ほんとにっき

身辺雑記、本の紹介、日々の徒然、サッカー、映画など。。

いきいきとくらす

2013-10-14 17:13:13 | Weblog
自分はなんて下らないこと言っているんだ。けど、それが自分だよなって開き直りたくない。
自分はきっと下らない人間だけど、何かあるって思いたい。

日々生きていて溜まっていくものはある。鬱憤、怒り、やるせなさ等。
はっきり言えないもの。言語化できないこと。
一時期「キレる」って言葉取沙汰されたことがあった。
じぶんが中学生だった頃。

ナイフとか携帯してないし、いわゆる不良だったわけではないし
その小さな共同体、クラスの中でなんとか息をひそめて生きていた。
自己主張せず、発言を求められたときはきわめて優等生的に。
頭の中には何もなかったけど。数式も漢字もテストの次の日には忘れた。
自分の中の空白を感じていた。誰もが同じだろうか。
あらゆる情報、知識、感情、思考なんかも通り過ぎて消えていくだけ。
寂しいなこのままじゃ。

変わっていない。むしろ今振り返ってあの頃もそうだったなって言っているだけか。

新しい人。何処からか現われて、突然聴いたこともない歌を歌う。
興奮するよ。今じゃなきゃいけない理由がある。
今を感じる。それを聴いている。
都市を感じる。東京。愛憎半ばする。
そこで生きている人間が、音楽になったら困難だろうなと思う。





思い切りキレキレだけど、愛おしい。ふんづけられたい。それだけは本当の様な気がするんだ。


遠い空の向こうで

2013-10-13 10:34:23 | Weblog
テレビでもネットでも生中継ってのがある。
臨場感、自分もそこに同時に関わっているという少しの興奮を感じる。

何だろう?別に画面を通してではなく、実際日々生きていて自分も
今ある世界に関わっているという、当たり前だけど、
世界で地球上で同時多発的に起こっている数多ある出来事の一つに関わっている。
そのこと自体に感動することはないけれど。

余程重大なことに直面しないと(今まさに)生きていて(同時に)何億人と共に、
どれだけの生命と生を共にしている、という感慨は得られない。

やはり同じものを見て、そこで同じこと思ったり言い合ったりするのって素敵だな。
テレビの前でお茶の間で盛り上がったり。
規模を大きくすると、ネット実況であれやこれや書き込んだり。
あまりしたことはないけど惹かれる。

孤独でいい。同じ世界なんて見たくない。俺は最後まで自分の世界を突き詰めてやる!!
という思いもある。
そんな多数派になびいて、誰もが楽しめるものなどつまらんとも思う。
けど、例えばyoutube見る時再生回数は気になるし、
少ないとこれって大したことないんだなとか思う。
審美眼や価値基準が自分の中にない、というか衰えている様な。

だが、頭でそんなこと考えている以前にもうこの世界に触れている。関わっている感じている。


「何も変えることはできない」「誰も自分の姿を見てほしくない」と言って
膝を抱えて、何をやっても苦痛だけが自分に跳ね返ってくるようだ。
足りないものばかり見えてくる。何を言いたいのかさえ分からない。
何を求めているのか。平穏な人生、何にも惑わされない自分?
青臭いけど、その先へ行きたい。


投げやりに言うけど、(苦痛さえなければ)
この世界は素晴らしい。