ほんとにっき

身辺雑記、本の紹介、日々の徒然、サッカー、映画など。。

夜への手紙

2008-09-30 01:56:59 | Weblog
今日はいい一日でしたか?最悪な一日でしたか?
何事も無く、日々が過ぎていく。
それも幸せなことだと思います。
あなたがこの文章を読むことは恐らくないけれど、
僕は元気でやっています。心配事もありません。
のうのうと毎日を過ごしています。気のせいだろうか。
そうやって時間が経つほどに、あなたとの距離が、
どんどん遠くなっていくような気もします。
寂しいといえば寂しいし、孤独といえば孤独でしょうね。
でも、それはあくまで僕の問題で、あなたに解消して貰うような事ではないでしょう。
僕の悩みを聞いてください。
この世界に上手く溶け込めていないように感じる。
違和感がある。齟齬がある。何をしても何も跳ね返ってこないような気がしている。
それは、余りにも僕が愚かしい人間だからでしょう。
それに、これは一方的な文章ですね。聞かされる側としては、
たまったもんではないでしょう。他人の愚痴を聞かされるほど、
嫌なものはない。しかし、一つ言いたいことがあります。
あなたなら、僕の言葉に耳を傾けてくれるだろう、と勝手に思っています。
それに、あなたの声が聞きたい。
この上ないほど、聞きたい。

なんか、恥ずかしいな。(照)

わかってくれてたんだ

2008-09-29 02:43:19 | Weblog
何気ない一言で救われることもある。
「大丈夫?」いつも聞いてるような言葉なのに、特別な響きがある。
心の底から身を案じてくれているような。
全部分かってくれている様で、実際、僕を取り巻く状況に一切関知してない。
そんな一言もあった。

朝の匂いが好きだ。
朝食の匂い、コーヒーの匂い、新しい一日の匂い。
この頃嗅いでないな。それは、きっと疎外感を感じているからだろう。
僕がいてもいなくても朝は始まるし、僕がいないほうが、より爽やかかもしれない。
朝と仲良くしたいけど、なかなかその方法が見つからない。
誰か、朝との付き合い方教えてくれませんか?

なんか書いてて、「朝」という名前の女の子がいるような気がしてきた。
その子は多分、可愛くて、綺麗な髪をしている。
朝、目を覚めると一番初めに、「おはよう」を言いたい。
それだけで十分。

やがて、昼になって夜になる。暗くなっていく。
その柔らかな瞳は、輝きを失っていく。
何者も映さなくなる。寂しいと感じる。探したくなる。
でも、駄目だ。夜の路上は危険に溢れている。じっとしているしかない。
はじまりの光を求めている。窓から、柔らかにもぐりこむ時、
僕はまだ眠っている、僕の人生を丸ごと投げ出して。
でも、朝が動き出す時、その足音はしっかり耳に届いているんだ。
後は君次第。瞳を開けるか閉じるか。そう決めたら、こう呟けばいい。
「おはよう」って。

掴みにくい

2008-09-28 03:04:52 | Weblog
ちょっと自分の書いた文章を読んでみた。
語彙が限られてると思う。
特に、「世界」という言葉を多用していると自己分析。
なんだろう。ここで、例えば、コップの水が20ミリリットル減った、それは僕が飲んだから、
そんな小さな事もこの大きな世界に繋がっているのだ。と思いたいからなのか?

小さい頃、壁に世界地図が貼ってあった。
あと、国旗とその国の人口等が載っている本で僕は遊んでいた。
ブロックで三色旗を、組み合わせて作ったり、お絵描きしたり。
お気に入りの国旗は、リビア。緑色だけですむから。
我が懐かしき幼少期。その時分に持ったイメージかは判然としないが、思った。
世界地図の上で、世界中の人は生きているのだ。この小さな地図の上で。
可愛らしいものだ。国旗というものも面白く感じられた。
そこに住んでいる人が、デザインを出しあって仲良く、制定しているものだと思っていた。
 
