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成田市周辺のことや男の料理を紹介するブログです。

2000年成田山散策(釈迦堂)

2008-04-30 | 成田関連
もう5月です。
好きな月です。



祇園祭、あと2ヶ月後に迫りました。
ここでも、出来る限りの情報を紹介したいと思います。
それには、そろそろ動く必要があります。

この2000年シリーズ、のんびりやっていられなくなりました。
ペースを上げて頑張りたいと思います。
大丈夫か?
はい。

ぜぇぜぇ。



釈迦堂…(重要文化財です)。
現本堂の前の本堂です。


釈迦堂に付いての説明です。
拡大して、読んで下さい。


本堂横、西翼殿前から。


右手奥に額堂、その後に平和の大塔が見えます。


御水舎です。
 



香堂。


「息子よ。
実はお父さん、ロケッティアなんだ。
その証拠に、今から空を飛んで見せるぞ」
お父さん、今にも飛びそうです。


誰かのサイン会でしょうか…。
行列です。




 

そしてこのお堂は、彫刻が凄いのです。
 

 

 

 

彫刻に関しては解説板にありますが、後日改めてということで了承下さい。


そうそう、成田山の鳥瞰図ですが、いいものを見つけました。
成田山(公式サイト)の成田山紹介⇒参拝案内図をチェックして下さい。
手の混んだ地図が掲載されています。

祝賀市民提灯行列

2008-04-29 | 成田関連
祝賀市民提灯行列←関連記事。

写真です。
クリックすると、画像が拡大します。

なんとなく撮って来ただけなので、期待しないで下さい。

行列のスタート時間には間に合わなかったので、成田山で待っていました。
人が大挙して押し寄せるのかと思っていたら、何陣にも分かれて入ってくるんですね。

写真は、提灯行列より山車の方がインパクトがあるかもしれません。
祇園祭の予行演習かな…。
そんな印象でした。

行列参加者には、記念品が用意されていました。
成田山開基1070年、成田空港開港30周年です。
記念品、大事に取って置くと、後で値打ちが出るかもしれません(笑)





















祝賀市民提灯行列

2008-04-28 | 成田関連
成田市…。
今朝からの花火は、成田山開基1070年と成田空港開港30周年を記念して行われる市民参加の提灯行列のお知らせでしょうか。

◆祝賀市民提灯行列

日時:
4月28日
18:00~20:30
雨天の場合、29日に順延。

集合場所:
①JR成田駅前権現山(表参道入口スタート)
②幸町黒田駐車場(西参道山崎眼科交差点スタート)…幸町・土屋・郷部・美郷台方面の人。

募集人員:
1,500名
当日17時より各集合場所にて、提灯が配布されます。
参加者は、提灯行列終了後に提灯と成田山新勝寺及び成田国際空港㈱からの記念品が配られるそうです。

ルート:
①表参道ルート(地図…緑の線)
②西参道ルート(地図…青の線)
③①と②が薬師堂で合流し、本堂まで歩きます(地図…赤の線)

その他:
一部の祇園祭の山車・屋台が繰り出す予定だそうです。
駐車場は、用意されていないとのことです。

地図:




写真、撮りに行きたいですねえ…。

成田山、境内に続く階段といえば…

2008-04-28 | 成田関連
この様な写真もありました。
ただ、どこから撮ったのか、思い出せないのです。

どう考えても、階段に乗って撮った写真ではありません。
階段は、33段の急階段ですから、下の仁王門からは本堂の屋根の上しか見えませんし…。

もしかしたら、無意識の内に宙に浮いていたのかも知れません(おいっ)


そうそう、この写真もちょっと不思議でしょ?

成田市の京成公津の杜駅です。
下は、道路です…。

2000年成田山散策(大本堂周辺04)

2008-04-28 | 成田関連


いよいよ大本堂です。

流石です。
威風堂々というか…。

もっと近づいてみましょう。

扉が、金色に輝いています。

えっ?
扉が見たい?
もっと近づけ?
はい。
これでどうでしょう。


ご存知ですか?
現在の本堂、実は4代目で昭和43年に建立されたものだそうです。

初代は成田参道沿いの薬師堂、2代は光明堂、3代は釈迦堂に姿を変えているのです。
普通、4代にも渡り本堂が変わることは、珍しいそうです。
それだけ、成田山の繁栄振りを示しているといえるでしょう。

