少女たちに魅せられて

主にプリキュアとラブライブの感想や考察を挙げていきます

Hugっとプリキュア考察 〜1年間を振り返って(最終回後)

2020-12-05 14:43:36 | Hugっとプリキュア考察

〜永遠の花園

 

まずクライの目指した

花咲き乱れる理想の王国

これはやはり死の世界だったのだと思う

まず永遠というワード

かつてのプリキュア映画のテーマではあるが

実際には生の世界に永遠はない

そして元社員フレンズが

ネズミさんたちと戦ったときの言葉

 

「生きてさえいれば何度でもやり直せる」(47話)

 

という生の肯定

一度明日を否定した彼らがこれを言ったことには

非常に大きな意味がある

そして決戦のあとのクライの言葉

 

「夢を見ていたのは、ぼくの方だったのかも

 しれないな、永遠など…」(48話)

 

と未来へ進む覚悟を決める直前に

永遠を否定している

つまり永遠とは生の否定

死の肯定だったのではないだろうか

それが野乃花との和解を難しくした

次にそれをみていく

 

 

〜野乃花の矛盾

 

彼女の目指すかっこいいお姉さん

それは自分で決めるのだと彼女は言い切った

だがそれは決して楽な未来ではない

クライとのこんなやり取りもあった

 

「はぐたんが来てくれて大勢の人と出会えた

 すごい人ばかりだなって

 けどそんな人も迷いながら生きてる」

 

「そうだ、生きている限り苦しみは続く」

 

「そうだね、生きるって苦しい

 思い通りにならないめちょっくなこと

 いっぱいある

 でも、だから私は応援したい

 フレフレその気持ち一人じゃないって

 抱きしめたい」

 

「きれい事だ!真っ直ぐに希望を語る

 君のことを人は冷笑するあざ笑うばかにする」

 

「それでも、たとえばかにされたって

 そんなの夢だって笑われたって、傷ついたって

 私は何度でも立ち上がる

 立ち上がってみんなを応援する

 なんでもできる、なんでもなれる 

 フレフレみんな、フレフレ私

 これが、これが私のなりたい

 野乃花だー」(以上48話)

 

この場面で私は野乃花を崇め奉る

ことに決めたわけだが

よく考えるとこれは非常に悲しい

彼女は以前なぜ自分を傷つけてまで戦うの?

という問いに対して

みんなの笑顔が好きという答えを出していた

だがそのための戦いなのにも関わらず

彼女を待ち受けるのは孤独かもしれない

それも覚悟の上でみんなを応援するという

だが彼女はその後こうも言っている

 

「一人じゃ未来は育めない!」(48話)

 

この大いなる矛盾

みんなに未来を育んでほしいから応援する

だが彼女は…?

究極の自己犠牲である

私には応援しかできない

それが私にしかできない応援になった

だが同時に一人では未来を育めないのである

 

 

〜信じること

 

ビシンに明日を夢見る理由を問われた時

トラウムはこう答えた

 

「愛に気づいたからだ」

 

そしてそんなものは幻想だという主張に対し

 

「そうだ、だからこそ

 信じなければ愛は見えない」(以上47話)

 

と答えた

未来を語る上で信じるというのは

重要な役割を果たすようである

また野乃花とクライとのやりとりには

こんな場面もあった

 

「夢を見るのはけっこう

 だが叶わぬ夢はきれい事だ」

 

「きれい事でもいい

 それでもみんなで明日を信じれば奇跡が」

(以上48話)

 

ここでも信じるということが

重要な要素として挙げられている

愛も奇跡も信じることで生まれるのである

そしてその愛と奇跡の関係が最もよく表れたのは

ルール&エミルの変身の場面だろう

 

「どれだけ計算しても答えが出ない

 分析不能、でも信じる、奇跡を」(20話)

 

そして愛のプリキュアが誕生した

またその後ルールーはえみるにこうも言った

 

「誰かを愛する心、大切にする気持ち

 素晴らしいことなんだと伝えたい

 これがあなたと出会えた奇跡が

 私にくれた夢です」(41話)

 

なんとも素晴らしい言葉である

信じるから愛が見える

愛があるから奇跡が起きる

奇跡があるから夢が生まれる

そして夢は新しい奇跡や愛を生む

だが少なくとも信じなければ何も始まらない

信じることは奇跡への第一歩なのである

 

