ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

『 た ら れ ば 』 噺 

2019-11-16 21:31:28 | あの頃
 『にわかファン』がおお手をふったラグビーワールドカップに、
私も熱狂した。

 トライまで残り5メートルでの攻防から、
両チームの必死さが伝わり、
勝敗を越えて心も体も熱くなった。

 厳格なルールをレフリーが忠実に裁き、
それに逆らうことなく、果敢にプレーする選手たち。
 その姿勢から、常に危険を伴う競技だからこそのことと思いつつも、
『にわかファン』の1人として、魅了され続けた。

 テレビ観戦しながら、何度もつぶやいた。
「高校生の頃にでも、ラグビーに出会っていたら・・」。
 「若かったら、一度でいいからラグビーをしてみたかった・・」。
「ラグビーをやっていれば、きっとのめり込んでいたかも・・」。

 まさに『たられば』とはこのことだ。

 『たられば』?
よくゴルフ友だちと交わした会話のフレーズだ。

 「あそこで、オンしていたら・・」。
「あれが、OBでなかったら・・」。
 「あのパットが入っていれば・・」。
これを、『たられば』と言う。

 ゴルフに限らず、日常でも時折、つい口にする言葉だ。
そんな私の『たられば』噺を1つ。

 まずは、教育エッセイ『優しくなければ』から、
「夢」と題する一文を転記する。 


 【冬には横なぐりの粉雪をまともに受ける広場に、
一軒の家が建ちました。
 やがて、見知らぬ家族が引っ越してきて、
毎夜、その家の窓辺からは、明るい灯がもれていました。
 屋根に突き出した煙突からは、
石炭を燃やした真っ黒な煙がたえまなく流れています。

 私は、夕暮になると決まってその家が見える広場の道を通って、
おつかいに行かされました。
 強い北風を正面から受けながら、
それでも前かがみになって小走りにその道を急ぎました。

 今まで、何もないただの荒れた土地だった所に、
光がこぼれ、ぬくもりを伝える二階建ての家ができたのです。

 あれはいつ頃からだったでしょうか。
確か夏の終わりだったと思います。
 数人の大工さんが、毎日毎日つち音を響かせ、
かんな屑をまき散らしたのです。
 私は小学校からの帰り道、
立ち止まり立ち止まり、その様子を見ていました。

 コンクリートで仕切られた土台の上に、
太い角材で骨組みがされ、やがて屋根が造られました。
 そして、いつしか窓枠が取り付けられて、
家は出来上がりました。

 いつものようにおつかいに急いだある日、
その家の灯と窓辺に揺れる楽しいそうな人影に振り返った私は、
「そうだ。わかった。ぼくはあんな家を造る大工さんになろう。」
と心を熱くしました。

 「だって、大工さんはすごいよ。
そうでしょう。あの冷たい風の通り道に、
あんな暖かい家を造ってしまうんだよ。
 人間が幸せに暮らせる家を、大工さんは造るんだよ。」
私は5才違いの姉に夢中になって、そんなことを話していました。

すると、
「そうだね。大工さんは凄いよね。
でも、そんな不器用な手をしているあんたが家を建てるなんて……」
と、たしなめられました。
そして、夢はその言葉とともに、一瞬にしてしぼんでしまいます。

確かに姉の一言は的を射ていたのかも知れません。
しかし、以来私は何年もの間、
夢と言う言葉から遠ざかることになるのでした。】


 小学5年か6年の頃のことだ。
当時の私は、明るく振る舞ってはいたものの、
何事にも自信が持てなかった。

 その私が見つけた夢だった。
初めて抱いた夢でもあった。
 心が燃えていた。
それを『不器用な手』のひと言が一蹴した。

 今もそうだが、私の手は不器用そうで、
手のひらに比べ指が短く、しかも節くれている。
 「この手じゃ無理だ。」
姉の言葉に、私も納得がいった。
 そのまま、自信が持てない時が続いた。

 当然、その後の私は、
図画工作や美術には、全く意欲がなかった。

 ところが、小学校に勤務し、
1,2年生の担任になり、図工の授業があった。
 そこでは、楽しそうに絵を描いたり、粘土をさわったり、
紙を切ったりする子ども達がいた。

 それにつられて、節くれた手で、私も一緒に工作をした。
時には、放課後の教室で、折紙の本を片手に、
子どもと一緒に時間を忘れた。
 
 それが契機になった。
時間を見つけて、一人で折紙を楽しんだ。
 決め込み人形が趣味という保護者から手解きを受けた。
組み紐作りの本を片手に、夢中になった。
 不器用な手をすっかり忘れ、指を動かした。

 そして、ついには手芸店にまで足を運び、
籐手芸にまで興味を持った。
 その本と籐の束を買い込んだ。

 日用品から洒落た飾り物まで、
次々と制作意欲が高まった。
 難しい編み方や止め方、大きな器にも挑戦し、
寝る時間を削って、打ち込んだ。

 1つが完成すると、また新しい物を作りたくなった。
同じ器をくり返し編み、出来上がりの完成度を比較し、
一喜一憂した。
 ついには出来上がった物の置き場に困り、
友人や親戚にまで配った。

 そんな時だった。
地元のデパートで、工芸品の実演販売が催されていた。
 休日の午後、買い物ついでに、会場をのぞいてみた。

 その一角に、江戸和箒を制作する職人さんがいた。
巧みな手さばきで、ほうきを編んでいた。
 「黙々と」と言うべきか、「淡々と」と言うべきか。
作製中のほうきに向き合い、編み進める姿に見とれた。
  
 手の動き、出来上がる編み目の美しさ、無駄のない身のこなし、
その全てを熟練技というのだろう。
 何と素晴らしいことか。
半端じゃなかった。
 本物のオーラがヒシヒシと伝わってきた。
 
 血が騒いだ。
憧れた。
 ただただ羨望の目で、職人さんを追った。
厳しい下積みがあっての今だと思いつつも、
長い時間、その場から離れられなかった。

 あれからずっと、今も
物づくりの職人さんに惹かれている。

 「手の形は不器用そうでも、できることがある。」
あの頃、そう思えていたら・・・。

 だったらきっと、使い込んだ道具に囲まれ、
「ここをこんな風に」なんて想いを巡らせながら、
今日も、何かの物づくりに没頭する私がいたのでは、
ないだろうか。

 教職の道へ進んだことを、悔いたりなどしていない。
しかし、「あの時、ああだったら・・」なんて、 
凡人は、つい考えてしまうものだ。




  ついに寒波が訪れ 畑も雪化粧  

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