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モデリング♪

2013-09-29 22:31:48 | ブログ 病気
『生きる力は時に奇跡的な物語をつくり出す』
長野県の諏訪中央病院名誉院長・鎌田實氏はそう話す。


現在42歳の杉浦貴之さんは28歳の時にがんを宣告された。
当時は猛烈サラリーマンで、急激な腹痛に襲われて病院に
行くと、腎臓から出血していたと言う。
ありとあらゆる検査を行なったが、原因は分からなかった
そうだ。
症状が治まったため経過観察になり、3か月後再検査をすると
もの凄い速さで腫瘍が大きくなっている事が分かった。
腎がんで、腎臓の外にも飛び出すほど・・・。
しかも一般的な腎がんではなく『未分化原始神経外胚葉腫瘍
(PNET)』と言う難しい病名を告げられたそうだ。
これは子どもの脳にできやすい腫瘍で大人の腎臓にできるのは
珍しいケース。
当時は20ぐらいの症例しかなく、全員が2年以内に死亡と
厳しい事も言われたと。
杉浦さん本人には余命までは告げられなかったが、両親が
呼ばれ『早ければ半年、2年後の生存率は0%』の余命宣告を
受けたそうだ。
0%と言う事は絶対と言う事。
2年後には間違えなくこの世にはいないよ・・・と言うとても
ショッキングな数字だ。
若いから進行が速い。
彼の場合も、わずか3か月間で腫瘍は急激に増殖していた
そうだ。
しかし、彼はがんの宣告を受けても、それほど切羽詰まった
気持ちにはならなかったと言う。
嫌な事は右の耳から入って左の耳へと受け流す事ができる
タイプだったようだ。
彼は、友人ががんになった時、書店で『がんは治る』という
本を読んだ。
自分ががんになったその時に『がんは治る』という言葉だけが
蘇ってきたそうだ。
自分自身のがんが『珍しくて、増殖が速く、悪性度の高い
がん』だと言う事は残っておらず、頭の中は『がんは治る』
と言う言葉だけが広がっていたと。
手術を受け、抗がん剤治療を受けた。
病室では、がんを克服する本と女性のハダカが載っている
雑誌を交互に読みまくったという(;^^
そんな事をしている内、彼は本で読んだ『がんにかかりそれを
克服した人』に会いたくなった。
外出許可が下りると今しかないと思いすぐに会いに出かけた。
『本は読んだだけで勇気をもらえるんですが、本当かなという
疑問もあった。』と彼は言う。
そして『もっと真実を知りたかったので、実際に会いに行こうと
思ったのです』と。
彼ががやってい事は、理論的にいうと『モデリング』という技術で
成功した生き方を真似するのは、人生の生き方だけではなく
がんと闘うときにも有効なのだそうだ。
彼はすでに早い時期から、がんが治ってマラソンを始め、
ホノルルマラソンを走るという事をイメージしていた。
この後、杉浦さんは『メッセンジャー』というがん患者のための
雑誌を作って編集長になり、80人近いがん患者を連れて
ホノルルマラソンに参加している。


このモデリングは重い病気に勝つためにはとてもいい方法
だったと思うと鎌田氏。
その上、好きな人と一緒にマラソンを走ると、勝手にイメージ
したら、本当に好きな女性を射止めて結婚までしてしまった
そうだからすごい!。
28歳の時に余命半年と宣告された命が、42歳の今でも
元気だ。
その成功した理由が、モデリングというイメージ療法にあった
事は否定できないと鎌田氏は言う。
モデリング・・・良いね。
私もいつも元気な自分・満たされた気持ちの自分・成長した
Nちゃんの姿等をイメージする。
布団に入ってすぐ眠れないのでこういう事をイメージして自然に
眠りにつくのを待つ事が癖になっている。
誰に習ったわけでなく気付いたら自然にやっていた事だが
鎌田先生の文を読むと、7年間頑張れているのはこれが
良かったのかなと・・・思う(0^-^0)



コメント
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