「奇跡はいつでもすぐそばにあるのよ」(20話)

 

野乃母の言葉である

 

 

まとめ

願っても世界は変わらない

そう信じるクライと

みんなの想いが合わされば

未来は変わると信じるプリキュア

だが奇跡を起こす第一歩は信じることである

どんなにめちょっくで辛いことがあっても

信じることをやめてしまえば

奇跡は決してやってこないのである

 

 

Hugっとが訴えたのは誰にでもできること 

だからこそそれをやめてはいけない

今を生きる私たちにそんなことを

教えてくれる作品であった


Hugっとプリキュア考察 〜最終決戦を前にして(47話時点)

2020-12-04 09:51:42 | Hugっとプリキュア考察

次回はいよいよ野乃花の誕生日

そして世界の命運をかけた戦いが始まる

 

 

ドクタートラウムはクライという男

についてこう語った

 

「君たちの幸せの前に

 あの男はきっと立ちはだかるだろう

 いや、彼の幸せの前に

 君たちが立ちはだかっているのか

 一言でいうと何もしない男なんだよクライは」

 

「彼はただ我々を見つめている

 深い絶望に染まった目で」(以上46話)

 

そしてクライ自身の言葉

 

「ぼくは皆を救いたい、破滅へ向かう前に

 人類が生まれ命を持つこと

 それは悲しみ、悪いことなんだ」(46話)

 

「希望を持つことは残酷

 望まぬ未来を前に

 人は歩みを止めてしまう」(47話)

 

 

以前から書いているように

彼が目指すのは人類の幸福である

そこについては野乃さんと何も変わらない

だが彼にとって人類は愚かな存在であり

未来とは破滅へつながる道でしかないのである

だからその道を絶ちたい

それが彼の願いである

 

 

この考えを完全に否定することは難しいだろう

未来は確かに自分の思うようにはならないし

命が有限である以上、終末に対する恐怖も

拭うことはできない

未来も幸せも永遠には続かない

そう考えると時を止めるというのは

人間にとって幸せなことなのでは

とさえ思えてくる

 

 

野乃花にも言い分はある

はぐたんの成長に喜びを見出し

未来を愛おしいと感じたり

ハリーもまた暗い過去を背負いながら

それを受け入れ未来へ進むことに決めた

未来へ向かっていけば

いつかきっとそれは思い出に変わるから

 

 

そしてどちらの考えが正しいのかを

考えることは結局のところあまり意味はない

未来に希望を持つ人間は

クライの考えは理解できないし

未来に絶望する人間は

野乃の考えを受け入れられない 

両者の和解の道はクライが希望を持つか

野乃が絶望するかしかないのである

 

 

人間にとって未来を信じるとは

どういうものなのだろうか

その先が決して明るいものでなくても

それでも守らなければならないものなのだろうか

希望を持つ意義

それを考えたとき

赤毛のアンのある言葉が頭に浮かんだ

 

「何かを楽しみにして待つということは

 その嬉しいことの半分にあたるのよ

 本当にならないかもしれないけれど

 でも、それを待つときの楽しさだけは

 間違いなく自分のものですもの」

 

未来を信じて前へ進むことは

それだけで価値のあること、楽しいこと

それをこの言葉は伝えてくれる

 

 

人生はうまくいかないことも多いし

常に希望が見出せるとも限らない

だがそうはいっても

じゃあ今日から生きるのやめよう

とはならないわけで

現実世界において時を止めることはできない

私たちがいくら未来に絶望しようとも

プレジデント・クライにはなれないのである

 

 

そうであるならば私たちに残されたのは

野乃花的な生き方

暗い過去があっても劣等感を持っていても

他者、そして自分自身の幸せを願い応援する

それが幸せに最も近い生き方なのではないだろうか

 

 

そのような生き方ができているかと

問われれば私自身できているとは言い難い

どちらかといえばクライの思考に近いとさえ

言えるかもしれない

だが野乃花への憧れ

未来を信じる気持ちを愛おしいと感じる心

それだけは忘れてはならないと思う

嫌でもこの先未来を進んで行かなければ

ならない人間として

 

 