ちなみにこれが、初代本堂(現薬師堂…関連記事)です。
 


こちらは、参道からみた薬師堂です。

2代目、現光明堂。

この堂の裏には、不動明王を安置する奥之院があります。


そして、3代目現釈迦堂。


流石、成田山。
建替えの度に立派になって行きます。


さて、本堂ですが、主に護摩祈祷を行う道場で、堂内には四大明王や平成大曼荼羅などが奉安されています。
本堂左右に東翼殿と西翼殿が配置され、1階は護摩祈祷札渡し所、大本堂外陣は、身代わり守りなどのお守り受け場となっています。


西翼殿です。
 
本堂とは、写真右のような感じでつながっています。

奥が本堂、手前が西翼殿です。


そして東翼殿。

どうしてか、いい写真がありません…。

東翼殿の横には、成田山公園の入口があります。

手前のカップルは、ご夫婦でしょうか…。



さて次回は、西翼殿のところから、3代目本堂である現釈迦堂に行く予定です。


そうそう、あなたの行いがいいと、こういう光景を目にすることが出来るかもしれません。

ミス・ティラミス

2008-04-27 | 成田市以外
「監督、可愛い子がいたのでスカウトしてきました」
「どれどれ?」
「この子です」

「ほう。
槍投げの選手にしては、可愛いじゃないか…」

ミス・ティラミス。

ねえ、槍を持った女の子に見えるでしょ?


彼女の出身地は、香取市アイス工房ドルチェです。

2000年成田山散策(大本堂周辺03)

2008-04-27 | 成田関連


今度は、境内の左側を見ましょう。
階段側から、御護摩受付所です。
 

そして御守・御礼受場です。御護摩受付所との間に納札堂があります。
 



正式にはどういえばいいのでしょう。
なにかの本に香堂とあったような…。
うろ覚え(うる覚えは間違いですヨ)ですが、ここでは香堂とします。

私は、他の立派な伽藍より、この香堂に愛着を感じるのですが…。
御本尊の前では神妙な人も、この香堂では「顔が良くなりますように」なんて思わず人間臭さが出るでしょ。
あれがいいんです…。

 

 


この香堂、正式名称はどうなのか、またいつ頃の建立か…。
調べて置きます。

さて、次はいよいよ本堂です。
といっても、写真を掲載しているだけですが…(苦笑)

2000年成田山散策(大本堂周辺02)

2008-04-26 | 成田関連


境内にいれば、否応にでも三重塔の姿が目に付くのですが、聖徳太子堂の後にします。

聖徳太子堂…。
平成4年建立の。新しい建物です。
 

 
右の写真は、堂の裏手から写したものです。
三重塔が見えます。



お待ちどうさまです。
噂の三重塔です。
 
光の反射で読みにくいので、説明文を写しちゃいます。

三重塔(さんじゅうのとう)重要文化財

正徳2年(1712)に建立され、宝暦7年(1757)、享和元年(1801)、安政年(1858)に大改修が行われています。又昭和58年現在の姿に復元されました。
塔の初層内陣には金剛界大日如来の「五つの智慧」をあらわす五智如来(大日如来・※阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)が安置されています。
塔の高さは相輪頂上まで約25メートルで初重の柱、長押(なげし)、台輪等に地紋彫りを、各重の尾垂木(おたるき)の先端の竜の丸彫りで飾り、脇間板壁には十六羅漢の彫刻をめぐらしています。また板軒には雲文を浮彫りにして極彩色を施すなど、江戸時代中期の極めて華麗な塔であります。
昭和56年から58年にわたり漆塗・彩色工事を主体とした保存修理工事を行いましたが、この工事は享和3年(1803)の古文書に書き留められていた漆塗、彩色の仕様をもとに復元されました。
※阿閦如来…あしゃくにょらいと読みます。
閦は、門に人が3つです。

 

 
左下の写真、三重塔のものかどうか自信ありません。
確認して来ます。

 

昭和58年の修復の様子は、こちら↓で確認できます。

文化遺産オンライン建造物修復アーカイブ

文化庁関連のHPで、リンクに許可が必要です。
申し込んでもいいのですが、断られると恥かしいので、みなさん自身で検索して下さい。
地域での検索が可能で、三重塔、簡単に探せます。

