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ほんとにっき

身辺雑記、本の紹介、日々の徒然、サッカー、映画など。。

道に迷う

2008-09-03 03:51:02 | Weblog
僕が間違っていたと認めたほうが良いのだろうか。
僕は他者に多くを求めすぎていたのかもしれない。
僕はあなたに多くを求めすぎていたのかもしれない。
でもなんだか分からなくなってしまったんだ。
自分が何処に立っているのかも。

言葉に出来ない思いがあると知ったのは、僅か数年前のこと。
それまでは、何もかもが自分のうちのあるものが、周りと共有できるものだと
思っていた。勿論、自分だけの世界というのも育んでいたが、
それも他者に何かを伝えるためのプロセスだと思っていた。
誰かに何かを伝えるために、苦しむなんてことは有り得ないと思っていた。
でも、有り得るんだな、これが。

例えば、同じ風景を見ることで心は癒される。
それを絵に描いてわざわざ見せるなんて余計かもしれない。
線を引くこと、換言すれば、大人になること。
I drew a line,I drew a line for you

スペル間違っていないかな。コールドプレイの「yellow」という曲。
文法や言い回しは本来なら、正しくしないといけないのだけど、
あまりここでは、気にしていない。なんかその方が自然に思える。
迷子になったみたい。
道、誰かに訊ねなきゃ。

喪失感ってなんだろう?

2008-08-28 03:40:42 | Weblog
分からないけど、初めてその言葉に触れたのは、
中学生の頃だった。国語の授業。
「主人公は二重の、喪失感に見舞われる。
戦争に敗れて、国としての理想を失った喪失感と、
帰って来た兄が、ぐうたらで何もせず以前のような
活力を失ってしまった喪失感と。そう、元には戻れない二重の喪失感」

その頃の僕は、人間が何かを失うということを信じられなかった。
人間は確固としたもので、後はその周りを粘土みたいに補強していけるものだと、
そう信じていた。
人間が失うもの。人は言う。それは風の匂いだと。
人は言う。それは単純に性欲だと・・・。

授業の時、読んだ物語は結局どのように結ばれるのかというと、
主人公が兄とキャッチボールをする。ボールの交換は、そのまま
二人の心の交流の復活でもある。

いい話だなと思う。というか、多分、物語は僕の内面で変化して
より輝きを増しているんだろうなと思う。
そもそも、そんな物語はあったのだろうか。
あったと思うよ。

人間のあいだにあるもの

2008-08-23 04:30:14 | Weblog
もう朝だ。何やっているんだろう俺は。
歌が、胸に沁みる。あらゆる歌が。

思い出したんだ、色んなことを。
向き合えるかな、沢山の眩しさと。
   「ギルド」BUMPOFCHICKENより

記憶が濁流のように押し寄せてくるとまではいかないまでも、
色んなこと、特に学校に通っていた頃のことを、この頃思い出す。
年とっちゃたのかな。

中学校の担任の先生。国語の先生。
スポーツマンで、でも、そんな体育会系というわけでもなくて
親しみが持てる優しい先生だった。
僕が不登校になった時、真っ先に飛んで来てくれて
町の唯一の喫茶店に連れて来てもらった。
会話は勿論、弾まず。先生の善意や責任感が、
まるで、お仕着せにその頃の僕には思えた。
誰も僕の本音を、聞いてくれないように感じていたし
又、それを自分から口にするつもりも、毛頭、無かった。
わかかったとおもう。それはいまもかわっていない。
未成熟なままだ。このまま何処へ辿りつくのだろう。

走ることだと思う。オリンピックを見て改めて思う。
自分というものの限界と可能性を知ることが出来る。
そういえば、先生も北海道マラソンに参加していたな。
その話も、僕もクラス全員も聞き流していたけれど。
全然、正直じゃなかったな。
でもそうするだけの理由があったんだ。
言葉に出来ない理由が。

