柳谷直明の教育日記

 教育活動の一部を公開しています。啓成中は令和4年3月に閉校。生徒全員が私の授業が楽しかったと! 有難い声でした。

『少年の日の思い出』4時間目,国語授業93時間目

2022年11月24日 16時23分37秒 | 国語授業
 『少年の日の思い出』4時間目,自己課題の解決をいくつか取り上げた。すべては取り上げられなかった。明日,再度自己課題解決を含めて作品批評を書かせよう。
 学習者の振り返りはだんだんよくなる。読んでいて面白い。以下,一部を公開する。明日が公開授業で,5時間目で終了する。更に読みを深めてもらいたい。

 僕は蝶を潰した理由を考えた。僕はエーミールの蝶を勝手に潰したことを謝罪をしなかったのはなぜか考えた。たどり着いた考えとして「ストレスやエーミールへの恨み」であったのではと考えた。

 今日は「少年の日の思い出」の四時間目だった。明日でこの教材は最後だと聞き少し悲しかった。やっと面白さがわかってきた。しかしもう終わってしまう。もっと早く予習をしていればよかった。

 今日は作者の意図について学んだ。「作者は自分をエーミールに置き換えて書いているのかもしれない。」と柳谷先生がおっしゃっていて確かにと思った。そのような考えも面白い。自分ではそこまで考えられなかったから今後取り入れよう。僕とエーミールのように蝶への価値観は違うように他のことでも言えるのではと考えた。文に書いていないことを自分で解釈するのはとても楽しい。自己課題のクジャクヤママユが潰れてしまったときの僕の心情,に対しての解決は罪悪感もありながらもう過ぎたことだからいいかという心情で潰してしまった。諦め。

 エーミールに謝っても呆れられるだけ。自分の中で,「なんで盗んでしまったのか」心の中に問いかけているのではないか。謝罪しに行ったのではなく,ポケットに入れたら羽が破れちゃったことを説明しに行った。しかし,エーミールには「そうか,そうか,つまり君はそんなやつなんだな」と言われてしまった。自分で集めた蝶を,エーミールにあげるといっても「君の集めたやつはもう知っている」と断られた。エーミールに断られた蝶を潰して,エーミールを嫌っている思いや悪い思いを込めながら,一つ一つ潰したのではないか。

 僕の課題,「なぜ蝶を潰したか」について,「僕」は蝶を潰したときは罪悪感や後悔があったと思う。しかし,蝶を潰したとき笑っていたら罪悪感なんてなかったかもしれないと思うと,最後のイラストは意味深だと思った。

 子供は我慢ができない。子供と大人の違いの一つであると思う。この作品はあまりエーミールの心情が書かれていない。そのため,エーミールが不気味な奴と思われるのではないか。今度,エーミール視点の「少年の日の思い出」を読んでみたい。僕はエーミールに謝る気がなかった。僕も不気味だ。この作品はいろいろな解釈ができる。とても面白いものだ。私の自己課題は「僕がせっかく収集した蝶を潰すほど,罪悪感は大きなものだったのか。」だ。僕は蝶を盗んだことに罪悪感を感じているわけではない。僕は,蝶を潰してしまったことに罪悪感を感じている。それがどのようなもので,どれほど大きいかは分からないが,自ら蝶を潰してしまうほど苦しかったのだろう。

 僕はエーミールをとても嫌っていることは知っていたが,非の打ち所がないことを嫌っていた。それが人間らしい。完璧なエーミールを嫌う僕も醜い。母に言われエーミールに盗みを告げに行き言い訳をして帰ってくる,ということは母の言葉は僕にそこまで刺さっていなかったのだろうか。








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