新潟久紀ブログ版retrospective

【連載14】空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕(その14)」

●不思議なおばちゃん達と僕(その14) ※「連載初回」はこちら
~おばちゃん達と家は震災を乗り越えるも"辛うじて"感は否めず 1/2~

 貧困の中で節約倹約を徹底してきた"生き様"。それは、人間の生命力をかえって研ぎ澄ますのかもしれない。僕が時に傍らから見て、この程度の栄養で健康に生きていけるのかと思えるほど少ない食事と、厳しい気候でも冷暖房機器をギリギリまで使わずに我慢する姿に、これでは老い先は短いだろうなと思っていたのは逆だったのかもしれない。二人暮らしのおばちゃん達は見た目は正に細々としていながらも、しかし、"しんなら強く"病気一つせずに暮らし続けた。
 ※「しんなら強い」:新潟の方言で「見かけはヤワだが芯は強い」の意味。
 「へたすると、軟弱な育ちの僕の方が先に病気やらでくたばるかもよ」と、連休などで時折帰省した僕が軽口を叩くと、僕の母も「私が先に倒れるようでは困るのだけれどね」と相づちだ。とは言え、僕の母も他でもないおばちゃん達の家での生まれ育ちであり、中卒で実母を抱えてアパート暮らしをするなど、貧困と塗炭の苦しみを重ねてきた苦労人。僕とは鍛えられ方が全然違う。そんな意識から僕はやや楽観的であり、高齢者が一気に弱る大きな契機が大腿部骨折による寝たきり化といわれて久しい頃でもあったので、母には話しをする度に「不意の転倒に気を付けて」などと声を掛けていたくらいであった。
 平成16年10月に新潟県を襲った中越地震では、僕の実家がある街も揺れの大きい地域に属しており、震源地寄りの郊外農村部では家屋や農地に結構な被害が出た。僕の実家もおばちゃん達の家もたいそうな揺れであったとのことだが、両家とも10年ほど前に建て替えたばかりであったことが幸いして建物そのものには被害が出なかった。かつて僕や母をして妥当かどうか疑問に思わせた、家を建て替えるというおばちゃんの判断は結果して非常に良かったのだ。
 新潟地震の翌年に生まれた僕は40年近く大きな地震に見舞われること無く暮らしてこれたので、余震はともかく、次の大物の本地震が来るのは数十年先だろうと、周辺の大方の人達と同様に考えていた。しかし、やはり天災は予断を許さない。
 中越地震から3年も経たぬ平成19年7月に新潟を襲った中越沖地震は、正に僕のふるさとを直撃であった。実は、先の中越地震は土曜日であり、この時の中越沖地震も月曜日だが海の日の祝日で、両日とも僕の仕事は休日であったのだが、その頃の僕は年中忙しい部署に勤めていて、加えて大きな懸案も抱えていたため、県庁3階の執務室において少人数での残業中に、各々震源地から遠い新潟市にまで及ぶ大きな揺れを感じることとなった。
 中越地震の時は、発災直後に点けたテレビ画面から、宵闇の内陸の街角で地震の揺れで電柱やら人がよろめく姿を見ながら、実家については周辺の震度情報から見て大事は無いなと感じることができ、実家の母と僕の家族の安全を電話で確認したあとは、ほんの数分前までは想像だにしなかった大地震の被害に対処するための予算補正作業が、今後怒濤の如く僕に押し寄せるなあとゲンナリしていたくらいであった。立て替えて10年にもならない家に住むおばちゃん達のことも心配にはならなかった。
 しかし、中越沖地震はそうはいかなかった。職場の自分の仕事机にしがみついて揺れを凌いだ僕は、即座にテレビを着けると、僕のふるさとの近くで震度6であるという。自宅にいる僕の家族は大事ないことを直ぐに確認できたが、震源から近い実家の母とは電話が通じない。母については大災害にありがちな電話の不通か屋外に待避しているのだと信じたい。できる限りの情報収集をして推移を見守るしかない。当時持っていたケータイではネットを閲覧できなかったので、リアルタイムの情報源はやはりテレビだ。この時は午前中で外も明るく、暫くするとヘリコプターからの被災状況の画像が映され始めた。
 「愕然」というのはこんな心理なのだと思い起こされる。ヘリから空撮される画像に写るのは実家のある見慣れた街並みであり、半分近くの住宅が、瓦屋根がそのまま地面の上にあるかのように、正にペチャンコに潰れているのだ。画像が僕の実家のほんの数十メートル程の辺りに差し掛かった時は、季節は夏なのに背中に寒けを感じた。僕の実家そのものは映らなかったが、もう"推して知るべし"と悲観的な覚悟が意識されたのだ。
 生まれながらの貧困で苦労を重ね、できの悪い僕の世話を焼き、まだ若くして伴侶を失う心痛も味わい、一方で、還暦近くで車の運転免許を取得し、そうそう、長年の顔面神経痛から解放されたいと65歳にもなってから開頭手術に臨んで耐えたこともあった。そんな強かで気丈な僕の母も今度ばかりはダメかも知れない。テレビでは潰れた家の画像とともに解説者が、雪国での昔ながらの家に多い瓦の重い家屋構造が倒壊につながっているといった趣旨の話しをしている。実家は立て替えて10年程度しかたっていないものの、今から思えば柱や壁が少なめで伝統的なものとして採用した瓦が重い家であったかもしれない…。

(空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕」の「その15」に続きます。)
※"空き家"の掃除日記はこちらをご覧ください。↓
 「ほのぼの空き家の掃除2020.11.14」
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