ほんとにっき

身辺雑記、本の紹介、日々の徒然、サッカー、映画など。。

息をとめて

2013-12-28 08:31:36 | Weblog
 どう生きるかとか、何が正しいとか、いかにも思春期的な悩みだけど
そこで右往左往している。大義のため美学のために生きようとするのではなく
あくまで今の一瞬一瞬の選択の積み重ねが人生というもの。一般論だ。

 自分の傾向として、抽象的なことであーでもないこーでもないともやもやしているけど
具体的なもので世界は充ち満ちている。世界はものだ。とりあえずリアルだ。 


 一生こうして愚にもつかないこと言って、人生を外側から眺めてるのも芸の内だな。
「自分」というのをどう定義するのか。特に、こうして好き勝手言えるし画面の前では
自分の身分?性別?歳?その他諸々を、偽ってというかそもそもなきこととして振る舞える。
全てがフラットになって、大きなものに飲み込まれていく。
 お互いに横たわる差異は摩擦を生むけど、本当に相互理解を望むなら避けがたいこと。

 相互理解、まるでバカみたいな響きだけど。

 自分は色々に触れていたい。人も物も。自閉の時代は終わった。そう願う。
けど同時に誰も見てないところで、深く深く潜っていたい。
何処までいけそうか。砂の上は退屈が並んでいる。淀んだ海だ。


2013の怠惰な日々、それこそが

2013-12-21 07:35:48 | Weblog
 いろいろなことを先送りにしている気がする。
ここで恨み節を言ってもしょうがないけど。
やるべきことはない。生存すること以外。そう望むこと以外。
後は自由に。どう生きてもいい。楽しめばいい。笑えばいい。

 けど、生存することが、ただ、それだけのことが重くのしかかる。
明日も生きることで今日がいかに摩耗していくか。
何も考えられなくなる。それがこわい。

 大きな意志にそって日々生活している。と言いたい。
ただ、その場限りの快楽に身を委ねているわけではなく。

 時々、自分は今の生活を続けててどうなる?と疑念が頭をもたげるけど。

 窪地で息をしているようなものだ。
ネットの世界も開かれていて何でも共有できるようだ。
けど僕は以前の匿名のじめじめした社会からはぐれた
ひきこもり部屋でぶつぶつ頭の中をこぼしている。

 人と関わること。人のことをまるで自分のことのように思うこと。
それが想像力だ。

 そしてあらゆる一瞬を、日常に堕する前に、その唯一性を蔑ろにしないこと。
いや、違うな、こうやって恐らく一年後も続いてゆく日常を慈しむと共に
それでも、この今と繋がろうとする 何も先送りさせはしない。

 要は今年もありがとうっていいたい。誰に行っていいか分からないから
あなたにいうよ。