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ほんとにっき

身辺雑記、本の紹介、日々の徒然、サッカー、映画など。。

6月2日

2011-06-02 05:19:38 | Weblog
凛として時雨 - this is is this?



人間は醜いね。場合によっては、と言いたいとこだけど。
常に醜悪で酷薄で、救いようが無い。あくまで僕の視点から
と言うとこだけど。それが救い。あくまでこれは個人的省察。
君から見ればなんて素晴らしい芳しい世界。だったらいいな。

上手くいかなくて鬱屈としているから、世の中をひがみだした。
ただそれだけのことです。
共生とか無理みたい。やはりひとりひとりの欲やら不満やらには勝てないみたい。
それに蓋をして、目を向けず過ごすしかないみたい。

糞みたいな掲示板に、糞みたいなことが書いてある。
何が悪い。それを読む自分が悪い。気分を害するだけですもの。
でも、止められなかった。押し留められないよ。だって、苦しいんだよ。
その苦しみの原因が分かったような気がした。もう笑えないよ。
なんで、そんな歪んだギターが鳴るロックミュージックを聴く?
それはさ、こんなのよりよっぽど言葉というのが煩いからだ。

立ち向かう敵がいればいい。
打倒すべき政権があればいい。
掲げるべき思想があればいい。
皆で叫び歌う歌があればいい。
永久に続く運動があればいい。

どこにも受け入れない君のソファがあればいい。
悲しみで染まる日々を埋める何かがあればいい。

これは僕の苦しみと同時に誰かの苦しみ。
悲しいね。向こうに人がいるよ。悲しいね。それだけで。
何かを探し求めよう。どうせなら誰もが認めるような。
新しい朝が来た。
希望の朝だ。

あかるい

2011-05-13 04:22:44 | Weblog
いつから僕はこのままだろう。
 いつまでこのままだろう。
せっかくだから正直になろうと思う。思いの丈を吐き出す。
 
残したいんだ。なにもかも。100年後の世界にそっくり明け渡したい。
そりゃあ、世界は不完全だよ。だから、自分の周りだけ、その狭い世界だけ残したい。
そう思いたいからこうしているのかな。そう思わなきゃやっていけないからこうしているのかな。

全て燃やしたいんだ。なにもかも。ここで終わりにしたい。灰になってさよならだ。
他人の苦しみをうまく想像出来ないんだ。痛みならなんとなく分かる。
痛いのはいやだからね。だから、逃げてばかりだ。

人と向き合えないんだ。痛切に。まるで謎だね。最大のクエスチョンマークだ。
君は僕と同じところあるかい?真っ当な部分も、歪んだ部分も。例えば、映画の銃殺シーンを見てニヤニヤしたりする?
トイレで便座に座り込み、頭抱えて絶望したりする?もうおわりだって。そして、それを楽しんだりしているんだ。
慢性化してる。

昨日の夜、耳元で囁いてほしかった。なんでもいいから。それぐらい参っていた。
理由なんて無いよ。しいて言えばそれが理由。恵まれすぎているからか。
だから、うまく成長しなかったのか。これから育つこともあるかな。
自分ばかりに目が行きすぎか。独我論だね。

何が大事ですか?何を抱えて生きて死んでいきますか?
守りたいものありますか。今、起きてる?電話していいって電話したい。
今ならすらすら喋れる様な気がするよ。あることないことをね。
それでいいんだって、自分をいくらでも偽っていいって。

まあ、常識的に考えればこの文章書いてるやつは痛い子だね。
きちんと客観視は出来ているよ。だからって何も変わらないけど・・。
ああー、今分かった。それが苦しみというやつか。
僕が僕として演じていても演じていなくても、それが全て僕という人間、または逆も然り。
『これが俺だ、紛れも無い俺だ』っていう瞬間も確かにあると。
それはなりふりかまわず、遮二無二なっているとき。今を生きているとき。
だから、人々はスポーツみたいものに惹かれるんだろう。

人と向き合いたい。全て燃やしたい。残したい。


ひつようなものは

2011-05-04 03:18:14 | Weblog
別に信じているものも、どうでもいいものも
信じていないものも、あらかたなくなって、
悲しみが生み出すものは何も無くて、しいて言えば連帯感だけで
もう一方で、何不自由なく飯食って、笑って冗談の種になんかして
それは届かないから、姿は夜の闇にまぎれてここからは海の向こうは
ただただ遠くて、想像力はか細くて、今人々が今まさに生きていることを
確かめられなくて、すべて虚構に見えて本当って何処にあるんだろうか、と
それより心配すべきは自分の身の上で
もう前に進んでるよ、現実を変えるのは行動だけだからね
だから、せめて邪魔しないでおくよ


