近江五個荘・近江八幡市に、こんにちまで不思議なくらいゆく機会なく、今回ようやく探訪実現。
多くの人はすでに探訪していると思うので、私が面白いと思ったことだけ投稿する。
近江商人の町と入ってもいくつかの地区に分かれる。五個荘は豪商の住宅が主、近江八幡市は現実にそこで商売をしていた町という感じ。
先に五個荘へ行く。ガイドさんを頼んでおいたので東近江市観光協会の「プラザ三方よし」会館前をスタート。
金堂の街並を探訪した。
どの家も豪壮で大きく外からだけでもその贅を尽くした建築がよくわかる。
昔の建物を利用したロケちとして多くの撮影に利用されているようだ。
また瓦は近江瓦で葺き方も統一されているし、塀などの河原には「江州八幡瓦」と鋳こまれている。
建物の外装は木が使われ、屋根の勾配も膨らもを持たせた作りで重量感あふれるものが多い。
豊かさを象徴するものとしてお寺は欠かせない。弘誓寺(ぐせいじ)の山門の作りは大変手の込んだもの。
天井は格天井式で周りには彫刻。
多くの家で船板を焼いてそのまま板塀として使われている。
釘なども船用の釘らしく大変凝ったものになっている。
また、掘割から家の敷地に水を取り込む仕掛けがあり、川戸と云うらしい。
さすがに屋敷街なので商店はほとんどなかったが、蕎麦屋が1軒、履物屋が1軒あり。履物屋は看板も上が商店名も田舎らしいもの。
1時間ほどの探訪を終え近江八幡へ移動。
時間なので食事を先にしてから、ここでもガイドさんの案内で探訪した。
この街の中には明治38年に現在の八幡商業高校の教師としてウイリアム・ヴォーリーという方が教師として赴任したが、退任後近江八幡を拠点に設計事務所を開設。
そのウオーリーさんが設計した建物が現在も20軒余り現存しているそうで古い街の中に溶け込んでなかなかの風情。
ヴォーリーズ建築第1号と案内にあったので載せます。
町歩きしながら、あらあらという風景。
かと思うとさすが瓦の産地。塀に粋な瓦を使ったデザイン。
ハイライト。伴家住宅へ。
現在、近江八幡市指定文化財。豪商の家。この家は入館して見学。
この家の前の道は朝鮮人街道と呼ばれ通信使がここを通ったようだ。
そんなこともあって、通信使の行列模型や、使節大使に供した料理の模型も展示したいる。
何しろ内部はものすごい梁で少しの地震ではびくともしないようだ。以下梁のすごさを写真で紹介。
大黒柱は40cm。
この梁は長さ7.5間の1本の木。(13.5m) 梁の太さは目分量で30㎝。
他に西川家(重要文化財)を見学。
こちらは商人の家として使われていたもので、屋根は火の用心の工夫。
室内の欄間はこっている。この組子今出来る人いるのか。一部壊れていた。
外に出ると前の家の板塀はまた変ったもので、わざわざ荒荒に抉ってある。
ガイドさんが説明していたが忘れた。でも、なかなかいい感じ。
八幡堀に出る。
新町湊。この堀は右に行っても左に行っても琵琶湖に通じているそうだ。この地に城を築いた豊臣秀次が琵琶湖を通る船は必ずこの湊に立ち寄るように命じたことによるとか。
この湊は映画やテレビドラマなどで見かける風景。
近江兄弟社(メンソレータム)の資料館。今はロート製薬傘下とか。
ようやく八幡社の鳥居。鳥居の柱は板が巻かれているが、木製の柱か中がどうなっているか不明。
鳥居の向かい側は白雲館(観光案内所)。昔は明治10年に近江商人たちが子供たちの教育のために建てた小学校。
当日祭りな最中でここに各地区の大太鼓が参集すようで、一基入ってきた。雨で気の毒。この後八幡社に詣でるようだ。
時間ないので、八幡社へ。八幡堀を渡る。
この風景も見たような風景。恐らく映像に使われるときはCGで修正しているのだろう。
参道は広く雨ということもあってか荘厳さを感じる。
大きくどっしりとした楼門。
入るとすぐに拝殿、今日はまつりのので神輿が置かれていた。
この拝殿の後ろが本殿。
お参りしていて心地よい。
こんなに立派な八幡様はめったに参拝できない。
八幡宮の正式名称は日牟禮八幡宮。いただいた御朱印。
3時に八幡市を出発。針江の”たねや”立ち寄りして帰ってきた。
朝のうちは天気も良く助かったと思っていたら、昼前から急に冷え込み雨が降り出し不安定な天気に参った。
でも念願かなって近江を探訪でき何よりでした。