武の道へのこころざし

大道塾の横須賀・湘南支部の責任者が、日々の活動に関する出来事や想いを綴っていきます。

指導者の心得

2011年07月30日 | 武道の心

指導者が間違いを犯さぬよう、指導者は自らの心を律し、日々反省を重ねながら稽古を実践していく必要があります。

まあ、どの団体でも、立派な指導者の方々は、自己反省を繰り返しながら、謙虚な姿勢で大変すばらしい稽古指導を続けておられます。しかし、一旦、指導者の気が緩めば、大きな過ちから簡単には抜けられないほどの、深い泥沼にはまっていく危険性がこの世界にはあるように感じられます。




指導者の指示に対して、稽古生は大人も子供も「押忍」の一言で、その指示に従いながら稽古が進んでいきます。

基本的な「道場」としての正当な指導体系を取っている稽古の中では、一人の指導者の元、その指導者の意思で物事が進みます。

稽古が締まれば締まるほど、レベルが上がる程道場内の一体感が生まれ、まとまりが出てきます。そして指導者の影響力が自然に強く、強力になってくるものです。




道場という場では、稽古生は指導者の指示に従うことが大切である事は言うまでもありませんが、この指導者の指示に従う稽古生の謙虚で武道的な態度を、自分の実力だと勘違いしてしまったり、もしくは指導者がそれをうまく利用しようと、知らず知らずのうちに考えてしまう危険性をはらんでいます。

問題は、指導者が問題意識を持たず、人を利用してしまっているという悪意も持たずに、指導者が無意識に、そして自然に権力者的にふるまってしまうところに、武道団体が犯す間違いの根があるように感じます。


稽古の内容やその指導方法に工夫を凝らす事も、指導者にとっての大切な役割ですが、何よりも稽古生一人一人を尊重し、そしてあくまでも、その稽古生を育てていくための手助けをしていくのが指導者の役目であり、何事においても指導者は “謙虚” な姿勢を忘れずに、持ち続けることが重要だと思います。




この世界では、指導者の力とその影響力が非常に強く、一旦権力(本来は“権力”というものではありません)を手にした指導者が、稽古生に威張った態度をとったり、自分のえり好みで特定の人に差別的な態度をとったり、大会や審査会などの各種行事への参加を強制するなど、稽古生を自分の思い通りに動かそうとし始めた時には注意が必要です。

また、道場内の上級者が後輩に先輩風を吹かすようであれば、指導者の立場の人間には反省すべき要素があることを自覚する必要があります。




本来は、指導者が持つものは権力ではなく、 “責任” です。 それも、稽古生一人一人の、その精神に強く訴えうる危険性をはらんだ “大変重要な責任” です。


稽古や各種行事での “事故” に対する責任は指導者にあります。そして、教育者として、指導者として、人に間違った考え方や意識を植え付けてしまわぬよう、しっかりと責任をもって指導に当たる必要があります。


一旦その “責任”を、自分の “権力” だと勘違いして身につけてしまうと、道場で一番上の指導者であれば、その意識を修正するのは大変に困難です。

その “責任” と “権力” を履き違えた感覚を持った指導者の元で育った稽古生達は、本来の武道精神とは異なった、いわゆる間違った認識を知らず知らずのうちに身につけてしまうものです。



子供の教育においてもしかりです。

いや、子供のクラスにおいては、より重い責任がのしかかってきます。



世の中で、少しでも人に影響力を与えうる立場を持つ方々にとっては、日々の反省は大変重要ですね。




小さな一武道団体の一道場の責任者ごときの立場であっても、日々、稽古での我が身を思いながら、そして、他の各団体や各種の道場を見まわしながら、自己修養としての自己反省を繰り返しつつ、今後の稽古指導につなげていきたいと考えています。




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