この場で、書ける事は書こうと思う。
退屈じゃなきゃいいけど。

窓際の話

2008-08-21 01:36:51 | Weblog
実際の話、教壇の前に立ったら何が自分に言えるだろうかと考えてみると
「余り、夜更かしはするな」とか「冷たいもの摂りすぎるんじゃないぞ」
とか「火の始末ちゃんとしろ、花火をするときは」等等、極めて些末で
生活に直結していることしかないよなと、一人納得していた。
なんか、これじゃあ「妄想にっき」なので「ほんとにっき」として
ほんとのところを書きたいと思う。

先週末、お盆休みだったと思うけれども、
僕も墓参りに行ってきた。今まで、行った
ことの無い遠縁の墓にもお参りした。
そこは、広い霊園で見渡す限りに広がる石。
とても静かで、けど、とても暖かくて
灰になった祖父の兄もここで眠っているのかと
そして、それは僕が生まれる前から決まっていたことなのかと。
死というものを突き詰めて考えたことはないけど、
最後にこんな静かに眠れる場所を与えてくれるなら、
人生というものも、人が生きているという事も、
幸せな時間じゃないかと、そう思った。
帰りにレストランみたいなところに寄って、ピザを食べた。
ビスマルクとか云うやつ、それと茄子とソーセージがのったのも。
おいしかったけど、なんだか外出した主目的が
これみたいになってしまって、仏さんに申しわけなかった。
そこでのざわめきとピザには、人間が持つエネルギーをまざまざ
と見せ付けられた。
夏の一ページ、やがて終わるだろう一ページ。
今日の日記おわり。

教壇の上にたつ時、君は何を言う?

2008-08-19 03:46:47 | Weblog
夏休み。北海道では8月一杯ではなくて、もう始業しているのかな?
まあ、本州以西ではまだまだあると思うので、楽しんでください。
ところで、全校集会で校長先生が言ったこと、あなたは覚えていますか。
僕の場合は、とにかく退屈でしょうがなかったような気がする。
でもそれは、3年生になってからの話で(中学生のね)
下級生の頃は、上級生に目を付けられないか緊張してたんだ。多分
あー、よく覚えてないや。

そんな中でも、不思議と憶えている言葉がある。
夏休みに入る前の終業式。校長先生は言った。
「本物に触れなさいと」芸術にしろスポーツにしろ本物に触れなさいと、

まだ尻の青い少年に、本物を見分ける審美眼が伴っていたとは思えない。
でも、図書館にはピカソやマティスなどの画集が備わっていたし、
何より沢山の小説があった。
小さな町だから、それ程ではないけど
この数々が他の街の図書館にも並んでるのかと思うと、
妙な感慨に襲われた。この頃から、僕の図書館通いは始まったような気がする。

僕が読んだ本の数なんて微々たる物だけど、その中から学んだことがある。
教訓のようなことかもしれない。胸を張って言える様な事ではないけど、
僕はこう言いたい。
「誠実であることは難しいが、正直であることは、努めればそれ程難しいことではないと思う。
その為には、他人の声に耳を傾けることだ。隣に並んでる君にも先輩にも後輩にも。
その上ではじめて君の声が周りに聞こえるようになる。そうすれば、自分を偽ったり、嘘をつく事も無いはずだ。
こうやって、偉そうに言ってるこの私ですが、正直に人と接してどれだけ他人を傷つけたことか。
でもそんな傷も、自然に治癒してくものなんですね。正直でさえあれば。
でも、この言葉も聞き流してほしい。私みたいな人間にはなりたくないだろう。
こうやって見て。だから、耳を傾ける必要は無い。断言する。
君達はもっと自由に生きろ。空に触れられるくらい、高く跳べ。
赴くままに。
最後にこういう機会を与えてくれた君に感謝する。
ありがとうございました」

8月の、路上にて

2008-08-17 01:49:30 | Weblog
話したいこと、沢山あったんだ。でも今は、
それがなんなのか、分からなくなってしまったけど。
あー、頭の中が真っ白だ。参ったな。
いやいや、尾けてきた訳じゃないよ。この前、
たまたま、見掛けたんだ、
この時間に
でもそんなの関係ないよね、でも余り怖がらないでほしい
危険じゃないと思うけど。」
その場に、立っていてくれた。
すぐ歩き去ってもおかしくないのに。
ただ、体が動かないだけかもしれない。突然の出来事で・・・

