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成田市周辺のことや男の料理を紹介するブログです。

どんくドンクDONQ

2007-09-11 | 成田関連
ワインとチーズ。
そうしたらパンも欲しくなる…、とカブレタことを言う。

再びの、反省!
反省すると見せかけ、ムッシュドンクのフランスパンを奪い取ろうとする反省ざる。


さて、そのパンだが、成田界隈の店なら私はやはりDONQのパンが良い。

何しろ、歴史が違う。
初代の藤井元治郎が、神戸の一角に藤井パンをオープンさせたのは明治38年のこと。
3代目藤井幸夫が、より本格的なフランスパン製造を目指しDONQに名前を変えたのは昭和22年。

日本人の好みに左右されず、日本人が焼く本格的なフランスパンを作ることに努めて来た藤井。
日本在住の、フランス文化圏の外国人に認められ、やがては日本の上流層に受け入れられ、そして一般家庭に浸透して行く。

日本人が焼くフランスパンと言っても、無手勝流ではない。
フランスのパン協会とも交友を持ち、仏国立製粉学校名誉教授で日本ではフランスパンの神様とあがめられるレイモン・カルヴェル氏に師事し、多岐に渡りアドバイスを受けている。
氏とは年毎に親交を深め、あの阪神・淡路大震災で倒壊した本社社屋の、新社屋竣工式の出席も叶っている。

美味しいフランスパン作りに励む中、本場フランスから日本に手紙が届く。
フランスパンのワールドカップと言うべき、『クープ・デュ・モンド・デ・ラ・プランジュリー』への参加要請だった。
当初は2年毎、今は3年に一度の開催になっており、来年2008年がその年にあたる。

さて、招待を受けた時、1994年の第2回大会での成績は、初参加にも関わらず3位入賞を果たしている。
代表者として参加できるのは、応募した日本全国のパン職人の中から選考された3名。
審査を通り代表選手となったのは、DONQの岡田重雄と、神戸屋の河上洋一、古川明理。

1996年の第3回大会では、DONQから佐藤広樹と玉木潤の二人が選ばれている(もうひとりは、神戸屋レストランの馬場正二)。
コンテスト中、日本チームのオーブンが故障するというアクシデントにも関わらず4位入賞。

それが弾みになったのか、1999年は3位入賞。
(この大会から、3年に一度の開催に変更されている)
その中にも、ドンクの職人はいた。
江崎幸一である。

写真は、入賞を記念してドンクが配ったマグカップ。
1999年に貰ったものだが、未だにこうして大事に使用している。

拡大すると、大会名や開催年、江崎幸一氏の名前が見える。
COUPE DU MONDE
DE LA BOULANGERIE 1999
Europain-PARIS・FRANCE
Monsieur Koichi Ezaki Japan
DONQ Team
そして遂に、日本代表は優勝を飾る。
2002年の第5回のことである。
やはりその中に、ドンクのスタッフはいた。
菊谷尚宏である。
代表が決まり、大会へ向けての1年半のトレーニングでは、自信も失い掛けたと言う。
が、パンを作るにはチームワーク、今は仲間と邁進するのみと迷いが吹っ切れ、遂に優勝を手にしたのである。
その時の他の2人の選手は、帝国ホテルの山崎隆二、神戸屋レストランの渡辺明生である。 

大会の成績
1994年
1位 スイス
2位 フランス
3位 日本
1996年
1位 フランス
2位 スイス
3位 ベルギー
4位 日本
1999年
1位 アメリカ
2位 フランス
3位 日本
2002年
1位 日本
2位 アメリカ
3位 ベルギー
2005年
1位 アメリカ
2位 フランス
3位 日本
2005年、その他の参加国
ベルギー、スイス、イタリア、中国、モロッコ、クロアチア、チリ、フィンランド、デンマーク

そして2008年の大会にも、ドンクから代表選手が選ばれている。

確かに、ドンクの職人達は、他の小規模の店の職人より恵まれているかもしれない。
ドンク自体が、大会参加に協力的であり、何某かの影響力もあると考えられる。
が、これほど多くの大会参加資格者が育つのは、ドンクのパン作りへの熱意と見て良いだろう。

だから、私は、ドンクのパンが好きなのである。
(本当は、ジョアンと言いたいのだが、ジョアンはドンクの系列であり、ドンクなくしてジョアンの誕生はなかったと言える)


未だに真っ白、マグカップ。
それは、ドイツ生まれの新素材で出来た商品で磨いたりしているため(ただし相手を選ぶ…。ガラス・鏡・陶磁器・タイル・ホーロー・ステンレス…OK、面に凸凹のある製品、木製、漆器、はがれやすい塗装等々…NG)。
後は、練り歯磨き粉で磨くとか…(これ結構お奨め。スポンジ等に歯磨き粉つけてごしごし擦るだけで、結構きれいに落ちる)。


どこへ向う、このブログ…。
再び


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