だからとりあえず私は

自らの誕生日に私たちの未来を守るため

たった一人で敵に立ち向かう野乃花という少女を

テレビの前で全力で応援しようと思う


Hugっとプリキュア考察 〜仮説が覆されるかもしれない件(45話時点)

2020-12-03 14:34:01 | Hugっとプリキュア考察

以前私はアスパワワは未来の肯定である

という仮説をたて、一人で興奮していた

だがこの回でプレジデント・クライは

それをひっくり返し得る発言をしてきた

今回はそんなことについて記しながら

彼らに対する疑問を整理していきたい

 

 

クライの言った余計な言葉がこれである

 

「白く白く、けがれない世界を作ろう

 世界がアスパワワに満ちている

 この幸福の中で、皆の笑顔を永遠に」(45話)

 

彼が急にアスパワワを肯定しだしたのである

だが時間を止めると直接は言ってないにせよ

彼の言う永遠は時間を止めることであることは

今までの経緯や周りの発言から明らかである

 

 

時間の肯定が起こる世界のまま

時間を止めてしまう

そんなことはあり得るのだろうか

時間の否定は未来への絶望からの逃避

そんな消極的幸福だと私は捉えてきたが

クライの目指す世界はより高次の幸福らしい

 

 

だがアスパワワを敵が肯定するのであれば

プリキュアと戦う理由はなくなってしまう

ただし彼がプリキュアに対して

必ずしも敵対心を抱いていないことは

特筆すべきだろう

例えばキュアエールに対しては

こんなことを言っている

 

「また未来が変わった

 何という凛々しい心、けがれなき魂

 まるでマザーのようだ

 キュアエール、ともに終わらぬ永遠を」(42話)

 

このようにクライはプリキュアが

未来さえも変えてしまうことに気づいており

そのことに感動すらしているのである

時間を止めてしまえばそんな奇跡も

起こり得ないのにもかかわらず

 

 

次回クライさんが動くらしい

私はこう言いたい

なぜ来週のプリキュアは休みなのか

アスパワワが奪われるではないか

もしかするとこれもクライアス社の

策略なのかもしれない

そんなわけで絶対絶命なプリキュアたちは

この危機をどう乗り越えるのだろうか


Hugっとプリキュア考察 〜というか輝木ほまれを崇め奉る回(43話時点)

2020-12-02 09:52:16 | Hugっとプリキュア考察

こんなに美しい恋を私は他に知りません

そして私のような若輩者がそれについて

語るのもおこがましいので

ただただほまれさんを褒めまくります

 

 

まずこの恋について簡単に

説明させていただきますと

ほまれさんがねずみさんに

恋をしたということです

ですがこのねずみさんには他に

想いを寄せている人がいた

しかもほまれさんは一度そのねずみさんの心に

入り込んだことがあるので

そのことには気づいていました

でも、それでも好きなんです!

恋は理屈じゃないんです!

大会前なのに試合に集中できない

そんな彼女がとった行動

それが試合直前にねずみさんに告白するでした

なんたる勇気でしょう

そのシーンがこちらです

 

「ほんとに優しいんだから…

 なんでだろう、あんたといると

 全然うまく喋れないし

 喧嘩しちゃったりそんなのばっか

 なのに、あんたが好き

 (ここで目に涙をためてます)

 輝木ほまれはハリーのことが大好きです」

 

「すまん、俺はお前の気持ちには答えられへん」

 

「未来に帰っちゃうから?」

 

「そやない、俺も気持ちを伝えたいと

 思ってるやつがおる

 それをうやむやにしたまま 

 お前の気持ちには答えられへん

 ごめんな」

 

「ありがとう、すっきりした

 正直に言ってくれてサンキュー

 最高のスケート滑るから見てて」

 

「ほまれ、がんばれよ」

 

なんて美しい告白でしょうか

彼女はハリーと別れたあと

お友だちの前で涙を流していました

無理だとわかっていたけど

本気の恋だったんです

でも最後に彼女は言います

 

「星を掴むために、私はとぶ」

 

かっこよすぎます

これが失恋した直後の

中学生の言葉でしょうか

なんて成熟した心でしょう

 

 

そして彼女は大会に臨んでいく

滑りながら彼女は思います

 