沈黙が、耳を、胸を刺す。
それは両者も同じだろう。たとえ、胸中の差異は何光年もあったとしても。
しつこいかな
「とにかく僕が話をしてるときに、
傍に君がいたらいいなってそう思ってた。でも、
こうやって、ひとりでぶつぶつ喋っていることにしたよ。
それもなかなか悪くないんじゃないかって
そう思ってきたんだ。」

笑っていた。それは解釈を必要としないものだった。
続けなさい。私は、どれだけ離れていても、ちゃんと聞いてるから。
君のぶつぶつ独り言を。

僕にはそう見えた。そう聞こえた、僕の全て。
今は、それでいい。


百年前の今日、指差して(君、笑う)

2008-08-15 03:50:34 | Weblog
さっき、見たらマヨネーズ切れてたよ。明日買ってきて、
ちゃんと、買ってこれるのか。一体、大丈夫かな
ケチャップと混ぜたソースを、きゅうりなんかにつけて
ボリボリ齧るのが好きなんだ。ほとんど、幸福を感じるね
このソースの名前、なんだっけ、度忘れしちまったな、全く
何もかもが上手くいかない、みなが今眠りに就いてる。
明日、起きれるのか、全く
だから忘れないように、彼は小さくこう書いた。

さっき、見たらマヨネーズ切れてたよ。明日買ってきて、と


嗚呼、なんだか上手く書けなかった。
他者の前提を、最後ひっくり返すという作戦だったが・・・
どうも、創作というのは難しいね。(そう呼べるかも怪しいものだけど)

百年前の物語だって、僕らは読める。
今も、やがて百年前になる。
それだけのことなんだけど、
なんだか、嬉しい。

                             


古いビデオテープのような

2008-08-12 00:54:19 | Weblog
おぼろげな記憶。nhkのテレビ番組。
5,6年前だろうか。トップランナーに
ラーメンズが出てて、語っていた。
舞台の脚本を書く上で、大事にしてる事。
「強い言葉を用いないこと」
例えば、愛しているや殺すのような。
それよりも日常で用いてる言語を
そのまま使うこと、それが最大限の効果を生むこと。
それをするためには、二人の関係を想像力に
溢れたものにしなければならないし、
それはとても難しい。

本当におぼろげな記憶で、それは原形を留めていないかもしれない。
でも、この前、ふと思い出して、ラーメンズの小林さんが
そんなこと言ってたなあ、と。
大分間違っているかもしれない。
でも、言葉には強さがあって、
黒と白のような、墨汁と和紙の様な。
ただ一言でその場を黒く染めてしまう言葉もあり、
日常、何気無く使う言葉もあり。

あー、なんだか上手くいえないや。

さよなら、愛してる、バイバイ、いかないで 
さっき、見たらマヨネーズ切れてたよ。明日買ってきて、

あっ、すげえ

2008-08-06 02:58:23 | Weblog
決定的、もうそれは後には戻らない。
僅か、一秒前にはまだ彷徨っていた
ボール。22人の選手たち。
ネットを揺らす、快感、絶望。
今までとは明らかに、異なる感触。
滑らかで流れるような。
翻って肉弾戦。多くの汗と熱量が費やされる。
戦う。敵と味方と、己と。
調和する。そして、
そこに柔らかな風が吹く。

サッカーの五輪本戦がもうすぐ始まる。
当然、五輪も始まる。
それは、北京で行われる。
幼い時のように、手放しで楽しめる訳ではない。
政治的な問題が頭を燻ぶる。
光が舞台を照らす分、影も広がる。
でも、肉体が織り成す真剣勝負は、それだけで心地よい気分を齎す。
「あっ、すげえ」と思わず口にしてしまう瞬間が、
より多く訪れるように、応援している。
  

