私たち地域猫を推進しているボランティアは、時に「愛誤」と揶揄されます。
動物愛護は、動物だからといって分け隔てることなく、その命を大切に思い、尊厳を守ることではないか、と私見を述べさせて頂きました。
■ 動物愛護は何のため?誰のため?
どうして動物を愛し護らなければならないか?
それは動物の命を慈しむことによって、自分の命も大切と、他人の命の重さをも理解できるから。
そして「命を大切にする」ということは我々の心情、そして社会のモラル向上に繋がると思うのです。
ゴールは、人も動物も安心して暮らせる社会。
ところが、「動物のためにだけ」活動をしている団体やボランティアもいます。
その目的は、動物が大切に扱われることが最優先であり、そのためには人の生活や社会の在り方が歩み寄るべきだというスタンス。
これは「愛誤」ではないかと私は考えています。
例えば、有明公園でトラちゃんのリリースについてボランティア内で意見が分かれました。
トラちゃんを保護した後に、公園内で急性腎不全よって倒れているニイニイを発見。
救急病院で一命を取り留めたものの、予後が不調でした。
行きつけの病院へ助けを求め、膀胱を一部切除するという大手術を受けます。
有明ふ頭公園での地域猫活動は、中心で給食をしているAさんと、そのサポートが3人という人員です。
その内、猫の保護可能なのは私とBさん。
ふ頭の猫は、私が里親様探しをする予定で保護預かりを引き受けていました。
本来ニイニイは、主に里親様募集の出来ない子を引き取って下さっているBさんの担当なのですが、もう既に10匹以上を抱えている...またご両親の介護で定期的に里帰りをされている...。
回復まで目が離せない容態だったニイニイは、私が責任を持ってお世話をすることになりました。
しかし、食べない食べてくれない.....ドライフードでの強制給餌が1時間以上かかり、他の子の面倒まで手が回らない状態へ。
ストレスからか猫風邪が蔓延し、とうとう私は、パニック超えてパンクをしてしまいました。
そこで保護して1ヶ月間、フリーズしたままだったトラちゃんをリリースする決断をしたのです。
そこに、Cさんが大反対。
これにはサスガに腰が抜けました。
彼女は一時預かりは出来ないのです。
加えて、里親様探しが難しい高齢猫2頭をウチへ持ち込んでいます。
彼女は、状況を説明しても聞く耳を持ちません。
私を説得する構えで、押し掛けてきます。
ありとあらゆる手を使って、リリースを阻止しようと試みます。
最後は「里親様に預ければ良いのでは」と言い放ち、コチラの堪忍袋の緒が切れました。
彼女Cさんの主張は ──
●何があってもリリースしてはならない!
●そのためには人の生計や健康が損なわれても致し方ない!
