武の道へのこころざし

大道塾の横須賀・湘南支部の責任者が、日々の活動に関する出来事や想いを綴っていきます。

小さな「なるほど!」という理解や満足感の積み重ね

2023年01月30日 | Weblog
稽古をしていて、

「なるほど!」、「そうか!」、「できるようになったかも!」、というような、ある動きがある程度できるようになった時だとか、何かのテクニックがわかるようになったように感じられるとき、心に大きな満足感を味わったことがあるでしょうか?

ある稽古の中である技術が感覚的に理解でき、実践できた時の満足感は、とてもうれしく感じるものです。



稽古の時に、肘うちや膝蹴りを打つときに、「ステップをこう変えるこうなる・・」という説明をしていると、見ている人から、「アッ!」という声が聞こえてきたりします。

「なるほどー!」という表情で、何かに気付いたような「ハッ」とした表情が見えたり、すぐに自分で実践してみたくなる気持ちが起きれば、自然と体が、意欲的に動いてくるものです。

それが「気付き」で、それをその後に実践してみて、うまく体が動かせて技がつながると、それが一つ目のステップとして、なんとなく身についた感が体に感じられて、うれしい気持ちが沸き上がってくるものです。


さらにそれが攻防の時に、自然と動いて、自分が考えた通りの動きができたり、狙った技が上手く入ったり、相手の技が上手くさばけたりすると、「よしっ!」という思いが確信に近いものに変わります。

さらにここからの裁きや、足払いなどにうまくつなげる稽古をしていくことで、その技がタイミングよくかかった時には、大きな自信と満足感が心に込み上がってくることでしょう。


こうした実際に使える攻撃パターンをいくつか積み上げて、何度も稽古で実践していくことで、徐々に技が安定してきて、少しずつ教えられるレベルにまで成長していきます。

横須賀湘南支部ではいわゆる強くなるための、スパーやミットの打ち込みを繰り返し数多く行うばかりの練習ではなく、こうした技術練習の積み重ねを数限りなく繰り返していく形式の稽古をしているため、継続的に楽しめる稽古であり、上級者の皆さんは技が多彩で、実に教え方が上手くなってきます。

上級者の中には、私が指導するよりもいいツボで、丁寧に教えている様子を見ては、私自身が自分の指導スキルの加えて、私もレベルアップができている部分もあるので、とても助かっていたりします。


一方で技術ばかりではなく、実際に戦える強さを身に着けるには、多少の強い組手の攻防やミットの蹴り込みなど、並行的に数多くこなしていかなければなりませんので、そのあたりは、自由稽古の時間に自分に負荷をかけるなどして、各自のペースで行っていただければと思います。



話は戻りますが、この「よしっ!」という満足した感覚をより多く積み重ねて頂きたい。



年を取ってくると、周りの物事から学ぶ力が衰えてくるものです。

稽古の指導中に、ある技の説明でその動きを見せても、霞んだような目で見ている限り、目の前で見たはずの、せっかくのその技術も、ただただ目の前を通り過ぎていくだけで、「ものになる」ということはありません。



その昔、私が講道館で柔道を学んでいた当時、かなりのご高齢ながら、とても素晴らしい稽古指導をしてくださった高段位の先生がおられました。

しかし一緒に学んでいた若い白帯の方々の多くには、そのせっかくの素晴らしい技術が、ただただ目の前を通り過ぎているだけのような見方をしている方がたくさんおられたように感じていました。


その当時、私は現役選手として、現在の「空道」という競技名ではなく、「格闘空手」の名前を標榜するとても激しい大道塾の稽古を、総本部道場で行っていた頃です。


当時の大道塾の稽古では、戦いのスタイルを確立するために、様々な戦い方を試行錯誤していた時代であり、強くなるために激しく打ち合って取っ組み合ってはいましたが、的確で論理的な技術説明は皆無で、ただただ激しく打ち合い、道場に残れるように生き残りをかけて日々戦うような稽古をしており、特に組技に関しては指導者が不在の中で、ただただやみくもに鎬を削るように戦っていた時代です。


そんな私にとっては、的確で具体的な説明とともに、目の前で披露して頂いているその技術が、まさに宝物のように感じており、一つの動作も見逃さないぞとばかりに、わずかな技の説明の時間を、実に必死に、頭と意識を懸命に働かせて学び取っていたことを思い出します。

それだけ、そのご高齢の先生方も、実に真剣でした。

額に汗を滴らせながら、実に懸命な声で、基礎的な技術を一生懸命にご指導をしてくださっていたことを、とても懐かしく思い出します。

その時の先生方には、とても熱意があり、あたたかい誠意が感じられました。


一つ一つの技を見て感心し、感動し、自分で実践してみて、その技術を確かなものにすべく取り組めたのは、実際にはほんのわずかな期間しかありませんでしたが、私にとっては教える術(すべ)を学ぶ、とても大切で貴重な時間でした。


しかし歳を取るにつれて、徐々に体力が衰え、故障個所が増えて、だんだんと新しい技を学び、体験し、実践する環境も余力もなくなってくるため、武道や格闘技とはまた別の学びの方面で、そうした新しい発見しうる刺激を得られるように努力しています。


えっ??


今、いったい何を学んでいるのか・・・って?


いやぁー、、いろいろ取り組んではいますが、

その一つは、


何と、

娘と同じ、バイオリン?!


娘のやる気を促進する意味で始めた、生まれて初めてのバイオリンです。


最近、身近な方々の何人かに話をしてみたところ・・・


「想像できない・・・」、

「似合わない・・・」、

「理解できない・・・」、

だそうです。

反応は散々です。

妻には、「ウクレレの方が似合ってるんだけどなー・・・」、今でも言われ続けている、、、


「今に見てろ!」

と奮起して、力任せになりがちで、程よい力加減で動かない腕っぷしと指で、シャカシャカと上手く鳴らない弦に弓を必死にこすり続ける私・・・


(なぜ上半身裸なのかって? 暑い時期だったので・・ 裸で失礼いたします。)


激しい雑音が、心地よい音色を奏でるのは何時になることか・・・


死ぬまで無理かも・・と思いつつ、


それでもレッスンでは、「なるほど!」「なるほど!」と分かったつもりの言葉が連発ですが、、、

いったいこの楽器は、どうなってるのか??!


昨年の夏の肘の手術を受け、レッスンを半年ほどお休みをしたものの、学び始めてはや2年、1回30分のレッスン回数は60回近くになろうかという時期に来ています、、、


残念なことに、ここでは全く、私の娘に歯が立ちませぬ・・・


南無三





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