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ほんとにっき

身辺雑記、本の紹介、日々の徒然、サッカー、映画など。。

三月の雨

2016-03-28 23:26:03 | Weblog
ふー、久しぶりだ。懐かしいな、他のところでまた日記を始めようと思ったけど
その必然性もなく、あまり自分のことを発信することにも興味を失くしていて。

先日、北海道にも新幹線が通ったけど、ちょとそれと似ているかもしれない。
つまり、僕はいま山奥にいる。道路も通っていないような。
そんなところに遊びに来る人はいないだろう?
けど、交通の便が悪くても、苦労してたどり着くのが好きな物好きもいるかもしれない。
全く交わらない、点と点がここでは出会うことができるのだから。

四月から新生活を始めることになった。それを自慢しようと思って。

例えば、この15年をどう例えることができる?
高校を辞めて、そのあと過ごした日々を。

そう悪くはなかった。好きな映画を観る時間はあったし。
自問自答した文章でノートを埋めたり。
健康に目覚めて、昼夜逆転を直し、走ったり筋トレしたり、おかげで少し痩せた。
アイドルが流行り、かわいい女の子を追いかけてそれでも、あのこは笑っていて。

けど、大事な人には何一つ何も伝えられなかったな。
なんとなくで、喪失を恐れて。だめだな。
文章上の饒舌を少しは面と向かって伝えられたら。

ギターも始めた。いくつかのコードを押えられるようになった。
それに合わせてメロディーをつけて歌いもする。
人に聞いてもらって、そう悪いことは言われなかったけど、そう褒められもしなかった。
自分ではいいと思っているんだけど・・。けど一人で熱唱して気持ちよくなっているだけか。

僕はからっぽだ。これからなんでも入れられる。
きらびやかなもの、社会常識、また違った言い回しも、それで誰かを口説くこともできるかもしれない。
けどからっぽなんだ。
だから、死ぬまで目はつぶらない。
何が起ころうと、もう何かを起こすことはできないだろうから。
そう大きいことは。

またこれから、色んな映画を観れる。帰り道ではメロディーをハミングするよ。
それで、満たされるんだ。

今日付の人生論。

2015-01-11 08:38:20 | Weblog
何をしても、たとえ何もしなくても同じだと思っていた。
人生とはそんなもんだと。だって、仮に一年中部屋の中で過ごしていても
それで絶望なんて馬鹿みたいじゃん。人生を謳歌して人と会ったりナンカしたり
笑ったり友達が彼女がいたり、そんなのと自分を比べて暗くなっててもしょうがない。
明日もこの日常は続くのだから。なので、こうしていても何も変わりはしない。
もうひとりの自分がドアの向こうを忙しく飛び回ってはいない。
変わらない日常。

 今はどう思うか。基本的には考えは変わっていないけど。
自分が納得できるかどうか。ただ、それだけだ。
壁を見つめてどうしても動かないそれを見つめて
「壁は絶対だ」とか言って誰にも何も届かないと思うか。
たとえそうだとしても、自分だけでも楽しんだりワクワクできればと、開き直れれば。
評価をまず、人に求めない。それはまだ先の話だろう。
先ず、自分の中にこれから歩いていく理由を見つける。
なかなか言葉にできないけど。すぐ挫折しそうでもあるし。


地に足つけて

2015-01-01 10:15:04 | Weblog
 朝、初詣に行ってきました。普段、行かない場所、時間でたまにはいいもんだなとは思った。
どこか自分が新しくなった、といいますか。何を願ったか。いつも気持ちが穏やかで、けど内に篭るよりは
どんどん発信していけたら。そんなことを。

 自分はことごとくつまらない人間だと思うし、欠落だらけだと思う。足りないことばかり。
生きるのに不自由。人に弱い。相対すなんて、おそろしい。つまらぬことしか言わない。
 でも、それでいいんだと。ただ息して、生きていくだけで先ずはオーケー。
そこにありがたさと充足を感じられたら。
 食べるのに苦労したことはない。その片に負い目も感じているんだ。なんの労苦も労働もなしに。おれはしぬまでこどもか!?  

