この先の見えないコロナ過の日々の中で、無用に不安や怒りの感情を心にため込む方々が多く見受けられます。
いつの時代にもいろいろな問題があり、自分の人生の中においても、常に自身にとっての思わぬ出来事が発生し、自分の想い通りに行かないこともたくさんあるもの。
10代から20代の年頃で、物事の判断がつく意識が芽生える年ごろになると、それまでの自分の経験から、何が正しく何が正しくないという判断をするようになってきます。
それに加え、現代は実に多くの情報に囲まれており、知らずとも多くの情報の大海の中に放り込まれる中で、何が正しいのかわからなくなる不安もあり、若いエネルギーはどうしても怒りの方向へ向かいがちです。
私自身が、心の中にとても強い怒りをもって。若い世代を過ごしていたという思いがあり、その怒りの向ける方向や怒りの発出の仕方に、数多くの間違いを犯し、空回りをし、衝突を繰り返してきたという思いがあります。
怒りは大きなエネルギーになります。
とても大きなエネルギーです。
人を攻撃することにそのエネルギーを向けてしまうと、あおり運転や幼児虐待、店員さんや駅員さんへの暴言や暴行、仲間同士でのいがみ合いや衝突、自分が生きるべきグループや団体など、その社会での立場を危ういものにするばかりか、周りに大きな迷惑を及ぼす存在になりかねません。
冷静な判断で、適切な方向にそのエネルギーを向けることで、怒りのエネルギーは、とてつもなく大きな力を生み、自身の向上につながり、仲間や社会への大きな貢献につながるものになると感じています。
福祉や保育、教育現場などでも、「いつも楽しく・・」「笑いのあふれる・・」「皆ニコニコ笑顔で・・」などという標語を見かけますが、私はあまり気持ちよく受け入れることができない気持ちでいます。
子供たちにも、社会人の方々にも、高齢者の方々であっても、生きる上では「喜怒哀楽」を表現し、そうした表現の表出を楽しんでもらいたいと考えています。
怒ってばかりでは疲れてしまいますが、笑ってばかりでも疲れてしまいまうもの。
人間は、喜怒哀楽という様々な感情表現を持っているはずですが、怒りや悲しみ、苦しみといった感情表現も大切であり、そうした表現をうまくコントロールしながら、人生を送る方が健全だと思います。
私は子供たちに、「いつもニコニコ、常に仲良くしていなさい」などとは言いたくありません。嫌なことがあれば、不満げな顔で、自分の気持ちを表現してもらいたい。時には行き過ぎた冗談やからかいがあった時には、声を荒げてでも、自分の気持ちを表に表してもらいたい。
但し喧嘩をした後は、また仲良くなる心の広さを持ってもらいたい。。。
つい声高に反発した場合でも、反省すべき点があれば、また相手に配慮すべき点があった場合は、なんとなく流すのではなく、反省の言葉をしっかりと述べて、気持ちを新しく入れ替えてもらいたい。
最近は、怒りの感情をコントロールできずに、行き過ぎた行為をする事件をニュースなどでよく見聞きしますが、しっかりと子供の頃に喜怒哀楽の感情を表出し、その後はそうした感情を収められるすべを学ぶべし。
心苦しいばかりのニュースが話題になるたびに、激しい怒りを覚える。
しかしその心に抱いた怒りのエネルギーを、前向きに切り替えて表出し、自身の頑張る気持ちに加えて、稽古指導にも生かしていきたい。
怒りは、自分自身の生きるエネルギーの源となるものである。
そう思えるようになれば、イライラすることも、何かに不満を持つことも、エネルギーの創出に役立つものであり、マイナスをプラスにする、人生の一つの知恵となる・・・かな?
今日も前向きな気持ちで、頑張ってまいります。
いつの時代にもいろいろな問題があり、自分の人生の中においても、常に自身にとっての思わぬ出来事が発生し、自分の想い通りに行かないこともたくさんあるもの。
10代から20代の年頃で、物事の判断がつく意識が芽生える年ごろになると、それまでの自分の経験から、何が正しく何が正しくないという判断をするようになってきます。
それに加え、現代は実に多くの情報に囲まれており、知らずとも多くの情報の大海の中に放り込まれる中で、何が正しいのかわからなくなる不安もあり、若いエネルギーはどうしても怒りの方向へ向かいがちです。
私自身が、心の中にとても強い怒りをもって。若い世代を過ごしていたという思いがあり、その怒りの向ける方向や怒りの発出の仕方に、数多くの間違いを犯し、空回りをし、衝突を繰り返してきたという思いがあります。
怒りは大きなエネルギーになります。
とても大きなエネルギーです。
人を攻撃することにそのエネルギーを向けてしまうと、あおり運転や幼児虐待、店員さんや駅員さんへの暴言や暴行、仲間同士でのいがみ合いや衝突、自分が生きるべきグループや団体など、その社会での立場を危ういものにするばかりか、周りに大きな迷惑を及ぼす存在になりかねません。
冷静な判断で、適切な方向にそのエネルギーを向けることで、怒りのエネルギーは、とてつもなく大きな力を生み、自身の向上につながり、仲間や社会への大きな貢献につながるものになると感じています。
福祉や保育、教育現場などでも、「いつも楽しく・・」「笑いのあふれる・・」「皆ニコニコ笑顔で・・」などという標語を見かけますが、私はあまり気持ちよく受け入れることができない気持ちでいます。
子供たちにも、社会人の方々にも、高齢者の方々であっても、生きる上では「喜怒哀楽」を表現し、そうした表現の表出を楽しんでもらいたいと考えています。
怒ってばかりでは疲れてしまいますが、笑ってばかりでも疲れてしまいまうもの。
人間は、喜怒哀楽という様々な感情表現を持っているはずですが、怒りや悲しみ、苦しみといった感情表現も大切であり、そうした表現をうまくコントロールしながら、人生を送る方が健全だと思います。
私は子供たちに、「いつもニコニコ、常に仲良くしていなさい」などとは言いたくありません。嫌なことがあれば、不満げな顔で、自分の気持ちを表現してもらいたい。時には行き過ぎた冗談やからかいがあった時には、声を荒げてでも、自分の気持ちを表に表してもらいたい。
但し喧嘩をした後は、また仲良くなる心の広さを持ってもらいたい。。。
つい声高に反発した場合でも、反省すべき点があれば、また相手に配慮すべき点があった場合は、なんとなく流すのではなく、反省の言葉をしっかりと述べて、気持ちを新しく入れ替えてもらいたい。
最近は、怒りの感情をコントロールできずに、行き過ぎた行為をする事件をニュースなどでよく見聞きしますが、しっかりと子供の頃に喜怒哀楽の感情を表出し、その後はそうした感情を収められるすべを学ぶべし。
心苦しいばかりのニュースが話題になるたびに、激しい怒りを覚える。
しかしその心に抱いた怒りのエネルギーを、前向きに切り替えて表出し、自身の頑張る気持ちに加えて、稽古指導にも生かしていきたい。
怒りは、自分自身の生きるエネルギーの源となるものである。
そう思えるようになれば、イライラすることも、何かに不満を持つことも、エネルギーの創出に役立つものであり、マイナスをプラスにする、人生の一つの知恵となる・・・かな?
今日も前向きな気持ちで、頑張ってまいります。
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