宇宙という概念が、巨大すぎて頭が痛くなる。やはり、
世界地図の上で生きているというほうがしっくりくる。そこでは皆が手を取り合って、生きている。
国旗のデザインを考えながら。

そんな幻想を振り払いつつ、この宇宙の大いなる変化に含まれ、包まれながら
コップの水を飲む。僕で始まり終わる世界。そんなことはない。

床屋のぐるぐる

2008-09-27 04:11:36 | Weblog
何から書き始めようか。といっても、そんな大きな
出来事があったわけでもなく、起伏の乏しい毎日を送っている。

他者の人生に思いを馳せる。日本中の世界中の・・・。
例えばこの三日間で、各々の人生に何が起きたのか。
想像力が必要とされる。というより妄想力か。
本当にあったことは、その場に居合わせるしかないし、
その出来事を目の当たりにするには、相当の労力が必要とされる。
目的地に移動するのは疲れるだろう。多分。

旅をしたい、遠くに行きたい。
実は、5年前くらいから同じ事を言っている。
だけど、僕はそんなにタフな人間じゃないし、世慣れてもいない。
外国に行って、身ぐるみ剥がされている姿が、容易に目に浮かぶ。

「自分探し」を標榜して旅するのは間違いでは無いと思う。
知らない人や景色、街の持つエネルギー、雰囲気に触れることによって、
自ずと、新しい自分を用意しなければいけなくなるし、内面の変化もあるだろう。

でも、思うんだ。(矛盾しているけど)
近くの街角にも、それまで見たことの無い景色が広がっているんじゃないかって。
見落としてるものも沢山あるんじゃないかと。
季節の移ろいが、街をこの世界を実りあるものにする。
そんな変化は、日一日と起こっている。
だんだん寒くなってきた。
秋は好きだ。



9月24日

2008-09-24 06:32:51 | Weblog
朝、目覚め、何かを始められるという予感と共に
起きること程、幸せなことは無いのではなかろうか。
大方の人は一日の予定が決まっているかもしれない。
その積み重ねが、世界を形成していくのだろう。

計画性というものが無い。
子供の頃はあったように思う。漠然としていたが
将来のためになるかもしれないと思って、なるべく色んな事をした。
それが今、実用的に役に立っているかは分からない。
10歳の自分がいる。20歳の自分もいる。30歳の自分が
そこにいるかは、風向き次第だが
そこにいるという前提で生きないといけないような気もする。

点が連なって線になる。

夢の話しをしよう。決して現実逃避ではない。と思う。
一人の男が佇んでいた。
ただそれだけ。悲しい話だと思いますか?
あれは何を見ていたのだろう。
他人を見ていた。他人の生活を覗いていた。
それは許されることだろうか。

君と別れたら

2008-09-24 01:01:53 | Weblog
ここのところ、ある人のブログを毎日見ている。
その人の文章を読むと決して奇をてらうことも無く、
地に足が着いていて、人生の重みを感じる。
語る自分と語られる自分の距離が近いというか・・・。
見える世界しか語らないし、聞える音にしか忠実ではない。
フォークシンガーの方のブログ。
実は、このことを書くのにちょっと憚れた。
その人を、不快にしてしまいそうで、叱られてしまいそうで。
考えてみれば、おかしな話だけれど。
自分の足で歩き、自分の体で仕事を、創作をする。
シビアなことだ。けれども、憧れてしまう。
まあ、言うは易しだな。

一人で都会に生きるってどうな感じなんだろう。
楽なことばかりではないよな。
全く想像がつかない。でも、
誰も自分の事知らない中で生きるというのはわくわくすることだよな」
とテレビでリリー・フランキーさんが言っていた。
あと、他人が持っている才能に怯えて暮らすのも、悪いことじゃないって。
それぞれ生きていて、凄い人は沢山いると思う。
正直に言うと、ここ小さな町に住んでいると周りの人間が、
自分の仕事だけで窮屈になっていて、そんな大したことやってないんじゃないかと思うこともある。
実に最低な考え方だ。
社会を支えているのは人だ。
そんな当たり前のことを忘れてはいけないと思う。


