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1号機のメルトダウンと菅政権

2011-05-24 17:26:13 | ニュース
東日本大震災が発生した6時間後に、東京電力の福島第一原発1号機の原子炉建屋で、高い放射線量が計測されていた事が東京電力の公表した資料で判明したのだが、通常は出ないレベルの放射線量で、丸1日浴び続けると死亡すると言う。
この段階で既に圧力容器内の水位が下がり、メルトダウン(炉心溶融)が始まった可能性が高い。

地震直後の運転日誌や中央制御室内の白板の記述によると、地震の6時間20分後の3月11日午後9時8分、10秒間で0・8ミリシーベルトの放射線量を記録。
毎時換算すると288ミリシーベルトで、原発の作業員が5年間に被曝する上限の100ミリシーベルトを20分で超える値になり、40分後の午後9時51分に1号機原子炉建屋内への立ち入りが「社長指示」として禁止された。

午後11時、原子炉建屋に隣接するタービン建屋内の中央制御室近くでも毎時1・2~0・5ミリシーベルトを記録したのだが、通常、原発に従事する作業員でも年間5ミリシーベルトに達する事は殆んど無いにも拘わらず、翌12日午前9時には、11日入った作業員4人に最大25ミリシーベルトの被曝が有ったと報告されたと言う。
東電の解析では、1号機圧力容器では水位が下がり、3月11日午後9時頃から燃料が溶融。
熱や圧力で格納容器を貫く配管等が傷付き、炉内で発生した水素や放射性物質が漏れた。
実際の放射線量の増加も解析結果とほぼ合致。
各種計器は当時、圧力容器内の水位が足りている事を示していたが、中央制御室の白板には「1号 水位計あてにならない」と書かれていた事が判明している。

菅直人首相は23日の衆院復興特別委員会で、福島第一原発の事故から2ヶ月以上経過した15日に、1号機のメルトダウンを発表した事に関し、発表まで事実関係を知らなかった事を強調した。
しかし、「当初から色んな意見が有った事は承知している。早い時点から聞いていた」と述べ、メルトダウンの可能性も有ると早期に認識していた事を示唆した。
メルトダウンに付いては、原子力安全保安院の中村審議官が、震災翌日の会見で、検出された放射性物質から「(1号機の)炉心の中の燃料が溶けていると見てよい」とメルトダウンの可能性に言及していた訳だ。
中村審議官が行った、この会見内容に付いては正しい認識だったと言われている。

しかし、である。菅首相と枝野幸男官房長官は、「国民に不安を与えた」と問題視し、中村を会見の担当から外す様に経産省に指示したのだ。
そして、枝野はメルトダウンの情報に付いて「炉を直接見る事は出来ない」と言い、中村の正しい指摘を封印した経緯が有る。
あの段階でメルトダウンを認め、直ぐに海水注入の措置を取っておけば、その後の水素爆発、放射性物質の拡散は防げた可能性が高いと専門家は指摘している。

地震発生から6時間後にメルトダウンしていたのであれば、何故にメルトダウンと言う重大な問題を、2ヶ月以上の間、政府が把握出来なかったのか?と言う事が最大の疑問だ。
また、メルトダウンしている状態なのに、福島第一原発の周辺住民に対する避難地域の範囲は適切だったのか?。と言う問題も生じる訳だ。
何れにせよ、政府の危機管理能力が問われる重要な問題であり、これらの問題に付いては徹底的に解明して行く必要が有るだろう。では。

【ネッタイムス・東坊京門・作】