千葉沖

2008-04-25 | 成田市以外
海原の写真をお楽しみ下さい…。



千葉沖です。
太平洋です。
釣りに行った時の写真です。


シルバーの棒状のものは、釣竿です。


うねっています。
少しもやっています。

海の上、怖いです。


酔っちゃいそうでしょ。

赤荻の四八馬鹿(成田の昔話)

2008-04-25 | 成田関連
頃は江戸時代、赤穂浪士四七士が討入りを果して後のこと…。


成田市に赤荻(あかおぎ)という地区があります(地図上の赤枠周辺です)。

赤荻が”あこぎ”と呼ばれていた頃のある日、名主の家に役人が来ることになったそうです。

そこでもてなしとしてご馳走を作ることになり、村人総出で準備に取り掛かります。

メニューの一つに、ムキミ(何のムキミかは…。千葉県だからしったかという貝でしょうか。でも貝毒に中って失明したら、武士の一分です)とキュウリを混ぜ、大根おろしをのせる料理があったのですが、あいにく下ろし金が見当たりません。
困った村人は苦肉の策として、大根を噛んで砕いたそうです。

その大根が入った皿を恐る恐る出すと、役人には大好評で美味しい美味しいと食べたそうです。
(もしかしたら、成田山表参道沿いに幸町にある竹細工の藤倉商店さんの大根下ろしはこの話がヒントかもしれません。
竹製で、金属の下ろしと違い、ザックザックと大振りに下ろすようになっています。
それがしゃきしゃきして、また美味しいのです。
古いタイプですが、我が家にもあります)


でも、失礼なことは出来ないもので、皿の一つから大きな奥歯が出て来たそうです。
役人に問いただされた村人は、正直に説明し厳罰を覚悟したそうですが…。






役人は怒るより呆れて村の家の数が48軒だったことから、赤穂の四七士をひねって”赤荻の四八馬鹿”と笑って許したそうです…。



いや~、めでたしめでたし。
いい人でよかった。

2000年成田山散策(大本堂周辺01)

2008-04-25 | 成田関連


仁王門から境内に続く急階段を登ると、いよいよ本堂が見えてきます。

あと、4~5段です。
登り終えると、最初に目にするのはこんな光景でしょうか。

正面が大本堂、右手が東翼殿、左手が西翼殿、そして大本堂手前に香堂があります。
みなさん、お香の煙を顔に当てたり頭に当てたり…。
私は財布に当てるのですが…。

写真、本堂は後で掲載するとして、境内右手から見ていきましょう。

鐘楼があります。
 


見事な彩色です。

そして隣には、一切経堂があります。
 

 

 


深々と頭を下げる信心深い女性がいます。
私が成田に越して来た当時は、堂の中に入ることが出来、台車を回した記憶があるのですが…。
今は、入口に柵があり、入ることが出来ません。
その時願ったことですが、
「宝くじ当たりますように」
未だに実現していません。
やはり、私利私欲を求めるようではダメなのでしょうか…。

※一切経とは?
空飛ぶお不動さま
こちらのサイトが詳しいと思います。
やさしく説く仏教入門→今夜わかるお経のすべて、を見て下さい。


一切経堂の横に下り階段があり、先には成田山仏教図書館があります。

興味深い資料がたくさんありそうですが、まだ入館したことがありません。

続く。

成田の道は、成田山に通ず

2008-04-24 | 成田関連
さあて、秩父から成田に戻って来たわけですが、2000年の成田山にタイムスリップする前に、市街地の案内などしましょう。

地図を作りました。
目を通して下さい。

JRと京成成田駅を中心に、その周辺の様子を描きました。
ほぼ中央のふたつの赤の長方形が、両駅です。
駅の右手にあるは、成田市役所です。
道路は、青が高速、黄色が国道、緑が県道、白抜きは市道です。

で、お気づきと思いますが、道路の所々にに白抜きの数字があります。
これ、交差点番号といい、地図下の交差点番号を起点に反時計周りに①~⑰の番号が割り当てられています。
実際の交差点に、この様に取り付けられています。

写真は、…成田山裏門入口です。

これ、道案内なのですが、成田山へ行く道を教えるために設置されたものだということです。
昔は、初めて車で成田山に来た人が、成田市に入り成田山への道順を聞いたそうです。
で、「2つ目の信号を左に曲がって」、というように説明すると、いまひとつピンと来ない。
ということで、交差点に番号を振って、分かりやすくしたということです。