「不思議、すごく集中できる

 バラバラになっていた心が

 一つになったみたいに

 ずっと思ってた、片思い

 叶わない恋に意味はあるのかなって

 でも、きっとあった

 ドキドキした気持ちも

 胸がキューっとなって流した涙も

 いま、私の心で輝いている

 フレッフレッ私!」

 

そして彼女は4回転ジャンプを成功させ

見事優勝を飾るのです

恋、しかも失恋を力に変える

それを忘れるためではなく

失恋を受け入れ、自分を受け入れ

成長を遂げたんです

 

 

クライアス社にもハリーさんに恋した

別のねずみさんがいます

(ハリーさんもてもて)

彼はこう言っていました

 

「悲しいのも寂しいのも嫌

 ぼくを大切にして

 永遠にそばにいてくれたら

 ハリーの心なんてどうでもいい」

 

ほまれさんを見たあとだと

もうなんか哀れみの感情まで

生まれてしまいます

この回は別に戦闘いらないと

思うのですがノルマなので

彼がプリキュアと戦いました

その時失恋したほまれさんに

彼はこう言います

 

「強がるなよ!

 お前はもう明日なんていらないと

 思ってるんだろ?」

 

それに対してほまれさんは答えます 

 

「私は、自分の大好きな人の幸せを

 輝く未来を願っている

 だから、時間を止めたいなんて

 いけてないこと思わない!」

 

最後まで素敵すぎるほまれさんでした

 

 

Hugっとの中で1番感動した

回だったような気がします

ほまれさんだけじゃなくてハリーさんも

自分の心に正直でした

ハリーの想い人は今赤ちゃんの姿で

(ご存知はぐたんです)

もとの姿に戻る保証も無いのですが

それでもほまれさんに対して

うやむやな態度をとらなかった

自分の心に正直に行動した女性に対して

正直な態度で答えたのです

そしてその気持ちには答えられなくても

ほまれさんの滑りを誰よりも全力で

応援していました

大好きには答えられなくても

気持ちだけは確かに受け止め

自分にできる最大限の応答をした

なんてかっこいいのでしょうか

私も彼らを見習いたいものです

(でも推しはさあやさんとルールー)


Hugっとプリキュア考察 〜クライアス社の疑問と気づき(39話付近)

2020-11-30 08:20:16 | Hugっとプリキュア考察

アスパワワ

それは人々の未来への希望

笑顔の根源のはずである

だがそう考えるとジョージ・クライの

皆が笑顔のまま暮らすために

トゲパワワの力で時間を止めるという思想に

どうしても違和感を感じてしまう

なぜならトゲパワワは明日への絶望

したがって笑顔など生まれるはずが無い

そんなことをぐるぐる考えるうち

私はあることに気がついた

アスパワワへの理解が根本から

間違っていたのではないかという事に

今回はそれについて記述する

 

 

アスパワワは未来への希望

名前から考えてもそれは当然だろう

だが思い出してほしい

ハリーたちはなんの力で

過去の世界をやってきたのか

そう、ハリーは確かにこう言った

こっちの世界に来るには

ごっつい量のアスパワワが必要だと

アスパワワは未来への希望なのに

なぜそれが過去に戻る力になるのか

そう考えたとき私の心に

一つの流れが浮かんだ

 

 明日への希望

→明日が来てほしい

→時間の肯定

 

そう、アスパワワを時間に対する

ポジティブな感情と定義すると

ここの違和感がとれる

トゲパワワについても同じである

 

 明日への絶望 

→明日が来ないでほしい

→時間の否定

 

ジョージ・クライは皆が笑顔のまま暮らすために

トゲパワワの力で時間を止めようとした

これまではトゲパワワは未来への絶望と

捉えていたのでこのやり方に違和感を覚えていた

だが今なら納得がいく

アスパワワ=時間の肯定

トゲパワワ=時間の否定

明日への希望や絶望は

それらを生じさせる

あるいはそれによって生じるものに過ぎず

本質的な物ではなかったのだ

 

 

それならば両者の和解の道も見えてくる

笑顔の世界を作るという点では両者の目的は同じ

問題はそこに時間は必要なのかどうなのか

その結論が出たとき、真の笑顔の世界が

誕生することとなるだろう