新潟久紀ブログ版retrospective

燕市企画財政課12「総合計画審議会(その2)」編

●総合計画審議会(その2)

 以前記した市議会(内容はこちら)においてのエンドレスや翌日へのサスペンドもあり得る質疑はもとより、行政改革委員会など私の仕切る委員会やそれ以外で私が委員なりの立場で参加する会合も含めてあまねく、職員以外の外部有識者委員達はその殆どが熱心かつ饒舌に質疑を当局にぶつけてくる。そうした質疑は、審議対象となる計画内容の中で、過去に当該委員会においてオーソライズされた筈の部分にまで及ぶことまでも往々にあり、委員達の気兼ねの無い自由さに驚かされることもあった。
 例えば、くだんの「地方創生総合戦略」の進捗状況を項目順に審議して評価を下していく中では、そもそもこの指標の立て方はおかしいのではないかとか、もっと重要な別の視点で考えると当該指標のみをもっては審議会として是非や程度の評価は下せないのではないかというように、施策の成果そのものというよりも以前皆で合意した筈の評価指標について異論が出るといった事態もしばしば。
 御用委員と揶揄されるようなアリバイ作り的な会合であれば、委員長が「今後の課題として検討を」などと無難に受け流すこともありそうなものであるが、当該の委員長もまた気骨の人であり、意見や指摘に理があると見れば「この項目は評価できない」と大胆に結論づけることも。これまでの経験では中々見たことの無い"お裁き"に、財政担当としては「評価不能となると国交付金の返還に及ぶのでは」などと小心気質の不安が募り、次々と止まない委員発言に時間も気にしつつの冷や汗の司会進行だったのだ。
 地方創生総合戦略については、効果について否定的な評価であったり評価できないとされた項目であっても、実際に事業が計画どおり履行されているのであれは、直ちに交付金返還とされるものではなく、国担当省庁や会計検査により吟味されるということを確認して一安心はできた。しかし、有識者による審議会自身が過去に認めた指標であっても、単に所与とせず疑義あらば質すという気概には恐れ入った。諸情勢への感度を良くしておけば、不備を補完する補助指標のようなものの提案を企画財政担当として応答できたかもしれない。行政主催でしかも定例的な会議体は、とかく形式的で形骸化しがちと言われるが、緊張感を持って臨むべしということを再認識させられた。
 燕市というのは、小さな町工場を家族主体で経営するような個人事業主から端を発したり、そうした人達と密接に関連した有識者が多い。市役所などは自分たちの稼ぎの上がりたる税金で「食わせてやっているんだ」と言うほど頼もしい経営者達と何人もお会いして、たくましい生き様や変化への強かな対応ぶりに大いに感化されもした。自立的または自律的な住民からの闊達な声を浴びてこそ役所仕事が磨かれていくのだと痛感した。

(「燕市企画財政課12「総合計画審議会(その2)」編」終わり。県職員としては異例の職場となる燕市役所の企画財政課長への出向の回顧録「燕市企画財政課13「知る人ぞ知る"長善館"」編」に続きます。)
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