成田在住の成田通の人に聞いた話です。
成田山や成田市に確認したわけじゃありませんが、信憑性は高いと思います。


でも、これって、説明する人が交差点番号に精通していなければいけないし、カーナビが普及した今、どれほど有効なのでしょうか…。

とはいえ、まだまだ私の様なアナログな人もいるはずです。
もしそういう方が成田にいらっしゃる時は、この地図を利用して下さい。

ちなみに、交差点名をgooの地図で調べました。
名称のない交差点もあるようです。
数字の後がブランクなのは、gooの地図上で名称が確認できなかったものです。
実際に名称がないか、追々現場確認します。

①不動橋
②京成成田駅入口
③成田市役所下



⑦寺台
⑧寺台インター
⑨教育会館前
⑩成田国際文化会館
⑪成田山裏門入口
⑫土屋
⑬郷部
⑭成田警察署前

⑯日赤成田病院前



そうそう。
タイトルの言葉、私の知人がいったものです。
『世界の道はローマに通ず』のパクリです。
はい。

秩父夜祭

2008-04-23 | 成田市以外
今回は、成田から離れて、それも隣県の埼玉県は秩父行きです。

といっても、数年前の話ですが…。



写真のおじさんに、
「秩父の夜祭を観に行かない?」
と、誘われます。
断る理由もないので、お供します。

成田を早めに出て、夜祭の前に長瀞などを回ります。
 



そろそろ秩父入りして、市内見物しようか…。
その前にそばを食べようよ。
そば処秩父でも名の通った

に入り、美味しいそばをたぐります。
脱サラしてそば屋をはじめたというおやじさん、なんとも飄々として味わい深いというか…。
素敵な方です。
そばは、三色もりに天ぷらつけて2800円だった様に記憶しています。
いや、2900円だったかなあ。
しゃもじにひっついた、焼いたそば味噌が印象的でした。
(こいけさんの情報は、”秩父 こいけ”で検索するとたくさんヒットします)

じゃあ、とテクテク西武の秩父駅に行くと、広場では…、

ドンドンドンドン、太鼓がそばでくちくなった腹に響き、いよいよ祭りへの期待が膨らみます。

市内のそば屋もう一軒に寄り、今度こそ本当に腹がくちくなったとそぞろ歩き。
向こうから、賑やかな物音がするので近づくと、なにやら人だかり。

そして路地を曲がると、山車ですよ山車。
それも随分大きな山車です。
もしかしたら、成田の山車より大きいかもしれません。
いや、かもしれないじゃなくて大きい…。

後を憑いて?いくと

木製の道具を出し、何かを始めます。
近くにいた地元の人に聞くと、山車をくるりと方向転換させるというのです。
左手前に立っている人がリーダーなのか、少し離れたところで作業の様子を見ていて、色々指示を出します。
格好良かったなあ…。

秩父夜祭は、秩父神社の例祭ですから、もちろん神社の方に向かいます。
と、この様な光景を目にします。
 
この屋台、板を組み立てると舞台が出来上がったのです。
もしかしたら、歌舞伎をやるのかもしれません。
もう少し見ていようと思ったのですが、別のところで狂言が始まったのでそちらへ移動し見学です。

実は、狂言の写真や、秩父神社の神馬の写真などもあったのですが、お恥かしいことにファイルが見当たりません…


気を取り直すと、

一気に、夜の秩父神社です。


現れました。
提灯たくさんつけて。
それにしても、大きい。

山車同士がギリギリですれ違うようなパフォーマンスもあったのですが…。

それは秩父に行ってのお楽しみ、ということで…。

 

で、私、女性に声を掛けることなどないのですが、お祭りの雰囲気に酔っていたのでしょう…

地元のいなせな?おねぃサン達に写真撮っていい?って聞いたら、ポージングしてくれて…
写真、後でメールしようか?って聞いたら、いらないって…
さすが、現代っ子…(苦笑)
というか、成田の人とメールアドレス交換しても、会えるわけでも飲めるわけでもないし、という実に正直な…。
確かに…。


武甲山の写真や、そのふもとの酒屋さん、寒空に花開く打ち上げ花火なども撮って来たのですが…。
ファイルが見当たりません。
今度は、泊りがけで、じっくり見学したいものです。

