸い錆びた銀色の鉄柵で囲まれた気象観測台に入れた。風見鶏の風車が勢いよく周りブンブン音を立てている。初めての高みから学校周辺の住宅地を見下ろすことなど初めてだ。そして、目を上げると遠くに均整の美しい霊峰米山の碧い姿が望める。
 小学校生活の最後の最後にこんなとっておきの場所に初めて入り込めたことが嬉しくて仕方なかった。新入生の頃に大人びていて羨望の眼差しを向けていた最高学年に自分も到達できたようで誇らしささえ感じたのだ。

(「柏崎こども時代14「ワンダーランドの比角小学校(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代15「駄菓子屋ナカヤマ」」に続きます。)
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