いつも同じようなこと書いている

2011-04-21 02:08:36 | Weblog
何を書いていいかわからない。
そもそも書かなければいけないことなんてない。
全くの自由だ。今すぐ何処行ったって、なにしたっていい。
いいはず。
自由を与えられるのが恐いのか。
方向性を人生に与えなければ。
窮余のものでいい。

潜在能力ってあると思う?
眠ってる未知なる力。
出会うことあるかな。

そんな夢見てないでできる事しなさい。
それで困っているんだ。
ひとから要請されると仮定してすることしかできないのか
お客様は神様です的なことをして自分を磨り減らすのか。
でも、そこに喜びを見出せたら幸福かもしれない。

わがままでいよう。
いまは、自分で自分を喜ばせて
へらへらしてる事ぐらい。

僕とあなたは今を生きる。
連帯なんて絆なんて糞食らえ。




1月10日

2011-01-10 15:35:06 | Weblog
 成人式の振袖って綺麗だよね。幼い頃、札幌にこの時期に行ったことがあって地下鉄ホームに新成人の方々がいて見惚れてた。ふわってなってた。心が。無垢だったんだろうか。今、ニュースで見掛けても何も思わないものね。
『せいぜい楽しくやってろ』って。でも、どこかでこうも思う。『幸多き人生を』と。

 自身の成人式には行かなかった。俺はもうこの世界にいないものと考えてくれ、姿表すことはないから。自意識過剰だね。憶えてないのに忘れて欲しいなんて。いないのも知らないのに。

 それから、5年が経った。過去のブログを見て分かるように(笑)、まるで何もやっていない。少しは人の為になりたいものだ。エンタメって毛嫌いしてたけど、人を楽しませるって凄いことだよね。それがいかに商業的で半ば悪徳的なものでも。この文章も読んで少しでも、時間つぶしになったら嬉しいよ。

 なんか、今日はいつもと違うよ。繋がってはいないかもしれないけど、そこにいる。それを認めるときが来たんじゃないかって。例えば、都会に住んでいて街を歩いていたら、沢山の人とすれ違う。まさに、人間交差点。無関心なんてことも言うけど、目にするだけで、足音を聞くだけで、匂うだけで、風を感じるだけでそれは、すばらしいこと。
 田舎に住んでると、人に会わない。歩いていても寒いし、滑るし、車社会は嫌いだな。でも、恩恵も受けている。十分すぎるほどに。
 なんか、とっちらかった内容になってしまったな。でも、新しいこと始めようと思う。ささやかだけども。



 

オフロスキーの衝撃

2010-12-27 02:30:52 | Weblog
他人をじっと見るなんて失礼に当たるし、買い物籠を眺めて感心してしまうなんてあるまじき行為だ。
スーパーなんか滅多に行かないが、そこの客に、女性にまぎれて男性、特に年配の方が買い物していると
なんだか感慨深いというか、不思議な気分に襲われる。家に帰ってひとり夕飯なのだろうな。
酒類に、豆腐に、お惣菜に、カップラーメンに、3カップ入りのヨーグルトに、どれも調理の必要がないものばかり。
現実に生きているんだと思う。そして、現実に死ぬ。
人間ていうのは、栄養が必要でそのために食事をする。

逃げてばかりだった。この一年。
何かが具体化するのを避け、夢の世界で呼吸していた。
もう年をとり過ぎていた。もう、何もかも手遅れなのだろう、と。
でも、お惣菜までの距離は遠い。「やがて」、だろう。
なんでもありなんだろうと、開き直るしかなかった。
他人を傷つける以外は。
でも、他人と触れ合うのと、他人を傷つける。その境目がよく分からなかった。

卵は孵化するだろうか。それとも、このままだろうか。
価値観なんて捨ててしまえ、「全てはまやかし」って、確かに楽になれるよ。
でも、それでいいの?見たことのない世界を見たい。

感じたことのない自分でありたい。
この世界の静寂を、聴きたい。

14歳

2010-10-18 04:06:02 | Weblog
僕は何も言えなかった。
何も分からない、知らない全くの未知の体験。
その一言一言が、関係性を揺らし、場合によっては破滅に向かうことを思うと、
身動きが全く取れなかったんだ。
じっとして、嵐が通り過ぎるの待つだけ。

妄想はしたよ。全ては僕の意のままで、触れることだっていとも容易くできる。
甘い時間が、脳内に流れる。その瞳が、じっと覗き込む。

そう、僕は恋をしていた。何十年も前の話に思える。
だけど、乗り越えていない。
人と人が向かい合って、出来ることは何だろう。
勿論、僕らは楽園に住んでいるわけではない。
様々な制約があって、その中で何とか繋ぎ止めている。
他の人のことは知らないけれど。

十全に理解したいと思う。
作家は、誤解の総体が理解だという。
きっとそうなんだろう。
僕は幻想の中で生きる。
そうしかない。

おやすみ、8月。

2010-09-25 03:33:23 | Weblog
徒労感っていうのだろうか。

何か新しいことに出会えるのだろうか。
全てのことはもう決まっていて、
意志の力などではどうしようもなくて、あるいは、それは、
大それたことしか考えていないから?

