新潟久紀ブログ版retrospective

財政課20「土木部予算担当として中越大地震災害へ直面」編

●土木部予算担当として中越大地震災害へ直面

 着任早々の春先を期限として処理を担わされた2件の他に、もう1件の"大玉"が実はあった。県の特別会計における積年の懸案事項であり、財源の負担関係のある市町村からの要請へ喫緊に対処しなくてはならないという課題であった。対応の先送りが続けられてきて、いよいよ待ったなしの状況になった段階で私にお鉢が回ってきたという訳だ。新採用の工業用水道ドッキング事案が思い起こされる。
 平成16年7月新潟福島豪雨災害に係る予算対応が一息ついて、本来ならば来年度当初予算の編成本格化を前に一息つける筈の9月頃であったのに、今度は特別会計案件の対応に夜なべが続いていた。土木部担当課からの要求案について、調整員からの厳しい指摘での差し戻しと修正を繰り返して調整案を仕上げると、いよいよ部局の担当者との協議を控える段階になっていた。この事案は、財政課から対応判断の先送りを繰り返されてきたことにより、現時点で市町村から喉元に刃を突きつけられたような状況になってしまったというのが部局の主張で、部局担当が怒り心頭に達している状況。協議調整は一筋縄では行かす、難航が目に見えていたので、いよいよ明後日の月曜に予定されていた初回の協議を前に、休日出勤をして最後の資料確認や準備をしていたのが平成16年10月23日の土曜であった。
 朝から根を詰めて疲れたし夕食時間も近い。そろそろ退庁するかと思った頃合いの17時56分。県庁3階の執務室が遠くから波動が押し寄せてきたかのように揺れ始め、次第に大揺れで机が横に動くほどになってきた。休日の夕方であり何時も忙しい財政課とはいえ職員がほんの数人の中で、「地震だ」などと大きな声が上がることなく、むしろ上げられないくらいの激しい揺れに誰もが口を開けることすら出来ない状況で、机や書棚、ロッカーなどの軋み音を聞く時間が数分は続いたのではなかったか。
 職場でのこの揺れ具合から見て震源地は県庁のある新潟市近郊ではないか。新潟地震後に生まれた私は、経験したことのないこれほどの大きさであれば、この近辺直下の地震だろうと疑わなかった。テレビを付けると早速地震の映像になっている。驚いたことに新潟市から遠く70km程も離れた山古志村あたりが震源地だといい、震度6強という数字に更に愕然とした。震度7と苛烈な被害に驚かされた平成7年の阪神・淡路大震災に近い揺れだとという。
 数分すると県庁の3階の執務室から、階下が慌ただしくなってきたことが伝わってきた。休日の夕方であったが大地震の報を受けて県職員が続々と登庁し始めたのだ。私も、ほんの数分前まで集中していた特別会計事案については完全に頭の中から吹き飛んで、土木部の担当へ県の道路や河川など公共施設の被災状況の聴き取りを始めた。しかしそのうちに、この災害の深刻さから通常ベースの情報収集ということでなく、完全に防災担当部局の仕切りによる情報把握と管理へスイッチした。そうなると私としては、つい先日の豪雨災害対応と同様に部局の緊急予算要求の取りまとめを待つほかない。今この時点でやるべきことを終えた私は、防災関係者がいよいよこれから災害状況を詳しく把握したり当面の被災地支援策などを講じていこうという状況に恐縮しつつも、帰宅の途に就いた。とにかく今晩から明日の日曜日はゆっくりと"寝だめ"をしておきたい。災害対応のための緊急予算編成に関する膨大な作業が、近く怒濤のように押し寄せて昼夜無く職場で生活するような日々がまたやってくることを知っていたからだ。

(「財政課20「土木部予算担当として中越大地震災害へ直面」編」終わり。「財政課21「最も残業時間が多かった県職員への慰めは」編」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「回顧録」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事