 罪の意識を感じることはないのか。 自分より汗をかいて生きている人間が相応の対価を得ていないとして、それに何も思わなくていいのか?難しい問題だ。そうやって一般化してはダメか。

 そして、普段こういうことを考えて生きているわけでもなく、淡々と日々を過ごした一年だった。それだけに他人にエクスキューズせずにはいられないというか。

 地に足をつけていきたい。その為に具体的にどうすればいいのかも分からないけど。
どこまで他人に頼っていいか。自分が出来ること。するべきこと。その範囲、線引き。
言葉より、先に、行い。かな。迷惑かけてばかりだけど、それも自分が思っていることに過ぎないのか。
周りは、そうでもないのかもしれない。分からないけど。

 今年もよろしく。

輝く

2014-12-28 08:46:16 | Weblog
生きていく、と強く決めたわけではないけど現に生きている。
誰にもなれない現実のこの体と心を提げてやっていくしかない。もう、現実逃避はしない。たまにはいいけど。だけど、やる気が湧かない。社会の中で自分という存在を打ち立てて生活していく。
実現するだけで奇跡みたいなこととかも知れない。普通に働いて暮らせるだけで。
その為に努力する?今から?できるか?こんなぬるま湯に浸かりきったあとで。

昔の文豪たちが青年時代を誰とも関わらずひきこもって過ごし、のちに素晴らしい作品を残した。という話を聞き、自分もそうであればいいと願った。
どうも社会で生きていくことに違和感があり、あるいはとことん突き詰めたい命題が有り、深く深く内面を掘り下げていった、みたいに。
少しはそういう部分はあるかもしれないけど、何か自分が特別なものを表現できるとは(今も、どこかでそういう原石めいたものはあるのでは?と期待してしまうけど、それを言ったら誰でもそうか)その為に一生を捧げてほかに何もしなくてはいいとは思えないな。なにか創作できて人に見せられるものがあるとは。

で、働いて生きることを望むことが始まりか。そんな偉そうに、身の程を知れとは自分でも思う。ここでは、好きなことは言える。それが全てだ、とも時々思う。

2014-12-21 08:47:59 | Weblog
「暗い森を抜け、安堵し振り返ったとしても、そこで知るかもしれない。
そこはまだ暗闇だと。」
こんな文章を読んだことがある。今の自分に当てはまるか分からない。
そうでないことを願っているが、逆にまだ暗闇の渦中にいるとしたなら未来に希望を持てる、
というのは正直なところ。右肩上がりだと思いたいから。

自分の情報をどこまで公開するのか?あれやこれや言っている、写真を貼り付けてる自分は仮面だらけだという気もする。ネット上では。まあ、本当の自分を理解して欲しい。承認して欲しい。と不特定多数に自分を晒すのも痛いだろう。  そしてそれを僕は試みようとしている部分はあるけど。

大切な人、手で触れて日々の息遣いと共に、同じ現実を過ごすまるで朝のコーヒーの匂いを一緒に嗅ぐかのような、そんな距離で人と(これから)いられたら、とは思う。
それこそネットを介してもそういう距離感を築けるかも知れない、とは思う。

人はひとりでも幸せになれるか?以前誰かに言われた言葉がいつしか人生の大きなテーマに図らずもなっているようだ。やはり、人に対して何かを伝える語りかけるという姿勢は大切にしたい。
自己との対話でもいい。そうして終わることなく自分を相手できる。それは幸せだ。
相手がいなくともね。この場所はその中間くらいか。独り言言って、よければ聞いてください、というところ。

この前、自分で決めた人生観に縛られることはない、みたいなことを書いたが
じゃあ、次に何が自分を進めてくれるか、未来に対して。
なにか他人に決められなければどうとも動き出せないみたいだ。
そして浮かび上がるのは、「自分らしく」ということだろう。
半分鼻で笑っていたような言葉だが、その真意を知ったような気になる。
自分らしく。


冬の日

2014-12-14 16:36:28 | Weblog
自分では気づかないことがある。人を見て初めて「あーそういうことなのか、人にはそういう風に映っていたのか」と。
ひきこもりのことだ。自分が以前そういう生活をしていたのかは書いたっけ。もしや行間からにじみ出ていた?
まあ、今も社会参加できているかと問われれば困るけど、少なくとも半年間誰とも顔を合わせず言葉を交わさず過ごすなんてことはなくなったし、一日最低1回は外出している。誇らしげに言うことじゃないかもしれないけど。
 あの頃の自分に何をいえよう。それを最近考えることが多くなった。少なくとも暗い何年間をくぐり抜けて来てその時間は無駄ではなかったと、そう証明出来る様な気がして。何か言えるとしたなら。

 でも、きっと無理なんだ。第一聞く耳を持たないだろう。何が言える?
ほんとつまらないことだ。いま、思い浮かぶ言葉は。些細な生活習慣。
できれば、夜型の生活はやめて太陽の下生活しなさい、とかあまり絶望的になるな、それはただの気分だし自分が世界を人生をどう捉えようがそれに押しつぶされる事はない・・・なんて偉そうに言えるか?

