ほんとにっき

身辺雑記、本の紹介、日々の徒然、サッカー、映画など。。

これでいいのか

2009-06-26 03:01:17 | Weblog
これでいいのだ。と精一杯の空元気を込めて呟いてみる。
少し捨て鉢な気分で、やけくそ気味で。
今こうしている自分を、肯定するしかないし(変化を求めているのなら
何がしかの行動をとっているだろう)こうやって生きているのだ。

他人のために何かしたいという気持ちはあれど、これがそうだというつもりはない。
余りにも高飛車じゃないか。誰かが読んでくれていると言うだけでいい。

誰にも知られず、生きていくということもあったんだから。

中学生の頃、村上龍の小説に嵌った。
その頃の僕は周囲の余りにも健全な環境のなかで、そういう考え方に飼いならされていて
隠蔽されている物のその先を見ようともしないで、想像力を少しも行使しなかった。
衝撃だった。
彼の小説は、猥雑で時に暴力的で、共感を求めなかった。
他人と関わることはどういうことか。
ある本のあとがきに(どの本かは失念・・)、小説を書くのは声にならない声を、
聴き取ることだ。他者の声を翻訳することだ。みたいなことを書いていた。
それで、僕は何度も「インザミソスープ」を読んでみる。

なんか、へなへなな文章だな。まあ、へなへなな人間が書いているんだし。
へなへなな真夜中に。

テーブルの上のバナナ

2009-06-06 01:13:25 | Weblog
語彙が乏しくて、もっと違う言葉で文章を書きたいのに、それができない。
これも苛立ちのひとつ。

一転。

生きることは、救われる事なんかではなく救う事なんじゃないだろうか。
又は、それが同時に起きているのかもしれないけど。
でも、はじめは自分から動かなくてはいけなくて、
でもその相手がいない場合は、どうすればいいか。
人間じゃなくてもいいんだ。モノでも、何らかの道具でも、
動物でも、植物でも、自らの熱意をめいっぱい注ぐ。

芸術や、工業製品も美しさや利便性を超えて・・

なんか、書いてて訳わかんなくなってきた。
でも、自らの内に主体性と言うものがあるとしたら、
消費することでもなく、何かを競う事でもなく、救う事だと今の僕は思う。
それによって、自分も救われる。

人生経験の乏しい、現実を見ようとしない戯言です。
明日は一日中、雨だ。雨に濡れるというのもなかなかいいものだ。
お気に入りの服でなければ。風邪引かなければ。