ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

続々・もう一度行きたい

2020-11-14 17:18:47 | あの頃
 雪虫が飛んでいると気づいたばかりだったが、
つい先日の朝、カーテンを開けると、
一面真っ白になっていた。
 私の嫌いな冬がやって来てしまった。

 同時に、コロナの猛威である。
「寒くなると、ウイルスの感染力が強くなります。」
 半年前から聞いていたことだ。
「そのために十分な備えが必要です。」
 それも、よく言われていた。

 どれだけのことができていたのか。
北海道では、医師会会長が、
「感染者数がこのままの状態で後1週間も続いたら、
医療崩壊がありうる」と言いだした。

 「これだけ、冬への警告が言われていたのに・・、
どうして?」。
 そう思ってしまうのは私だけなのだろうか。

 そんな不満より、来るものが来たのだ。
一市民ができることは、3密を避け、手洗いとマスクの徹底。
 そして、免疫力を高めること。
そんなことに限られるが、何とか乗り越えたいと強く思う。

 さて、北の町は、落葉が進んだ。
周りの山々は、稜線が透けて見えるようになってきた。
 豊かな葉に被われ『太っていた山』が、
すっかり痩せていく。

 だからか、一昨年も昨年もこの時期に、
ブログに「もう一度行きたい」と題して、
若い頃に出掛けた思い出を記した。

 そんなことで、何かを紛らわし、
小さな高揚感を求めているのかも・・・。
 今年も、綴ることにする。

  <8>
 ▼ 教職2年目、6年生担任だった秋の初め、
社会科見学で、鎌倉を訪ねた。
 学校からバスで2時間半余り。
最初の見学先は、鎌倉八幡宮だった。
 広くて長い参道を、子ども達を先導して歩いた。

 急に、高校の修学旅行で、
列に埋もれて、同じ道を進んだことを思い出した。
 それから6年が過ぎ、
こうして子供らと一緒にいることを誇らしく思っていた。

 その後、鎌倉の大仏に寄った。
ここでは、高校の時と同じ場所に立ち、
集合写真を撮った。

 子供を引率していることを忘れ、
あの時と同じ場所から、大仏を見上げた。
 背景の山も空の大きさも変わらなかった。
私の変容などとは無縁な歴史の不動を感じた。

 ボーッと立っていた私に、近寄ってきた子が訊いてきた。
「先生、何見てるの?」。
 「凄いなって、思わない。この大仏!」
しばらく見上げてから、その子は答えた。
 「よく、わからない」。
「そうか」。

 「いつかこの子も、私と同じような想いで、
この大仏を見る時が来る」。
 そう信じた。

 江ノ島が見える海岸で、昼食にした。
思い思い、砂浜に陣取り、
海と空を見ながらお弁当を食べた。

 「足だけ海に入りたい。」
そんな声に押された。
 足だけのはずが、
ズボンやスカートを濡らす子が続出した。
 楽しげな子供の顔が、今も思い浮かぶ。

 ▼ それから、たびたび鎌倉へ行った。
連休にマイカーを走らせ、渋滞に巻き込まれた。
 初詣に鎌倉を選び、満員の電車に、
家族4人で、押しつぶされそうになった。

 そんなことにも懲りず、電車で2時間余り、
北鎌倉駅や鎌倉駅に降りた。
 高速道路の整備が進むと、
自宅から1時間半で鎌倉市内に着いた。

 行くたびに、貴重な歴史に出会い、心躍った。
さだまさしが歌った「縁切寺」にも「源氏山」にも行った。
 どこでも、静かな風が流れていた。

 竹のお寺『報国寺」では、
竹林を射る陽光を受けながら、少し浮かれて散策した。
 銭洗い弁天では、半信半疑のまま千円札と小銭を
ザルに入れて清めてみた。
 
 夏の盛りに江ノ電で「極楽寺」まで足を伸ばした。
満開のサルスベリに迎えられた。
 その美しさに、漢字で『百日紅』と書くことに納得した。

 大きな木立に囲まれた円覚寺。
境内にある茶店に座り、抹茶をいただく。
 誰一人として声を張り上げたりしない。
いや、それを許さないものが漂っていた。
 
 ▼ そんな鎌倉に、ある日、突然出向いた。
校長になって2年目のことだった。

 私と先生方が大きく対立していた。
その年、都教委は教職員への人事考課制度の導入を進めた。
 当然、私はその実施を進める立場にあった。
性急な導入に、私の学校の先生方は抵抗した。

 職員室の雰囲気が一変した。
私はくり返し趣旨を説明し、先生方から同意を得ようと努めた。
 しかし、堂々巡りの日々が続いた。
まだ、校長経験の浅い私には、打開策が見つからなかった。

 疲れた。眠れない日が続いた。
いつもの私ではなくなっていった。
 友人らにも相談した。

 そして、ついに精神科の医師を訪ねることにした。
今、その時を振り返ると、
人生で最大のピンチだったと思う。

 医師は、長いこと話を聞いてくれた。
そして、家内を同席させ、「うつ病傾向にある」と診断し、
「1週間、学校を休むように」と言った。
 そして、「1週間たって、行く気持ちになったら、
出勤してみるといいですね。」とも・・・。

 その場で1週間の休暇を私は決め、
病院を出た。
 少し肩の荷が軽くなっていた。
10時過ぎ、都心の空を見上げた。
 快晴だった。

 突然、思いついた。
家内に言った。
 「鎌倉に行きたい!」。
その足で、鎌倉へ向かう電車に乗った。

 私には、行きたいところがあった。
「建長寺仏殿の地蔵菩薩のところ!」。

 それまでに何度かその仏像を見た。
うす暗い舎内に鎮座し、
ジッと私を見る半眼開きにいつも惹かれた。
 時には叱られ、励まされ、褒められた。
そして、いつも見守られているような気持ちが芽生え、
勇気を得た。

 その日、なにも期待などしていなかった。
その仏像の前に行きたい。
 そう思いついただけだった。
 
 家内はなにも訊かずに、ついてきてくれた。
そして、建長寺の山門を通り、
仏殿の前に立った。

 地蔵菩薩は、変わらず半眼開きのまま私を見た。
私は、その姿を見上げた。

 ザラザラした心が変わっていくようだった。
乾いたままの私ではなくなっていくような気がした。
 わずかだが、しかし大切な時間だったように思えた。

 その後、駅前通りの鄕土料理店に入った。
確かランチコースをオーダーした。
 そこで『なすの田楽』が出た。
一口食べてすぐ、向き合う家内に、
目を丸くして言った。
 「こんな美味しいもの、久しぶりだ。」
1週間後、私は再出発し、ピンチを脱した。

 その後、鎌倉はいつでも行けると思い、
そのままだ。

 もう一度、鎌倉八幡宮の参道を歩いてみたい。
そして、なによりも、あの地蔵菩薩の前に立ってみたい。
 今なら、「何をしている!」と、
『喝』を入れられるかも・・・。




   か ら 松 林 の 晩 秋

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