新潟久紀ブログ版retrospective

土木部監理課15「現職での死去が相次ぐ(その3)」編

●現職での死去が相次ぐ(その3)

 それにしても、末期がん患者というのは一旦入院してしまうと衰えは一気に襲いかかるものなのか。技監は黄疸が色濃く出た上にやつれ具合が著しいご表情だ。がん治療に素人ながらも私は復職は中々難しいかもしれないと直感的に分かった。そうした感想は出さずに、やっとの思いで通り一遍の闘病への労いや励ましを申し上げて引上げた。
 それでも、"がん"イコール"死"とまでは言えなくなってきた昨今、入院してしっかりと医療管理の下で静養すれば回復もありうるのでは。私は、そんな思いで1週間に一度程度はお見舞いに行き、体調的に可能であれば、土木職としての永い経験談を聴いたり日々の県庁の動静などお伝えしたりしてご助言を頂きたいと考えていたのだが…。明日にも奥様に来週のお見舞い訪問のアポ取り連絡をしようと考えていた日の夜。就寝していた私は携帯のベルで目覚めた。
 「主人は先ほど亡くなりました」。あまりの告知に返す言葉がなかなか出ない。つい3日前に直接お話したばかりではないか。これから色々なことをご教示いただきたいと思っていた矢先なのに…。県職員で生前に最後にお会いできたのは私とのことだった。非常に残念な気持ちとお悔やみに加えて、そんなことを短くお話して電話を切った。私は57歳で急逝した自分の父親のことも思い返していた。
 私は部下とともに、葬儀のお手伝いに奔走させていただいた。誰から話を聞いても悪いことを言う人が一切いない技監その人らしく、通夜や告別式には、土木関係者のみならず各界各方面から大勢の参列者が集った。現職で惜しまれながらということであるが、大勢に見送られるのもまた現職ならではなのかも知れない。晴れた初夏に勢揃いした面々に見送られて故人も寂しくなかったのではないかと思えるのが、せめてもの慰めだった。
 県職員というのは、事務職であれば多様な分野を幅広く、専門職であれば特定の分野を深く、というように、個々の職員が30年近い経歴を通じて相当な知見を蓄えているものだ。都度の職務において活かされるのは部分部分であり、多くの記憶や知見は、各々の退職や、場合によっては急逝と共に、県庁から失われてしまう。コンピュータにより、また、ネットやクラウドにより、膨大なデータが残せる時代になった。県職員の個々の知見をストックして適宜活用できるような何かアーカイブのようなものを作れないものものだろうか。
 技監の棺を乗せたお車の見送りを終え、晴天の青空を仰ぎながら、私はそんなことも考えていた。

(「土木部監理課15「現職での死去が相次ぐ(その3)」編」終わり。「土木部監理課16「新潟整備部の移転調整に奔走」編」に続きます。)
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