そして彼女の最終目標は「自分の意見を押し通す」ことなのです。
一方的に自分の要求を通し、欲求を満たそうとする。
そのために社会や人々に犠牲を強いる。
これでは動物の命は、自己主張の小道具でしかありません。
この人の行動は「愛誤」です。
これは私が経験した突出した事例です。
その他、餌だけをバラ撒く人の「お腹がすいたらカワイソウじゃない」──
外飼いしている人の「庭を横切るぐらい我慢してよ」 ──
愛護団体に動物を持ち込む人の「飼えないから助けてあげて」 ──
何を大切にするか、何を大事に思っているかが境界線なのかもしれません。
愛誤は「動物のためにを優先させる自分の心が満足すること」を。
愛護は「動物にも優しい暮らしやすい人間社会」を心の真ん中に置いているのだと思います
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【 ねこてん 公式HP 】
トラちゃん、外ではスリスリ寄ってくるフレンドリーな子だったのです。
というか、子猫のシーズンまでにケージが空いたため、直ぐに里親様募集出来る子ということでの保護預かりだったのですが.....。
トラちゃんみたいな外暮らしに馴染んでいる子は、外で見守り、体調を崩した時に家か病院で看取るが、猫にとっては幸せかなと思っています。
「引き取れ」「家で飼え」って人は、結局は野良猫排除なんですよね。
その存在に許容が出来ないから、責任を押し付ける.....これは解決にならないし、愛護を推進する行動が停滞してしまいます。
愛護団体が穿って見られたり、野良猫嫌いが増えたりと、二重三重にマズイんだけれども、猫ボランティアさんに多いのは否定できない (泣)
その目的は、動物が大切に扱われることが最優先であり、そのためには人の生活や社会の在り方が歩み寄るべきだというスタンス。
これは「愛誤」ではないかと私は考えています。”
まさしく地域猫ですね。そもそもリリースする必要性は全くないですし、飼えないなら獣医に殺してもらうべきです。リリースせずに飼うのは人間の負担になるから愛誤って、愛誤家個人の負担でしょ。リリースしたら人間社会に迷惑被るのだから上記のあなたの考えを引用したとしてあなたは紛れもなく愛誤ですね。
まぁ、実際にあなたのやっている事は動物の虐待でしかありません。動物の為だけに活動する人の方が自分の為だけに動物を殺し、人間社会や自然界に著しく被害を与えているあなたよりよほどマシです。
それを咎められたら、愛誤!って…
猫自身がやって欲しくもない手術を受けさせてまで生かさずに、そのままにしておけば良かったのでは。病死もある意味自然死。
地域の迷惑を考えてない貴方が一番愛誤。
https://blog.goo.ne.jp/nekoten2015/e/de316262ba5658001fbb3cc282121510
不妊手術をさせず、いずれ殺される命を産ませ、その子たちによるゴミ荒らしなどを放置しているあなたこそが一番愛誤。
生まれてきた子たちは、食べるものすら無く、生きる方法はゴミを荒らしたりするしかない。夢にまで幸せなお食事を観たあげく、疲れ切った所で車にはねられて命を落とす。
それ以外の子たちは力尽き、幸せな夢を観ながらも叶わない悲しさ、悔しさの中、意識が遠のいていき、やがてこの世を去る。
私はそんな子たちをたくさん見てきた。
また、私自身もそうなる可能性があった。
その子たちの命は「殺されるために生まれてきた命」。
不妊手術を受けさせない事は、「殺されるための子」たちをたくさん産ませるための事。
それを推奨するあなたが一番「愛誤」。
他にも動物実験に使われ、もがき苦しみながら、それでも人間への愛情を捨てきれないまま最期の時を迎える子もたくさんいる。
私の親戚は飛び出してきた動物を助けるため、ハンドルを切り、そして帰らぬ人となった。
親戚の命と動物の命。
どちらも同じ命。
動物が死んだとしたらそれも悲しいが、親戚が死んで、本人の、そして残された私たちの悲しみもとてつもなく大きい。
命を失うとはそういう事。
「命」
それを分かっていないあなたこそが一番「愛誤」。
<(_ _*)>
話は違うけれども...ずっと、さくらさんへと思っていながら、忘れてしまっていて。
大切な娘さんを殺害されたお父さまのブログ。
飼っている猫が、なんとサクラちゃん!
メチャ可愛らしい子で、私は勝手にさくらさんとイメージを一致させています (*´﹀`*)
さくらさんのブログを読んでいると猫のサクラちゃんが浮かんでくるのよー。
変なこと言ってゴメンナサイ (*_ _)人
https://blog.goo.ne.jp/npo-friends/e/f985d2b7b6fd65fb50bbd8d0e09b1406
・・・このブログ・・・知っています・・・
・・・貴女のお話ですぐこのブログだと分かりました・・・
・・・余りにも辛くて観ないようにしていました・・・
・・・苦しい・・・
・・・彼女と入れ替わりたい・・・
・・・彼女に帰ってきてほしい・・・
・・・彼女に生きてほしい・・・