ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

常連さんに・・・

2020-07-25 10:39:07 | あの頃
 ▼ ブログを始めて、6年が過ぎた。
私には、「まさか!まさか!」が多い。
 これも、「まさか」こんなに長く続くとは、
思ってもいなかった。

 いつまで書き続けられるのか。
気力・体力がどこまで持続するのか。
 コロナで先の見えない時代でもある。
「何がどう急転するかなんて・・」、
ますます分からなくなってきた。

 とは言いつつ、先日、バリバリの現職教員と、
久しぶりにメールのやり取りをした。
 
 コロナ禍の長期休校で、東京の小学校も混乱し、
その弱音でも綴っているに違いないと、メールを開いた。
 確かに多忙な毎日のようだが、
前を見据えた日常が随所に記されていた。

 混沌としたまま子どもを迎え入れる訳には行かない。
今できることを整然と進める。

 「こんな時だから、何か新しいことをしよう。」
つい、そんな想いを持ちたくなる。
 「そうじゃない。
やれることを、着実にやる。
 それが、一番なんだ!」。
1通のメールから、大切なことを教えてもらった。

 コロナの猛威が再燃の最中だ。
未経験の事態に、
政治のリーダーも専門家も本当は手探りなはず。
 「何時でも軌道修正していい。」
そう思いつつも、何故か彼らに信頼を寄せられない。

 「だから」と、騒ぎ立てる愚かさは持ち合わせていない。
それより、コロナ禍の日常スタイルで、
「やれることを着実にやる」。
 それに尽きると気づいた。

 このブログも、取り立てて変えることはないだろう。
今まで通り『現在・過去・未来』に想いを馳せながら、
淡々と進めたい。
 今回もとりとめもないこと・・・。

 ▼ 私の街には、ファミレスがない。
でも、マクドナルドはある。

 現職の頃、休日の朝はファミレスをよく利用した。
子どもが一人暮らしを始め、2人だけになると、
そこのモーニングメニューは、休みの朝に打ってつけだった。

 今は、その頃の真似事を時折『朝マック』でする。
ところが、緊急事態宣言中のマックは、
ドライブスルーのみの営業になっていたらしい。

 なので、つい先日、数ヶ月ぶりにやっと行ってみた。
朝マック以外では出向いたことがないが、 
相変わらずガラガラの店内だった。

 店員さんは変わってなかった。
いつも同じ朝のセットメニューを注文しているのに、
それが思い出せず、カウンターでモタモタした。
 すると、
「朝セットの○○と○○、それに飲み物はコーヒー、
奥様は△△と○○で、同じくコーヒーでよかったですか。」
 「それそれ、それです。よく覚えて・・。」
「では、しばらくお待ち下さい。」
 店員さんは、とびっきりの笑顔だった。

 私たちは、1,2ヶ月に1度の客だ。
いつも同じ物を注文しているとは言え、
店員さんとそんな会話は初めて・・。
 常連さんになったいい気分を味わった。

 そして、あの頃、住み慣れた稲毛海岸駅周辺で体験した、
同様のことを思い出した。

 ▼ それまではカジュアル一筋だったが、
30代後半からは、ネクタイを締めスーツ姿で通勤した。
 クールビズがまだ普及していなかったので、
真夏でも薄手の上下を着用していた。

 その上、管理職になってからは、終日スーツで過ごした。
「校長先生は、いつもキチンとスーツを着ていて、大変ですね。」
 女性の先生は、やや同情した言い方をした。

 「だって、いつ来客があるか分からないでしょう。
どんな方が来ても、これなら大丈夫でしょう。」
 「そうか!。それは校長先生の鎧なんだ。」

 確かにいい当てていた。だが、それだけではない。
実は、糊の効いたワイシャツに小洒落たネクタイ。
 そして背広のスッとした上下服が、好きだった。
それに揃いのカウスボタンとネクタイピンをすると、
「さあ1日の仕事が始まる」と、気持ちが高まった。

 だから、それらの1つ1つが、
いい加減でいいはずがなかった。
 ネクタイもお気に入りでないと締めなかった。
全ての品定めは自分でした。

 特にスーツは、「国道沿いのあの店のあの棚から」と、
いつ頃からか決めていた。

 決して安い買い物ではない。
でも、年に何回かはその店を訪ねた。
 次第に馴染みになった。
決まってOさんと言う店員が応対してくれた。

 そして、私が好みそうなデザインと色合いを、
その棚からサッとチョイスして、試着を進めた。
 手間がかからなかった。
さほど迷わず、欲しいスーツが決まった。
 Oさんは、私の好みを心得ていた。

 息子が就活を始めた時、
その店のリクルートスーツを求めに行った。
 その時もOさんが丁寧に応対してくれた。

 どうやらそれが縁だったようで、
息子は今も時折その店に出入りしているらしい。

 「お父さんは、いつもいい物を選ばれました。」
あれから10年も過ぎているのに、
Oさんは、息子にそう言っているらしい。
 
 ▼ 50代になってまもなく、
2人の息子は通勤が大変だからと、それぞれ一人暮らしを始めた。

 そうなってからは、共働きをいいことに外食が増えていった。
駅前で待ち合わせて、その日の気分で店を選び、夕食を済ませた。

 その中の1件が、裏通りに構えた焼肉店だった。
規模は大きくなかったが、やや高級感があった。
 なので、頻繁には行けなかった。
半年、いや3ヶ月に1回程度、2人で入店した。

 店長と奥さんらしい女性は、ずっと変わらなかった。
その他2,3人のパートさんが働いていた。
 
 牛タン塩2人前、国産牛カルビ3人前、キムチ1皿、
それに私が中ジョッキ、家内は小ジョッキを最初に注文した。
 シメは2人ともクッパー。
それが定番だった。

 天気のいい休日の午後だった。
家内と買い物を済ませ、喫茶店の前を通った。
 そのテラス席から声が飛んできた。
立ち止まって、その声を探すと、あの焼肉店の2人だった。

 「こんにちは、いつもありがとうございます。」
女性は、明るい声だった。
 その横で、店長はニコニコ顔で頭を下げた。

 初めてのことで、対応に間があったが、
「休憩時間ですか。近い内に伺います。」
 「ハーイ。お待ちしています。」
また笑顔と明るい声が返ってきた

 以来、その焼肉店へ行くと、
決まってその女性か店長が伝票を持って、現れた。
 迷わず、定番を告げるが、それが変化した。

 「牛タン塩」
「ハイ、2人前ですね」
 「国産牛のカルビ」
「3人前ですね」
 「それから」
「キムチ1つ。」
 「飲み物は」
「中と小のジョッキでいいですか」。
 「お願いします。」
「クッパーは、後で伺います。」

 すっかり常連さんになってしまった。
こうなると他の焼肉店には行けない。
 それで良かった。

 伊達に引っ越す数日前、
やっぱりもう1度だけ定番を味わおうと訪ねた。

 クッパーを食べ終わってから、
女性に転居を伝えた。
 「そうでしたか。寂しくなります。」
そのまま静かに厨房へ消えていった。

 しばらくして、店長と一緒に私たちのテーブルへ来た。
「突然で何も用意できません。
当店の名前が入った焼酎です。
 北海道での暮らしが落ち着いたら、
飲んでみてください。」

 2人は、深々と頭を下げ、
焼酎のボトルを私の前へそっと置いた。
 寂しさが込み上げた。

 
 

     オオウバユリも 満開!
           ※次回のブログ更新予定は 8月8日(土)です

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