本ものと云える程の作品を創作する作家には、特殊な生き方が求められます。描こうとする物語を、実際に体験せねばならない。更には体験から昇華された思想的な経験を描くという事であり、不可能の壁を前提とした行為とも云えます。本当の映画作家に共通する素質と云えるかも知れません。ヒッチコックの演技指導は、正に作家のお手本と云えます。
新聞や雑誌のインタビューほど当てにならないものはありません。政治家はもとより、企業家でも、音楽家でも、小説家でも、本音は話さないものです。映画作家を例に取っても、ジョン・フォードやフェデリコ・フェリーニなど、とぼけた冗句で取材陣を煙に巻く表現が多々あります。が、その中でも極め付けの変人がいる。アルフレッド・ヒッチコックが遺した言葉や対談集は、全て冗談、嘘、皮肉、逆説、照れ隠しと捉えると、殆ど辻褄が合います。映画作品も同様。作品が象徴する思想、裏面に暗喩されたモチーフ、決してそうとは表立って云わなかった深い主題に驚きます。それは、連作の中に流れる映画的な技巧、執念とも云える映像感覚と云えるかも知れません。
「興行的な成功だけ考えた。チケットの売上が全てだ」
「観客が怖がればそれで良い。恐怖映画の代表と云われれば本望だ」
「イングリッド・バーグマンが出演すれば、映画の成功は約束されたも同然だ」
そんな商業宣伝的な台詞とは裏腹な名作映画が多々遺されました。映画作法のお手本だという多くの意見は、ヒッチコック技法の核心を見失っています。ヒッチコックの様な作法は、学ぼうとして真似られるものではありません。これしかないという絶対性と、極めて特殊な感性が、連続する映像と編集技術を牛耳っているからです。御本人も、表層の技巧以外誰も追随出来ない作法に、自信を持っていた筈です。ヒッチコックを真似た並み居る映画作家達は、その殆どが個性と感性を破壊され無残な失敗に終わりました。ヒッチコック技法の影響を受けた映画監督で本当に優れているのは…ピーター・ボグダノビッチ…と考え出すと、後が思い浮かびません。勿論、そうとは喧伝なさらない方々の中には名人が多々いる事でしょう。
B級映画という変な形容の為に、当時観客動員力のある大スターを使えなかった背景が多々あります。処がそういう作品程、天才作家のすご腕が発揮されます。「39階段(邦題「39夜」)」「バルカン超特特急」「逃走迷路」「海外特派員」「鳥」「マーニー」などを最高傑作と見做すのは、間違っているでしょうか。後に「チップス先生さようなら」でアカデミー賞主演男優賞を受賞した「39階段」のロバート・ドーナットも、「バッファロー・ビル(邦題:「西部の王者」)」の怪演で有名な「海外特派員」のジョエル・マクリーも名優中の名優です。ローレンス・オリビエ、イングリッド・バーグマン、レイ・ミランド、グレース・ケリーなど、既に名声を博していた大スターが作品の完成度に合致すると、興行的にも大成功となりました。「レベッカ」「白い恐怖」「汚名」「ダイヤルMを廻せ」など、御本人が過小評価する作品でさえ完成度が飛び抜けています。
「サイコ」「疑惑」は、狂気の本質を描いています。「引き裂かれたカーテン」「救命艇」「舞台恐怖症」「ハリーの災難」などは実に粋な映画でした。逆に、ヒッチコックが気に入っているとされた「北北西に進路を取れ」「めまい」「知り過ぎた男」「見知らぬ乗客」などは、興味を引く点に於いても、面白さも、興行成績も抜群でしたが、他のヒッチコック映画の完成度に比較するとやや劣って見えます。それは、主役を演じる男優に存在感が足りなかったからでしょう。確かに、ケーリー・グラントもジミー・スチュワートもうまい。が、他の名作群に比べると、やや老いて迫力に欠けていたのです。が、そういう場合でさえ、悪役を演じた名優の存在感に感銘を受けます。クロード・レイン(「カサブランカ」の名優)、ロバート・ウォーカー、ジョセフ・コットン、ジェームズ・メイソン、女優ではキム・ノバックなどがいますが、往年のミュージカル・スターであるジャネット・リーが盗人で敢えなく殺される「サイコ」などは、キャスティングだけでも抜群のセンスを感じます。
