私は、この国の動物たちの現状を一人でも多くの人へ知って欲しいと思っています。
殺処分ゼロ運動は、誤った方向へ進んでいて、このままでは共生社会どころか、人も動物たちも不幸になってしまう…そのことに気づいて頂きたいのです。
■ 日本の保護犬猫の未来を考えるネットワーク
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私たちも保護される犬たちの未来を真剣に考えています。
一部でネットワークは殺処分を推奨団体の集まりと伝聞されていますが大きな誤りです。
ネットワークは1頭でも一匹でもシェルターに収容される犬猫を減らし、シェルターやセンターを必要としない日本の未来を願っています。
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ナゼ「殺処分肯定派」とされてしまうのでしょう。
ナゼ 現場の声に耳も傾けず、上から目線で断定するのでしょう。
殺処分ゼロ運動は、誤った方向へ進んでいて、このままでは共生社会どころか、人も動物たちも不幸になってしまう…そのことに気づいて頂きたいのです。
■ 日本の保護犬猫の未来を考えるネットワーク
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私たちも保護される犬たちの未来を真剣に考えています。
一部でネットワークは殺処分を推奨団体の集まりと伝聞されていますが大きな誤りです。
ネットワークは1頭でも一匹でもシェルターに収容される犬猫を減らし、シェルターやセンターを必要としない日本の未来を願っています。
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ナゼ「殺処分肯定派」とされてしまうのでしょう。
ナゼ 現場の声に耳も傾けず、上から目線で断定するのでしょう。
■私の動物愛護倫理
https://blog.goo.ne.jp/nekoten2015/e/380c0efb3228150d5dcaa3c5167f9a48
無理なくがボランティア活動を長く続けるコツ。
でも「殺すな」「保護しろ」「命を選ぶな」と理想を押し付けられます。
強いられた保護ボランティアは疲弊しています。
たちまち満杯になる保護施設。
行き届いた世話を受けられない保護動物たち。
多頭飼育崩壊が連鎖的に起きているのです。
なおかつ、この現象に終わりはありません。
それでも、歯を食いしばり SOS を発してはならないのでしょうか。
保護施設を増設したり、譲渡を拡大して殺処分ゼロを装っても、問題は何一つ解決しません。
■ 山路徹氏 Facebook から
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
愛護活動をかじって専門家ぶる人ほど、殺処分を容認する人がいます。
それはとても恥ずかしい勘違いで、いかなる理由の前にも、生きてるものを殺してはいけない、ということを肝に命じるべき。
そういう人に限って上から目線なのが呆れてしまいます。
言うまでもありませんが、何人にも命を奪う権利などないんですよ!
人間の都合で犬猫の命を奪うなどもってのほかで、言ってみれば保健所における殺処分は究極の動物虐待に他ならず決して許されることではありません。(重度の病気やケガなどで生きるのが困難な場合は除きます)
殺す行政から生かす行政への転換を求めます。
結論は、こうした価値観を共有できない人々(=殺処分容認派)はブロックしていきますので悪しからず。
いかなる理由があろうとも殺処分容認派の考え方とは議論の余地はありませんから。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
殺処分ゼロのために、容易く遺棄される命がある。
殺処分ゼロのために、生き地獄におかれる命がある。
殺処分ゼロのために、不幸な悲しむ命が増えている。
殺処分ゼロのために、社会から弾き出される人たちがいる。
殺処分ゼロに異議を唱えたら、殺処分推進の烙印を押される。
もしも、今いる犬や猫全頭に「不妊去勢手術」を施したならば、不幸な悲しむ命は減ります。
数年後には殺処分ゼロになるでしょう。
飼い主がいるいないに関わらずです。
ただ生かしていくより、費用もかからないと思います。
頭数制限されたなら、命を選択せずに保護が可能になります。
保護動物を手厚くケア出来るため、幸せになるチャンスが生まれます。
頭数が少なったことにより、皆んなに家族が見つかり愛されるでしょう。
その過程において「処分せざるを得ない命」もあるということです。
その命を生み出したのは、我々人間の責任。
だから、せめてガスではなく安楽殺をと提言しています。
同じ景色を望んでいるはずなのに、残念でなりません。
もう一度、 感情や思い込みにクリーナーをかけてから知って下さい。
そして、考えてみて下さい。
~関連記事~
■ 殺処分ゼロの歪み
■ 殺すな!という前に
■ How to 殺処分ゼロ
■ 殺処分ゼロの犠牲になる命
■ 危険な殺処分ゼロ
【 ねこてん 公式HP 】
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でも「殺すな」「保護しろ」「命を選ぶな」と理想を押し付けられます。
強いられた保護ボランティアは疲弊しています。
たちまち満杯になる保護施設。
行き届いた世話を受けられない保護動物たち。
多頭飼育崩壊が連鎖的に起きているのです。
なおかつ、この現象に終わりはありません。
それでも、歯を食いしばり SOS を発してはならないのでしょうか。
保護施設を増設したり、譲渡を拡大して殺処分ゼロを装っても、問題は何一つ解決しません。
■ 山路徹氏 Facebook から
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愛護活動をかじって専門家ぶる人ほど、殺処分を容認する人がいます。
それはとても恥ずかしい勘違いで、いかなる理由の前にも、生きてるものを殺してはいけない、ということを肝に命じるべき。
そういう人に限って上から目線なのが呆れてしまいます。
言うまでもありませんが、何人にも命を奪う権利などないんですよ!
人間の都合で犬猫の命を奪うなどもってのほかで、言ってみれば保健所における殺処分は究極の動物虐待に他ならず決して許されることではありません。(重度の病気やケガなどで生きるのが困難な場合は除きます)
殺す行政から生かす行政への転換を求めます。
結論は、こうした価値観を共有できない人々(=殺処分容認派)はブロックしていきますので悪しからず。
いかなる理由があろうとも殺処分容認派の考え方とは議論の余地はありませんから。
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殺処分ゼロのために、容易く遺棄される命がある。
殺処分ゼロのために、生き地獄におかれる命がある。
殺処分ゼロのために、不幸な悲しむ命が増えている。
殺処分ゼロのために、社会から弾き出される人たちがいる。
殺処分ゼロに異議を唱えたら、殺処分推進の烙印を押される。
もしも、今いる犬や猫全頭に「不妊去勢手術」を施したならば、不幸な悲しむ命は減ります。
数年後には殺処分ゼロになるでしょう。
飼い主がいるいないに関わらずです。
ただ生かしていくより、費用もかからないと思います。
頭数制限されたなら、命を選択せずに保護が可能になります。
保護動物を手厚くケア出来るため、幸せになるチャンスが生まれます。
頭数が少なったことにより、皆んなに家族が見つかり愛されるでしょう。
その過程において「処分せざるを得ない命」もあるということです。
その命を生み出したのは、我々人間の責任。
だから、せめてガスではなく安楽殺をと提言しています。
同じ景色を望んでいるはずなのに、残念でなりません。
もう一度、 感情や思い込みにクリーナーをかけてから知って下さい。
そして、考えてみて下さい。
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■ 殺処分ゼロの歪み
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