新潟久紀ブログ版retrospective

地域農政推進課4「防災グリーンツーリズム」編

●防災グリーンツーリズム

 グリーン・ツーリズムは農林水産省も推す全国的な取組であるわけだが、本県においては、「防災グリーンツーリズム」という独特の施策も打ち出されていた。
 平成16年の中越地震の発生では、新潟県のほぼ中央にあたる中越地方における広範囲が大きな被害を受けた。現在の長岡市である山古志村においては、震源付近で山が崩れ地が裂ける中で一時期全村避難に至るほどになったのであるが、農家が大半である被災者達は自給自足力を発揮して日常生活を取り戻していったという状況になって、農山村暮らしのサバイバル力が奇跡のように注目されたりした。
  ※中越地震での仕事関係の思い出はこちら
 そうした田舎暮らしにおける被災時の対応力や生活維持力などを首都圏の人々に知っていただくことを契機として、新潟の農山村と東京都民などが日頃からのお付き合いを重ね、顔の見える信頼関係を築く中で、かねて懸念されている首都直下型地震発生などの際には新潟を第二のふるさとのようなつもりで避難や滞在のあてにしてはいかがという取組が防災グリーンツーリズムの概略だ。
 日本は広く、大規模な自然災害の発生があっても、特に三国山脈で大きく隔てられた首都圏と新潟が同時に壊滅的打撃を受けることは考えにくいわけだから、隔たるこの地域間がいざという時にお互いに避難先とできるように、日頃から交流しておこうということには私も非常に共感させられたものだ。
 大規模災害時には新潟と関東をつなぐ高速交通のトンネルも崩落するリスクはあるだろう。しかし、そんなものが出来たのはここ数十年でのことだ。戦国時代のように野を越え山を越えということも、それが必要となるほどの大災害となれば人はやり遂げるものだと思う。
 東京都区内の自治会などとやり取りをして、新潟の農山村と交流する都会人の名簿登録者数は、私が地域農政推進課に在職していた時点で6万人を超えるほどになった。最初は中越地震発生時の状況を話して大地震の下では人の暮らしはどうなるのか、農山村においてライフラインが断絶しでの自立的生活力はどうなのかなどを臨場感をもって伝えるということが新鮮であったが、年次を重ねると、同じことばかりでは都会人の関心が向かないので、農山村らしさを魅力とする観光的な交流オプションの用意などにも腐心が必要となってきた。
 当時の知事が「100万人の交流を目指す」と発言していたことを考えれば参加人数など規模は劇的に伸展とまでは言えなかった。ただ、グリーンツーリズムという切り口に依った展開により、農業政策部署を中心とした取組になったことも、こじんまりとした仕立てとなった一因かもしれない。
 私は、ものの考え方には大いに共感するものがあり、都会との単発の交流の積み重ねが、余暇用の別荘的家屋から始めるなどして新潟を避難先とできるような居場所づくりにつながり、都会と田舎の両方の暮らしを楽しむ、現代で言うところの"二地域居住"へと進展し、ひいては固定資産税等の安さから住民票を新潟県へと移す人の増加を狙えるのでは…と思ったものだ。
 そうなると、農業政策を超えて人口減少問題対策ということになる。平成24年のこの頃の私は、平成9年をピークに人口の東京圏への流出を大きな要因として拡大し続ける新潟県の人口減少について、日頃から報道などで見聞きする度に個人的に心配を増してきていた。私は、業務の隙間を見ては、若い者が背を向けて東京に向かう要因とされている新潟の田舎らしさを逆に"強み"にして、東京から人を逆流入させられないかと、おぼろげに考えるようになっていた。

(「地域農政推進課4「防災グリーンツーリズム」編」終わり。「地域農政推進課5「リストラで県本庁唯一の管理職兼務係長へ」編」に続きます。)
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