歴史に遺るであろう最高傑作は、映画藝術的な完成度で総合判断すると…「レベッカ」「サイコ」「鳥」「海外特派員」「私は告白する」「パラダイン夫人の恋」「ダイヤルMを回せ」「白い恐怖」「逃走迷路」「マーニー」「39夜」…かな。この選択は非難ごうごうとなるでしょう。が、興行成績やファン投票などに拠って高く評価された作品には同調出来ない映画技法上の観点があります。欠点という訳ではありません。「ヒッチコックにしては完璧と云えない」と云う、ヒッチコック映画を基準とした分析です。現代名監督といわれる映像作家より格段に優れており、戦後の作品で一流と云えないのは「トパーズ」一作だけでしょう。が、エンディングのミスを除けば、アカデミー賞に名を連ねる作品群より優れています。役者諸氏の名演技も脚本の流れも決して駄作とは思えません。重病で体調が悪く、時間に追われ編集したと伝わる「トパーズ」でさえ、凡庸な監督の及ば得ない技巧が随所に観られます。
まるで、怖がりで小心者の様に自虐的に語った記録が多々遺されました。これ以上ない図太い神経の持ち主ゆえ、全部芝居掛かりの台詞の様に思えてなりません。ヒッチコックは、役者に演技させるのを嫌ったとも伝わっています。これも事実とは云えません。この皮肉で冗談ばかり云う虚言癖の名監督は、名優の名演技を誰よりも望んでいた筈です。特に難しい演出術は、役者に登場人物の心理を叩きこむ特殊な方法です。一例を挙げれば。「レベッカ」の女主人公でしょうか。前半は、おどおどしている。が、後半になると毅然として夫を援けようと変身する。主演女優は、撮影が始まると皆から無視されました。ヒッチコックの命令で、彼女が不安になる様に仕向けられたのです。後半は、逆に自信を与えられました。「鳥」と「マーニー」でパワハラ、セクハラと社会的な非難を受けたヒッチコックですが、被害者と云われる女優の過剰反応かも知れない。どちらの役も、恐怖と不安を描く役処だったので、撮影中に特殊な心境に追い込まれた演出意図があった事は、ほぼ疑いの余地がありません。こういう事は映画製作では日常茶飯事であり、名作ほど役者諸氏に同情を禁じ得ない作為が多々存在します。しかしながら、犯罪とは異なる正しい見地で映画創作の困難を理解する姿勢も大切ではないでしょうか。
御本人が既に亡くなっているゆえ真相は闇の中ですが、御存命であったとしても本音は決して語らなかったでしょう。そこが、ヒッチコックのヒッチコックたるゆえんであり、他の映画作家とはかなり異なる人物の大らかな魅力があります。確かに云える事は、厳格で妥協しない完全主義の映画作法。その反対に、常に相手の立場で物事を考える優しい人柄であったという奥ゆかしい人物像です。記者会見の記録を読むと、ヒッチコックの観点を理解し得ない場合には、相手を傷付けまいとする深淵な配慮を感じます。
後は、そうですね…完璧に人をおちょくっている悪戯好きで洒脱な精神と云えるかも知れません。「ヒッチコックの映画術」と云う対談集がありますが、本音は語っていない。事実に反したジョークだらけなのです。対談の相手は崇拝者のトリュフォー氏だったので、相手の思惑に合わせたのでしょう。「どうせ、こんな説明をしても理解出来まい」という本音が、妥協したさりげない話術の中に溢れています。どこが本音でどこが演技なのか見破りながら読むと、実に面白い本と云えるかも知れません。