だから扉を開ける。時々歩きたくなる。誰かと無性に会いたくなるのと同じ。
内なる欲求。内なる発作。
そして扉を閉める。思ったよりずっと寒い。8月を、夏をまだ引き摺っている。
夏休み。
終わることも、始まることもなく。ずっと続く。続いている。
さて、本当の正しさってあるのだろうか。
何か力を行使する時の弁明に過ぎないのでは?
ほら、また、大それたこと。

夢の中にいる。ゆっくり死に向かっている。
そこでは意志の力など、まるで効力を持たない。
こういってくれよ。
我々は、そう、我々は接触する。

それだけが重要だ、と。面倒くさいけど。

我々って何?ここにはあたしとあなたしかいないでしょう?
って言ってくれたら、其の視点、オーケー。

あきですな

2010-09-19 04:21:51 | Weblog
ポール・オースターの小説「ムーンパレス」を読む度、僕は
あちこちに連れまわされて、でもその感覚が好きだ。
移動というのが20世紀アメリカ文学の一つのテーマだとか、あとがきに書いてあったけ。

作中、目の前の世界を描写しろ、言葉で伝えろと命じられる場面がある。
その難しさ・・。この文章を書くとき、
言葉の元来持つ面白さ、間合い、温かみあるいは冷たさ、
わけの分からなさ等を含む感触を、
感触だけが伝わり、その文章を書いている時間だけを感じて共有するのが、
大きな喜びだと思ってた。それは読み手としてもそう。だから、小説を主に読んでいた。
その手触りが心地よくて、作者と一緒に旅をしてる感じがして。
それも、読み方の一つ、生き方の一つ・・。

でも、それじゃあいけないな。人に何かを伝えるとき、一対一で向き合うとき、
その間に生まれる{コミュニケーション}交流のその可能性を突き詰めなければと思う。
人に何かを伝えるとき、自分がした同じ動作なり、言葉が返ってくると伝わったと感じる。
でもそれって本当なのか、人真似に過ぎないんじゃないか?脳はそういう風にできてるのか?

稚拙ですな。しかーし、人と話をしてて、もし自分から言葉を奪われたらなんてふと思う。
心臓の鼓動だけが唯一聞こえる、物音で。

こういう仮定は愚かしいことだと思う。そして、こういう言い訳をするのも。
 
 どこにもいけないことはないだろう、君がそこにいるから


別の世界に旅立つ

2010-08-13 03:34:06 | Weblog
それは、一秒ずつ起こってること。
決して、おんなじ世界はない。
理論を持たない、見識を持たない、ひょっとして知性も持ってないかもしれない。
それでも何かを語ってることに対して、そんな生半可な姿勢に頼ってることに対して少し嫌になった。
一夜の夢、出会えた奇跡
柔らかな肌の奇跡。
区切りが欲しかったんだ。どうにか生きていけるように、できればまともに。
世の中のことは分からない。何かを説明できない。
すぐ口ごもってしまう。惰性のみに頼れて、どこまでも滑っていける。
おぼえているよ、君が僕に言った全て
それが、今の僕にとっての全て
君が僕にとって全て、なんてことは言わない
これでオアイコだ、許してくれるよね?

真面目な話をしよう。
行間は、ほとんど無限だ。

それが楽しいだろ?
何も気にしなくていい。なんて楽なんだ、良く見せるとかそんなのどうでもいいんだ。
テレビ見てるとそのことばかり気にしてしまう
きれいな瞳してる
君を見ている、僕を見ている、世界はそうやってできてる
故に、不確かで流動的、ちょっと哲学的。
夜の中に、朝を思う。
行間は、ほとんど無限だ。



出立の朝

2010-04-30 03:01:29 | Weblog
何も話したくない。いまは。
何も考えたくない。おそらく、この先も。
誰にも触って欲しくない。
僕は汚れているのか?ずっと見てきただろう?
そんなの分かっているはずだよ。
雨に打たれればいい。滝に打たれればいい。
思ったより世界は、肉体的。
痛みは痛みとしてその体を締め付ける。

レンタルビデオ

2010-04-24 02:29:07 | Weblog
正確にはDVDだけど、ツタヤではまだ100円レンタル実施中なので、
色々借りてきた。それで、今日見たのは、「海の上のピアニスト」
あらすじは語る必要もないけど、まあ、船の上で一生を終える一人の男性の話。