立派なこと

2008-08-05 02:52:09 | Weblog
夏休み。色々な課題が出されると思う。
読書感想文や自由研究。
僕がどんな風に対処していたかと言うと(もう8年前の話になるのか・・・)
いわゆる模範解答、教師が喜ぶようなテーマを選んで提出していた。
それでいいと思ってた。適当に試験をパスして高校行って大学行って就職して、
誰かの持ってきた価値観にそって生きる。
今でも、そういう生き方に未練を持っているのも否定できないけど・・・
でも言葉っていいよね、突然だけど
本当にいいよ。こんな追憶をしっかり残しておくことが出来る。
本当は胸にしっかりしまっておくべき類のことかもしれないけど。

あ、そうだ。立派なことについて書きたいんだった。
僕は立派な人ではない。でも
誰にも真似できない、憧れてしまう人が沢山いる。
その中でもありのままを曝け出す人が好きだ。
例えば、ロック歌手。ステージ上で跳ねたり、挑発したり・・・
それが例え、舞台上のみの虚飾だとしても、そんなことは誰にも分からない。

ありのままを渡すこと、受け取ること
どうにも照れくさいことだ。
こう考えると、考え方も中学生の頃から大きく変わってる様だ。
(人はそれを成長と呼ぶだろう)
8年前の自分、がっかりするなよ

我、ごにょごにょする、故に我あり

2008-07-30 01:12:30 | Weblog
真っ暗な布団の上、横になって聞こえるのは雨音
何も考えない。肉体が単なる付属物にも思えるし
全ての中心にも思える。
我聞こえる、故に我あり
そんなテーゼを打ち立てるつもりは無いが、
誰かが書いていた。意識は、他人の会話に宿るのだと(違ったかな?)
でも、あえて言いたい。我、ごにょごにょする、故に我ありと。

今日、夜、サッカー見てて凄い豪雨の中、アルゼンチンとやってた。
結構、本番いけるんじゃないかと思ってるのは、僕だけだろうか。
サッカーは見るだけは見てて、でもそんなに詳しくない。
完全に下手の横好き。

そう、今日大雨で、各地で被害が出たんだってなんとなく見てた
ニュースでやってた。
雨音が、世界を包む
どうかご無事で
明日も明後日も

まとまらない文章

2008-07-27 01:51:40 | Weblog
情報。ここに何か、僕が書くたびに新たな情報が
読んでくださる方に届けられる。僕の人物像。。。
それをあえて隠すつもりは無いですが、やはり戸惑いはある。
自己に忠実に、描写するのは、イコール今身の回りにある事を
開陳してるんじゃないかって。開陳じゃないな、公開だ。
(日本語が上手く出来なくて時々困る)
レンタルビデオ屋で借りた映画は、紹介できるのに
好きで買った大事にしている自分にとっての名作は紹介できないというこの感覚。
分かるかな、わかんないだろうなーっ。

ウィンドウ的。この言葉を知っている人いますか?
まあ、知らなくて当然かもしれない。
僕が今作ったのだから。
出し手と受け手の落差。
こちらからは、あなたの姿が見えないし
あなたからも僕は見えない。
それだけだと不可視的というだけで片付けられてしまうだろうが、
大きく違う一点がある。
あなたには、僕の軌跡、痕跡が見えると同時に
僕からは、ある気配、何か大勢が窓の向こうで蠢いているような
そして、それは顔も見えないし姿も視認できないという不気味さ。

尚、今は読者さん一人に向けて書いているので、
決して一緒くたにしてる訳じゃないですので悪しからず。

最近、車にスモーク貼ってるの増えてきてますよね。
少なくとも、ここ近辺ではよく見かけます。
それと似てると思うんだ。走行中の車の軌跡は見えるのに車内は見えない。
運転席からは、走行車、通行人が見える。はっきり見えるのは
物理的な移動があるから、しょうがないとして、まさに
ウィンドウ的。

