博多どんたくばやし(ぼんちかわいや)
ぼんち可愛や 寝んねしな 品川女郎衆は 十匁目
十匁目の 鉄砲玉 玉屋が川ィ すっぽんぽん
一度は気休め 二度は嘘 三度のよもやに ひかされて
浮気男の くせとして 女房にするとは しゃれかいな
もうしもうし 車屋さん ここから柳町ァ なんぼです
大勉強で 15 3銭に負けとけ アカチョコベ
もうしもうし 床屋さん 頭をハイカラさんに つんでおくれ
後短く 前長く なるだけベッピンさんが 好くように
三味の音じめや 笛太鼓 杓子たたいて 浮かれ出す
かぶっておかしき にわか面 どんたく囃子の にぎやかさ
浮かれどんたく 春の宵 柳並木の 那珂川に
想うお方と たたずめば 月もおぼろに 顔かくす
博多どんたく 松ばやし 恵比寿に大黒 福禄寿
千代に繁昌の 街じゃもの めでたく祝うて すっぽんぽん
宋との貿易を活発化させた平清盛の子重盛が博多の町にもたらした恩恵への謝意を示したのがはじまりとされていると伝えられています。
松囃子というのは、正月にはその年の新しい神様が門松に降りてくる、その松のみどりのめだたさに託して、それぞれの領主に対する年賀の行事として始まりました。
明治5年、国家神道だけを奨励する新政府下の県知事によって、「神仏の祭りごとを派手にしてはならない」と松囃子・山笠共中止させられますが、「天皇さんのお祝いならよかろうもん」と紀元節松囃子と言う名目で明治12年2月12日の紀元節に再開され、「博多どんたく」と呼ばれるようになり戦時中、一時中断されましたが昭和22年焼土の中から「どんたく」で町おこしの呼びかけがあり、年に一度の無礼講の行事として年々盛んとなりました。
ということのよう。
まあ
「天皇さんのお祝いならよかろうもん」と紀元節松囃子と言う名目で明治十二年二月十二日の紀元節に再開
するというのも博多の人間らしくて…。
ただ、他県の人間からすると福岡県としては「武田節」と「祝いめでた」を思い浮かべてしまうのだけれど。
やはり九州を代表するお祭りとして「どんたく」ということになるのでしょう。
京都祇園祭は「コンチキチン」を思い浮かべるようにどんたくには「まつばやしの大黒天 言い立て、どんたくばやし/ぼんち可愛いや」ということではないのでしょうか。
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