秩父は、そばの名所です。
こいけに限らず、名店がひしめき合っています。
はしごも楽しいと思います。
はい。

2000年成田山散策(仁王門02)

2008-04-22 | 成田関連
前の記事だと、何を気取っていると指摘を受けそうです。

では、もうひとつの仁王門を…。


山門から、正月中(1月)の仁王門が見えます。

「この階段は、上がり一方通行なので、ゆっくり登って下さい」
というようなことが書いてあります。

でもねぇ…。

混雑する御水舎です。

なんでしょうね…。
真ん中にいるおじさん、一本足打法の練習ですか?

手を洗って口を漱いだら

ほら登れ~って、お嬢さんたちの元気のいいこと。
そんなに焦らなくても、ご本尊様は逃げていかないのですが…。
でも、気持ち、分かります。

みなさん、大提灯の下をくぐります。


その様子を、横から見てみましょう。


別の、それほど混雑していなかった日ですが

提灯の底を興味深げに見ている、男性がいました。
実は、底に細工が施してあるのです。
写真があったのですが、見当たりません。
写してきて、掲載したいと思います。

みんなでわあっとくぐるのですが

小心者の私は、大提灯が落ちてきはしまいか、などとビビッています。

そして前回段数を数えた階段に行き着くのですが、両脇には池があり、仁王門から右手の池中央にはカメを模した石があり、その上で本物のカメがのんびりと甲羅干しをしています。

その池(石)は、ガメラファンの間では”ガメラ池(石)”と呼ばれているそうです。
私が勝手に作った話ではありません。
ガメラの情報を収集し、皆さんに紹介するサイトを運営する有名な会長さんから頂いた情報です。
この池に硬貨を投じる人がいて、1、5、10円玉があちこちに散らばっています。
で、石の上にお金を上手く乗せられた人は、縁起がいいのだとか…。

みなさん、目指すは本堂ですから、ひぃひぃいいながらも33段の急階段を登っていきます。

ちょっとした天井人になった気分で下を見ると…

こんな様子を目にすることが出来ます。

そしていよいよ、本堂が見えて来ます。

2000年成田山散策(仁王門01)

2008-04-21 | 成田関連
ここは、2000年の成田山・仁王門です。


2月頃だったでしょうか…。
子どもを連れた夫婦が、成田山にお参りに来たようです。


仁王門です。


御水舎で、お清めしましょう。


急な階段です。

「ヨイショ、ヨイショ」
子どもの声が聞こえてきそうです。
おとうさんが、
「頑張れ!」
微笑ましい、光景です。
それを尻目に、おかあさんは先を登っています(笑)

もう1~2段で登り切るという時に一休み。
子どもには、仁王門がこのように見えていたかもしれません。


左を見ると…

そして右を見ると…

中に、誰かいる気配がするので怖々覗いてみると…
「きゃ~~」

な、なんとそこには、怖い形相をした仁王様が2体。
仁王様というと上半身裸で筋骨隆々、口を開いた阿形像は怒りの表情を顕わにし、口を閉じた吽形像は怒りを内に秘めた表情に表わすものが多いそうです。
安置目的は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としてのようです。

そしてその裏手には…

四天王のお二方、多聞天(毘沙門天…左)と広目天…。
多くを聞き、広くを見る。
こんな人がいたら、理想の上司に選ばれそうです。
それに顔が可愛い。
特に広目天(右)、やんちゃな顔してますね。

さて、仁王門をくぐり終えると、目の前には本堂へ続く階段が行く手に立ち立ちはだかっているのです。

この写真では、立ちはだかるほどの急階段には見えませんが、実際はかなりの急勾配です。
こういったところで急な階段が多いのは、ありがたいところにたどり着くにはそれなりの苦労が必要であるということを知ってもらうためと聞いていますが…。
もちろん成田山では、仁王門横になだらかな階段も設けられています。
 

どうでしょう…。
こちらなら少しは急勾配ということが、分かって頂けるでしょうか。
ついでに、段数を数えちゃいました。
33段ありました(ひ、暇人?)。

あっつ、数字の赤は、3の倍数です。
世界のナベアツを真似てみました…。
登る時に、3の倍数のところだけ、アホになって下さい。

続く。