 今だって悩みはある。このまま他人に頼りきりでこの先どうなるのか、ネガティブになれば際限はない。
けど、(時には)そういう不安も受け流すことも覚えた。

 ただ、今ひきっているあなたに何かを伝えたいとは思っている。そして、それは普遍的なメッセージになると思う。

ワールド

2014-11-30 09:01:02 | Weblog
なにかまちがっている場所でまるで相応しくないことやっている気がする。
「置かれた場所で咲きなさい」とシスターは言うかもしれないけど、
ここではないどこかで少し過ごしてみたい気もする。そうしたら日常をまた違う形で見れるかも知れない。

時を無為に過ごしてしまった。20代ももう終わる。
経験すべきことも大方通り過ぎてしまった。
チャンスも機会も、手にせず。じゃあ、なにしていた?
ずっとねむっていた。

なにもきにしなくていいんだ。人に頼りきりでも最低限の責務を果たせなくても。
そうやって自分に言い聞かせてる。何度もね。

迷子は迷子だが、奇妙な高揚感がある。
これからどこもいけなくても最近ちょと世界が違って見える。
こともある。嬉しい。気休め。


さむさむ

2014-10-31 15:05:47 | Weblog
今年ももう終わるな。と今のちに言っておく。
月日が経つのがはやすぎる。めまいがするくらい。
けど、この一時間をやり過ごせない。
苦しくはないけど、なんとかしなければとは思っている。

人生の意義!とか目標について少し考えるが、そんなに簡単に
答えが出ることでもなく。 
働いて飯食って生きて死んで、それだけでいいとは思った。
それを満足にできるかどうかは別問題だが。

それ以上に何かを残したい。残したいんだよ。
遺伝子とかではなく、ガラクタでいいから

芸術家ぶりたいだけかもしれないが
君の知らない世界を見せてあげるよ
瞬くようなもう消えてしまったような



久しぶりに

2014-09-07 11:23:09 | Weblog
表に出たりする。本屋をひやかす。中古のCDを買ってそのまま聴かなかったりする。
ランチを食べる。魚の美味しさが分かってきたとかおっさんみたいなこと言いつつ
寿司を食べたりする。回転してる。何処かへ行ったりするんだ。
パソコンには触らなくなる。自分の決めている事柄をただただひたすら毎日行う。
答えなんてゴールなんてないとは薄々感じてはいる。なにがしかは自分の内側にある。
達成感?創造性?模倣。奥に奥に内面を深めているように、だが、それは何もない
地面に穴を掘っているようで墓穴を掘っているだけかもしれない。
自分が納得して死ねるように。
つまり、僕はもうひきこもりではない。のかもしれない

昨日講演を見に行った。茂木健一郎さんの。
こんな糞田舎に。
楽しいお話だった。幸せとは自分を認めること、とか。
けどそのためにはその幸せを追い求める過程も必要。

今、自分は幸せだろうか。
不幸ではないとは思う。
恵まれているとさえ思う。
優しい人ばかりだ。何のストレスもない。
大切で手応えのない日々。

自分を認めることこそ一番大事だとしたら、
このあと自分がどんな境遇になってどんな姿になっても
いいような気がした。
だからこの後のことは何も心配することないんだよ。
目つむっても誰も僕を傷つけることなどできない。

意思を持とう。
これから色んなことがある。
楽しいことも苦しいことも。
初めて未来を信じれそうな気がしたよ。

茂木さんとすれちがった。手を伸ばせば届きそうな。
挨拶も笑みもなかった。僕には。
緊張していた?素知らぬ顔で通り過ぎることで何かを守ろうとした。
メディアに毒されているな。
人間の形しているのは全て人間なんだ。
電源消せば消えるわけではない。

一瞬でも同じ場所にいて良かった。

投げられても、踏まれても

2014-03-30 10:06:03 | Weblog
 ボブディランが来日するそうで、各地のライブハウスをめぐる。札幌にも来る。
どうだろう?行かないのか自分。
 といっても現時点でそんなこと言っても手遅れか。もう、東京に来てるのだろう。

 それほど熱心なファンというわけでもない。ベスト盤を少し聴いてるくらい。
どこか存在自体が神格化されているきらいはある。自分が思っているだけか。
 たとえば、村上春樹の「世界の終り~」では非常に印象的に曲が使われてるし、
映画「アイデン&ティティ」では劇中、登場!?してもいる。

 その人と曲よりも、そのファンが語るあれやこれやに影響されているかもしれない。
歌を聴きこむよりも。

 一人の人間であること。それを生きること。下を向かないこと。
なんかそういうことを声を聴くたびに思う。
 励まされるというか。そういう時は凄くそばに感じるんだ。
 涙を流したりはしないけどね。

 後悔するだろうとは思う。だからこそ、これを書いている。
実際目にするまで信じられない?実在していること。

 歌うことはできるんだ。彼の歌を。いつしか自分の歌になっている。
転がる石のように。




君の幻ぼくにはリァリテリー

2014-03-02 10:39:23 | Weblog
自分の信じたことをする。
他人の評価など気にしない。
生きたと感じたい。それは自分だけにしかわからない。

調和された世界がいい。
具体的には?とかわからない。
犯罪がなくなれば?とかそういう単純な話ではない気もするが、
半分は当たっている気がする。

後ろから刺されたくないだけ、突っ込んでくる車に踏みにじられたくないだけ。
安心安全、結構。何と引き換えに?