ひどい

2008-09-23 01:09:24 | Weblog
最後の写真。なんだろう。
旅の思い出を誰かと共有したかったのかな。
最初から相手にされてないような気もするけど。
とりあえず、答えを言ってしまおう。
函館なのだ。
五稜郭タワーは白く光を放つ。

サリンジャーの短編を思い出す。
海に漂う一つのオレンジ。
やがて、僕の頭にしかそのオレンジは存在しなくなるだろう。
不思議だ、実に不思議だ。
          「ナインストーリーズ」

周りは見た事のあるものばかり。
愛着もある。寛げる。そうやって生活を築きあげていく。
自宅、自分の部屋。でも、
外出時、家の中はどうなってるか。
ぐちゃぐちゃになってないか。
その均衡は保たれているか。
誰にも分からない。だから、僕は戸惑っているのか。
いや、留まっているのか。でも、
知らない間に、僕の世界は 動いているらしい。
               

驚くほどに

2008-09-22 01:29:53 | Weblog
youtubeの動画を貼ってみて思ったのは、
これは一種の暴力に近いなということ。突然、見知らぬ場所に連れて行かれる。
他人の意図や思惑に導かれる。それも、物凄い速いスピードで。
インターネットの本領を垣間見る。
でも素晴らしい部分も勿論ある。
実際に、好きな歌を、その歌が響いている部屋に、場所に連れて行く事もできる。
所詮他人の部屋の他人の歌だ、と言われたら
返す言葉も無いけど。

くるり 言葉はさんかく こころは四角 カバー



ふにゃふにゃ

2008-09-21 06:40:09 | Weblog
この夏、僕は沢山の夢を見た。
思い出したいのもあれば、二度と思い出したくないのもある。
夢の中で生きていたといっても過言ではない。
目を開けた生活よりも、目を閉じた生活のほうがより豊かだった。
様々な人に会い、多くの出来事に直面した。
見知った顔にも会えたし、それこそ悪夢にも苦しんだ。
こんなんじゃいけないなと思う。

そう、こんなんじゃいけない。

でも、よく言われるように(?)、夢の中で綺麗な女性に会うと
目が覚めたあとしゅんとしてしまう。それは、
有名人であったり、懐かしい、時が止まったままの同級生だったりする。
そんな時、僕は何もなす術がない。起きた後の世界に対して。
それでちょっと悲しくなったり、怒ったりする。
僕はあなたに会えないのだ。

こんなんじゃいけないだろう。
夢も現実の一部かもしれないが、そこでは全てが受動的だ。
決められた物語をなぞっているだけだ。
そこでは望むことも求めることもできない。

目を見開け、動け
そしてまた、僕は眠りにつく。
甘美な夢を求めて、
いや違う、
豊穣な世界を後にして、やがて目を覚ますだろう。

2008-09-19 03:22:12 | Weblog
「成功するのなんて、たかだか2割ぐらいだ。10回のうち、
8回は失敗だよ。だけど、それを周りに見られて成長していくんだ」
その頃の自分は、全て回ってきた機会は全て成功しなければいけないと思っていた。
強迫観念に近かったのかもしれない。完璧じゃないと駄目だと思っていた。

「あの人の人生は、幸福だったねえ。とてもいい顔しているじゃないか」
生まれて、生きて死ぬ。その人だけの、時間の経過がある。
人はそれを人生と呼ぶ。社会からの、外部からの視点。
それが全てではないが、その視点を自身の内側に取り込んで、
この世界からはぐれないようにする。自分と世界を結びつける。

一本の映画がある。メディアでこの頃宣伝されているので、知っているかもしれないが、
「イントゥ・ザ・ワイルド」アメリカの映画だ。
あらすじを紹介すると(というかそれしか知らない)
一人の青年が、大学院への進学を控えた22歳の時、
自分の身の周りのものを処分して、アラスカへの旅に出る。
道中何が起きるのかは知らないが、彼がそこで得たものとは、失ったものとは?
そして何を捨て去りたかったのか・・・
まあ、こんな感じで「王様のブランチ」で紹介していた。