的とか難しい言葉使おうとしてるには背伸びしている証拠。
でも、背伸びしなきゃ成長も出来ないと、
誰かが言ってたような言ってないような・・・

-qo

2008-07-24 03:00:45 | Weblog
夜の街を歩く。
勿論、パソコンをしながら歩けないので、これから歩く。
いやいや、実は歩く予定も無い、気力も無い。
流石に、この時間に歩いていたら職務質問される。
いやいや、そんなこともない、街を歩いている警官なんて見たことも無い。
人がいない夜。なんだかさっぱりするね。
人が嫌いなら、夜出歩けばいいんだ。田舎限定だけど。
なんだか、ゾンビみたい。そうそう、
紹介したい本があったんだ。大分売れたみたいだし、図書館にもあったから
すぐ読めるけれど。多分、
「マジックフォービギナーズ」
短編集なんだけど、そこから生まれる情景や雰囲気が
この街と似ているんだ。国境沿いのコンビニで
客はゾンビ達。そういえば、コンビニはどこにでもあるね。
数十年前には、考えられないでしょ。
あと、ピカソの話も面白かった。俺的にはこれが一番だったかな。
罪を犯すなら、誰もが息を呑むように。しかも、芸術的に。
久々に、本の紹介したな。近頃、本読んでないな。
まずいまずい、そういえば今日地震あったね。
大丈夫だったかな。
本、読もう。街へ出よう。

狭い?

2008-07-21 02:17:34 | Weblog
日々、生活していて壁にぶつかることがある。
何か色々考える。どんなに楽な生活を享受していても、何か考えるし
何も考えずに生きることほど困難なことはないのではないだろうか。
<無の境地>

秋葉原の事件にショックを受けて、(間接的にであれ、直接的にであれ)
虚脱感みたいなものを感じた。皆さんも何かしら感じるもの、思うところがあるとお察しますが、
日々の暮らしが忙しいと思われるし、自然に社会的事件は内的に風化していくと思われます。
そこへくると、この私、忙しくないもんで嫌でもコトがコトとして残ってしまうんですな。
そこで感じたことを書く。

それは、そういう形で生から死へ飛び越えてしまったら駄目だよという事。
生から死へいたる道程には、及びもつかないほどの様々な事柄がある、経験できる事がある。
それを全くの考慮の外に入れて、そういうことしちゃ駄目だよと。
このような見解は、余りにも加害者寄りだろうか。

あらゆる表現は、死に向かう中途にある。(当たり前と言えば当たり前ですね)
死は単色だが、生はあらゆる輝きに満ちている。
そこでは、当然、他者と同じ色を、青春を共有できないかもしれない。
自分と言うのは絶対的なものだと、唯我論に陥りそうな時もある。
そのような考えは、間違いだとは思わない。
でも許されるのは、何かを手に入れるために、又は、手放すために
努力して努力して初めてのことだろう。
多分。



広い

2008-06-16 03:17:09 | Weblog
出口の無さみたいのを、ふつふつと感じている。
ある大きな事件がおきたとき、当事者以外の人間は、それを回収するために
そのことについて、語ったり文章にしたりする。
理解不能なものを、ゴシップの位置に低めることで、変わりない日常
微動だにしない現実を、つくり上げる。そしてそれを続ける。
そこで、失われるのは人間性だ、想像力だ。相手がそんなものを無視した凶行に及んだとしても
自らが、それを失ってもいいとは僕は思わない。

どんなに想像力を逞しくしても、加害者の場所までは辿り着けないし、
被害者の方が直面した惨事には、いやがおうにも辿り着ける。
真昼間に、通り魔がやってきて、それは一瞬のことで、肉体を刺される。
死という厳然とした事実に、抗う言葉はないし、もう届かない。

実は、これまでの日記読んでいただいた方々は、お気づきかもしれないが
僕は、現実を破壊した加害の側に、視座を傾かせていた。
そこに理由は無いはずだが、生い立ちが少し似ていて、僕の不透明な
将来への懸念によって、妙な感情移入をしてしまうのは何故だろう。
わからない。

語る上で零れ落ちてしまうものがある。
いっそ沈黙を貫いていたほうが、利巧かもしれない。
スパッと、言い切れないもどかしさ、歯痒さ。
口を閉ざしてはいけない、かといって大声で怒鳴ってもいけない。
でも、真の豊かさって一体なんだろう。