何だろう。ただの気分の問題か?
結局人間の内面など、みな同じようなものだと。
大きな大きな物語をきょうどうで紡いでるだけ、か。

昨日、tvで何も出来ないことを自信に出来ればそれが本当のことと。
でもいつも気にするんだ。今だって。呪縛のように。
どう見えるどう見えるどう見える。

正面から見てくれ。

とろとろ

2014-02-16 10:42:20 | Weblog
  なんだろう?自分の言葉というか心が見定められない。
入ってくるのはノイズばかりで、それを頭の中でなんとか統制を取っている。
 今と、接点がないようだ。記憶だけが膨張していく。
さも、ほんとにあったことみたいに。厄介だね。涙だけが研ぎ澄まされて
美化されていく。
 あのベンチが、去っていく人が、分かり合っていたと少なくても気を遣わなくてもよい空気が
愛しくなる。時々。
 別に悲しいことがあったわけではないし、落ち込んでもない。

  交わされなかった会話はそのままだ。後悔だけが堆積していく。
忘れることだけが特効薬だね。
 そして、今日を何とか生きること。
一転、快楽だけを求めて生きている。欲望だけを自分の肉体だけを媒介に。

  何もかも遮断していきたい。健康的な生活があればいい。時々、ラジオで流れる音楽があればいい。
暖かい布団が、熟睡があれば、、、もう既に幸せなのか。

  ときめきたいとも思っているんだ。胸のざわめき。
夜の街。夕方ネオン。喧噪。隣にいる、、君、、!!?
少しイメージに寄り過ぎているな。妄想だ。他人を自分の人生に登場させるのはまだ時じゃない。

  そういって何年が経つ?

まあ、ぼちぼちやってこう。悲しき着地点。


息をとめて

2013-12-28 08:31:36 | Weblog
 どう生きるかとか、何が正しいとか、いかにも思春期的な悩みだけど
そこで右往左往している。大義のため美学のために生きようとするのではなく
あくまで今の一瞬一瞬の選択の積み重ねが人生というもの。一般論だ。

 自分の傾向として、抽象的なことであーでもないこーでもないともやもやしているけど
具体的なもので世界は充ち満ちている。世界はものだ。とりあえずリアルだ。 


 一生こうして愚にもつかないこと言って、人生を外側から眺めてるのも芸の内だな。
「自分」というのをどう定義するのか。特に、こうして好き勝手言えるし画面の前では
自分の身分?性別?歳?その他諸々を、偽ってというかそもそもなきこととして振る舞える。
全てがフラットになって、大きなものに飲み込まれていく。
 お互いに横たわる差異は摩擦を生むけど、本当に相互理解を望むなら避けがたいこと。

 相互理解、まるでバカみたいな響きだけど。

 自分は色々に触れていたい。人も物も。自閉の時代は終わった。そう願う。
けど同時に誰も見てないところで、深く深く潜っていたい。
何処までいけそうか。砂の上は退屈が並んでいる。淀んだ海だ。


2013の怠惰な日々、それこそが

2013-12-21 07:35:48 | Weblog
 いろいろなことを先送りにしている気がする。
ここで恨み節を言ってもしょうがないけど。
やるべきことはない。生存すること以外。そう望むこと以外。
後は自由に。どう生きてもいい。楽しめばいい。笑えばいい。

 けど、生存することが、ただ、それだけのことが重くのしかかる。
明日も生きることで今日がいかに摩耗していくか。
何も考えられなくなる。それがこわい。

 大きな意志にそって日々生活している。と言いたい。
ただ、その場限りの快楽に身を委ねているわけではなく。

 時々、自分は今の生活を続けててどうなる?と疑念が頭をもたげるけど。

 窪地で息をしているようなものだ。
ネットの世界も開かれていて何でも共有できるようだ。
けど僕は以前の匿名のじめじめした社会からはぐれた
ひきこもり部屋でぶつぶつ頭の中をこぼしている。

 人と関わること。人のことをまるで自分のことのように思うこと。
それが想像力だ。

 そしてあらゆる一瞬を、日常に堕する前に、その唯一性を蔑ろにしないこと。
いや、違うな、こうやって恐らく一年後も続いてゆく日常を慈しむと共に
それでも、この今と繋がろうとする 何も先送りさせはしない。

 要は今年もありがとうっていいたい。誰に行っていいか分からないから
あなたにいうよ。