同い年なんだな、彼と。そして世界を味わい尽そうとしている。
生なるものの核心に触れようとしている。一種の憧憬がある。
視点も視線もかなぐり捨てて、外へ飛び出すこと。
僕にできるだろうか。それとも、こんな考えは性急に過ぎるだろうか。

えっと、ここのところ写真を貼っているけど、これは自分で撮った写真です。
ある街を撮ったんだけど、ほんと、一日中かけて。実を言うと少し散歩するつもりが、
迷子になってしまって自棄になって、一日ほっつき歩いていた。
よければ、当ててみてください。判るか判らないか、微妙な写真をもっと
撮っておけばよかったな。

早朝午前4時半

2008-09-18 01:41:11 | Weblog
走っている時、苦しくてしょうがないのにある地点から、
急に呼吸が楽になることがある。いわゆるランナーズハイ。
そんな時、足を前に進めるのを意識しなくても、自然に僕は走ってる。
風が気持ちよくて、道路には車が殆ど走っていなくて、
まるで、町を占拠している。走るための町。僕のための町。

それは早朝のこと、やがて人々は起き出すだろう。
一日は動き始めるだろう。そんな時、僕の姿はもう何処にも無い。
消えている。君の瞳に僕が映ることは無い。恐らくは。

垣根など無いのだと。この道も誰かが、ある時点で作ったのだと。
自然と共に生きることができないから、人工物でこの世界を埋め尽くす。
割り当てられ、保有し守っている。それが人生。
失うことを恐れ、また昇ることを躊躇し、過ぎていく。
それが人生。

でも、と思う。人生と人を引き剥がしたいと。
自分はそう生きたいと、切に願う。なに言っているのかわからないな。
つまりこういうことだ。
私は、この世界の一部で、見方によれば全体にもなりうる。
浮世離れしている。全く・・・。
(今読み返して、意味不明、困ったことに。でも、
伝えたいことはあるんだ。それが余りにも感覚的過ぎて困っている)

2008-09-17 02:51:12 | Weblog
「愛とか絶望とか言って恥ずかしくないのか、コノヤロー」という
声が聞えそうな気もするが、どうせならほんのちょっと突き詰めたいと思う。

生きている動物の数だけ、絶望と愛がある。それも、沢山を抱え込んでいる。
「親切は愛に勝つ」という有名なテーゼはあるが、僕も社会生活を送る上では、
これは間違いではないと思う。例えば、学食で並んでいる時に、女の子に
順番を譲ったり・・・。それでは、対価を求めるのは一体、どっちなんだろう?
と考えた時、悲しいかな愛がそれに当てはまる。
無償の愛なんて、余程の人でなければ実践できないだろう。
愛の特徴として、自分はこれだけ思っているのに、というのはある。
まさに独り善がり。思いと相手の思いは、一致しない。残念ながら。
乏しい経験の中で、書いてみた。認識としてはこんな感じ。

絶望について。僕はこの空間から自分というものから抜け出せない。決して。
そして、どんなに自分が変わろうともこの世界は変わらない。
どんなに努力をしても、そこにある怠惰は転がっているし、又、
どんなに何もしなくとも、そこにある世界は漫然と今日も動いている。
社会的弱者という言葉は好きではないけど(零れ落ちる「弱者」は絶対にいる筈だからだ)
その零れ落ちるその人を、助けることでしか、自らは救済されないのではなかろうか。
それは、親切から始まるのかもしれないが、やがて愛に辿り着くだろう。
あるいは、こんな考え方は傲慢かもしれない。
でも、人々のあいだにあるものを越えて生きたい。

人生の3冊と称して、本を紹介したいと思っているんだけど、
それがなかなか難しい。それで、ここで一冊。
今までの文章は、実は、その本の紹介文だったりする。
                  白石一文「一瞬の光」

でも言い訳がましいと思われるかもしれないけど、考えている事の
1割も書けていない様な気がする。(本当に言い訳がましい)