ここから、物語の一端を書こうとおこう。



彼は、間違いなく天才だけど、功名心は全く持ち合わせていない。
ピアノというものは鍵盤からなる楽器で、端から端まで有限だ。
その有限さこそ、人間の無限さを表現できると彼は説く。
それに対して、陸地のなんたる無限さよ。
そこで彼は、何も選択できないと思い知る。
いわゆる人生というものを、始められない、と。

そこで僕は、思いっきり感情移入してしまう。
僕は、何もできないけど、才能というものも今のところ持ち合わせていないけど、
彼みたいに、自由に何かを操れたら、それ以上何も求めないかもしれない。
ひとりの女性を除いて。語るべき物語を除いて。

腰を据えて、同じことをし続けること。そこには苦悩がある。
その苦悩がいつか笑顔に変えられたらいい。

午前3時、春の雨。

2010-04-11 03:12:16 | Weblog
まず、自分で生きていくこと。一人で。その上で、ともに生きてくれる人がいるなら
享受すること。漫画「シガテラ」で、主人公はそう決意を固める。

僕は、まず、自分ひとりで生きていこうとは考えていない。助けてもらって、その相手が
ズタズタになるまで、吸引して、自分はのうのうと生きる。できれば、ヒモみたいのがいい。

とは、全く思わないが、自慢できることはそんなに多くはないけど、誠実でいること。
他者にとっても、自分にとっても。だから、他にも、それを求めてしまう。
ニュースが流す様々な事件。誠実でいれば、防げたはずなのに・・・。とは
全てにおいては思えないけど、大部分はそうだろう。いや、違うな
誠実さとは、余りにも脆弱で、真っ先に虐げられるものだ。
規律や生産性や、暴力の前では。

結局、両義性に僕は右往左往している。
痛みがあるというのは痛みがないと分かっているということだろう。
愛していると言うのは、愛してくれなくても構わないということだろう。
誠実さを求めるというのは、相手に対して無関心だということだろう。

もう寝るよ。随分、遅くなってしまった。
ヘロヘロな文章。ヘロヘロな真夜中に。
おやすみ。

人が多すぎて、僕は小さすぎて

2010-04-08 00:28:04 | Weblog
眠れないときは君のことを考える。かといってその人には実体がない。
空想の産物。地球上の人が、君になる。それこそ実体がないかもしれないけど、
いまここで、生きている、出会うことはないかもしれないけど、それぞれが
生活を営んでるというその人たち。でも、それが困難な人々がいる。
そして、誰もが彼らを助けられない、テレビのドキュメンタリーを見て、
少し考えて、でもどうしようもなくて、テレビを消す。排除する。

小学生のころ、給食を残してる子に対して、食べられず亡くなっている人もいるのだから、
せめて、給食を残さないようにしようと考えたことがある。
それはその通りなのだろうか。多分違うような気がしている。

世界には、沢山の人と、価値観がある。そこでは死さえも尊重すべきもので崇高なもの。
いくら長生きしたって、思うがままに人生を送ったって、僕のためにしかならない。
あるいは、虚無的な考え方かもしれない。誰かのためになるのか。

誰かを助けて、そして助けられるというのが愛なのか。
そこまでは、余りにも近すぎて、遠い。

関係性とは何ぞや

2010-03-31 11:23:20 | Weblog
人と話していて、「今の人は自分の楽な関係性しか結ばない」と言い
それはネットとか関係あんの?と訊いたら、「あるかもね」と鼻でわらわれた。
そう、その人はネットしない人で、僕のこと、少しネットオタクだと思っているのだ。
そんなことはない。
面白いサイトとかしらないし。

あるコミュニティに逃げ込むというのはすごい大事なことだと思う。
現実にどうしようもない、脅威が、(見えない)暴力が存在するとき、
架空でもいいそんな場所が必要だろう。
ここまで書いて連想したのは、「1Q84」なんだけど、その作品
をとても僕には読め解けないので分析的になるのは止す。
だが、宗教というもの又は、ポスト宗教というものが現代を
覆い尽くしているというのは過言だろうか。
で、宗教って何って話になるんだけど、もともとは死を恐れた人々が
それを解消するために、神を、仏を作り出したんだよね、(ものの本に書いてあった)
それで、様々な教義や、欲望を抑制されるのも暴力を遠ざける為だし、
従来の宗教はそこに厳格さがあった

とここまで書いて、自分の勉強不足に愕然とする。
宗教とは、信仰とは、共同体とは、社会とは、関係性とは何ぞや。

僕は、あまりにも歴史のことを知らなすぎる。
そこに人がいて、たかだか20数年生きていて、その20数年知ればいいやと、思ってたけど
そんな近視眼的な考えは駄目だと思う。

今は、僕は、楽なほうに逃げちゃ駄目だ。