事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

29年目の夏・・・16話

2012-08-01 19:08:12 | Weblog
勝つことの楽しさを覚え、甲子園出場を果たし、初戦を突破した佐藤監督だったが、いつしか勝たなければいけない、勝って当たり前というジレンマに陥った。野球は楽しむものと自ら言い聞かせていたが、甲子園監督という立場が楽しいはずの野球がプレッシャーとなった。
 ある日のこと。鍋を囲んで仲間とやっていた時にふと思った。このうまみはどこから出てくるのか。メインのものは一つしかない。他のものはメインのものを引き立てるために味を出す。はもの類、根菜類、出汁になる昆布。それぞれの味を出し合って鍋というものになる。佐藤監督はひらめいた。チームもこれだろう。バランスのいいチームは強い。肉ばかり、魚ばかりの鍋はおいしくない。バランスよく出汁を出しあうことがうまい鍋になる。チームも同じだ。強打者が9人、そんな選手ばかりが9人集まっても、いいチームにならない。プレーはしないものの、選手をベンチから励ます選手、大きな声でチームを元気づける選手。いろんな選手が居て初めてチームが成り立つ。そんなバランスを見失っていたのかもしれないと鍋を見て気がついた。
 6年間で野球に対する考えをさらにパワーアップさせ、明訓はノーシードながら1999年3回目の甲子園出場を決めた。今までとは一味ちがう甲子園切符だった。この時のキャプテンが現コーチの今井也敏だ。抽選会が8月4日、大阪・中之島のフェスティバルホールで行われた。今井キャプテンが引いたくじは大会二日目第3試合、相手は愛媛県代表の宇和島東だった。この時はまだ東日本と西日本とまだブロックを分けて抽選をしていた。さらに抽選会はこれだけでは終わらなかった。なんと今井キャプテンが選手宣誓のくじを引いた。最高の名誉とは言うものの、佐藤監督は青ざめた。試合前に大きなやるべきことができた。失敗したらどうしようと今井よりも心配したと今では冗談を飛ばす。新潟県の選手宣誓は1996年中越高校の儀明謙一キャプテン以来2回目になる。今井はそんな監督の心配をよそに一語一語かみしめながら宣誓を行った。以下全文。

「甲子園球場。野球というスポーツを愛する私たちにとって、何と心に響く言葉なのでしょうか。1900年代最後の夏、私たち選手一同は、今、この甲子園に集うことのできた喜びをかみしています。スタンドで応援してくれる控えの選手を始め、私たちの野球を支えてくれるすべての人たちに感謝し、暑い日も、また吹雪の日も、気力で継続してきた練習を信じ、21世紀に多きなる希望をもって前進するために、全力でプレーすることを、ここに誓います」※1999年8月8日 朝日新聞からの抜粋

宣誓の中には部訓の「感謝、気力、継続、前進」が織り込まれた。宣誓を終えた今井キャプテンは「これで試合も大丈夫です」とほっとした表情を見せ、波間コーチ(現部長)は「立派になった今井を見て感激をして涙がこぼれた」と朝日新聞の取材に答えている。
試合は翌日だ。第三試合。佐藤監督は試合前「のびのびと試合をさせることが目標です」と話している。一方、故郷に錦を飾った、大阪府交野市出身の阪長は「スタンドでみるよりもグランドの方が広くて気持ちがいい」と甲子園を実感していた。試合は明訓ブルーを全国にアピールするようなゲーム展開になった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 29年目の夏・・・15話 | トップ | 29年目の夏・・・17話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事