せっかくなので、草薙神社について調べてみました。
結果、ド壺にはまってしまいましたわ。
草薙神社、草薙の剣、日本武尊、どれを探ってもすごいところにいきつくのですねえ。
もともと、日本武尊自身が実在しているかというのもよくわかっていないのですから。草薙の剣も諸説あり、一応わかりやすいところを後ほどリンクしておきますね。
まずは神社の門から
そして正面の社殿
社殿の格子が他では見ないような格子のように見えます。
いつ建立したのか、調べてみたのですが、「景行53年9月20日」となっています。
さて、景行53年って、いつなんでしょうか。第一、景行天皇って聞いたことがありません。
古事記によると、景行天皇は12代天皇で、日本武尊のお父さんになるそうです。
景行天皇にまつわることは→こちらをどうぞ。え~~~、目がちかちかしますが…
リンク先の下の方に日本武尊のことも書かれています。
景行53年は西暦123年になるようです。
さて、もしかして草薙の剣ってここの宝剣になっていると聞いていたのですが、今は(というかとっくの昔に)熱田神宮に納められているそうです。
草薙の剣があるかないか。もともと実在しないものだとか、3種の神器の一つであり、そのため平家滅亡のおり壇ノ浦の海底に沈み、今あるものは、いわゆるレプリカであるとも言われています。
歴史的にもともと熱田神宮にあるべきものとして、46代天武天皇の命に寄り熱田神宮に俸祀されたことになっています。と言う訳で熱田神宮にいけば見れるのでしょうか?
熱田神宮のHPで宝物を調べてみましたが、公開されている宝物の中にはありませんでした。→こちら
そして、熱田神宮の歴史では、686年に草薙の剣はおさめられたことになっています。
けれども、草薙の剣の写真などは公開されていません。
でもって、さらに調べてみました。
そもそも草薙の剣があったのかどうかですよね。
諸説いろいろあって、よくわかりませんが、日本最古の剣であったことは間違いないようです。→こちらがわかりやすいかと思います。(といっても、こちらもやはり目がちかちかします。)
上記のリンク先ではいわゆるまっすぐな剣としていますが、中には、形がヘビのような形をしていて、そこからやわたの大蛇の伝説が出来たのではないかとする説もあるようです。草薙ももともと匂いの臭、なぎはヘビを表している。つまりヘビの形をしたもので、嫌なもの(忌み嫌うもの)を退治したと言う意味ではないかというのです。日本武尊が火から逃れたのは焼津ではないかという説もあります。(焼津市は静岡市の隣ですから、近い場所です)
どんな形は、一見は百聞にしかずですよね。
ところが、熱田神宮では神官の人も見ることのできないものだそうで、江戸時代に見た記録というのがあるだけだそうです。
もし、本当に実在のものであれば、2000年の歴史って事ですよね。
そして、この宝剣の盗難事件というのも実際あったそうです。
この盗難事件もあったとかなかったとか…。(写真は別の神社のものです)
実はこの宝剣は天皇家が持っているという説もあるそうな。
もうひとつ、思いがけないことがわかりました。
それはこの近くに(草薙からも登っていけます)日本平(にほんだいら)というところがあるんですが、小高い山になっています。
山なのに、なぜ平(たいら)しかも日本なんてついているんだろうとは思いながらも、地元にいるとそういうものとして、たいして疑問にも思わず、日本平は日本平よなんて思っていたんですが、
日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの山に登って、この地を見降ろしたことからきている名前なんですって!日本は「にほん」ではなくて「やまとたけるのみこと」の「日本」だったんですね~~~。びっくりですわ。
あや~~、これだけでこの記事一杯になってしまいました。
古事記、日本書紀なんて、遠い遠いもの、ただの昔話と思っていましたが、いやあ~~。身近なところにあったんですね~~~。
結果、ド壺にはまってしまいましたわ。
草薙神社、草薙の剣、日本武尊、どれを探ってもすごいところにいきつくのですねえ。
もともと、日本武尊自身が実在しているかというのもよくわかっていないのですから。草薙の剣も諸説あり、一応わかりやすいところを後ほどリンクしておきますね。
まずは神社の門から
そして正面の社殿
社殿の格子が他では見ないような格子のように見えます。
いつ建立したのか、調べてみたのですが、「景行53年9月20日」となっています。
さて、景行53年って、いつなんでしょうか。第一、景行天皇って聞いたことがありません。
古事記によると、景行天皇は12代天皇で、日本武尊のお父さんになるそうです。
景行天皇にまつわることは→こちらをどうぞ。え~~~、目がちかちかしますが…
リンク先の下の方に日本武尊のことも書かれています。
景行53年は西暦123年になるようです。
さて、もしかして草薙の剣ってここの宝剣になっていると聞いていたのですが、今は(というかとっくの昔に)熱田神宮に納められているそうです。
草薙の剣があるかないか。もともと実在しないものだとか、3種の神器の一つであり、そのため平家滅亡のおり壇ノ浦の海底に沈み、今あるものは、いわゆるレプリカであるとも言われています。
歴史的にもともと熱田神宮にあるべきものとして、46代天武天皇の命に寄り熱田神宮に俸祀されたことになっています。と言う訳で熱田神宮にいけば見れるのでしょうか?
熱田神宮のHPで宝物を調べてみましたが、公開されている宝物の中にはありませんでした。→こちら
そして、熱田神宮の歴史では、686年に草薙の剣はおさめられたことになっています。
けれども、草薙の剣の写真などは公開されていません。
でもって、さらに調べてみました。
そもそも草薙の剣があったのかどうかですよね。
諸説いろいろあって、よくわかりませんが、日本最古の剣であったことは間違いないようです。→こちらがわかりやすいかと思います。(といっても、こちらもやはり目がちかちかします。)
上記のリンク先ではいわゆるまっすぐな剣としていますが、中には、形がヘビのような形をしていて、そこからやわたの大蛇の伝説が出来たのではないかとする説もあるようです。草薙ももともと匂いの臭、なぎはヘビを表している。つまりヘビの形をしたもので、嫌なもの(忌み嫌うもの)を退治したと言う意味ではないかというのです。日本武尊が火から逃れたのは焼津ではないかという説もあります。(焼津市は静岡市の隣ですから、近い場所です)
どんな形は、一見は百聞にしかずですよね。
ところが、熱田神宮では神官の人も見ることのできないものだそうで、江戸時代に見た記録というのがあるだけだそうです。
もし、本当に実在のものであれば、2000年の歴史って事ですよね。
そして、この宝剣の盗難事件というのも実際あったそうです。
この盗難事件もあったとかなかったとか…。(写真は別の神社のものです)
実はこの宝剣は天皇家が持っているという説もあるそうな。
もうひとつ、思いがけないことがわかりました。
それはこの近くに(草薙からも登っていけます)日本平(にほんだいら)というところがあるんですが、小高い山になっています。
山なのに、なぜ平(たいら)しかも日本なんてついているんだろうとは思いながらも、地元にいるとそういうものとして、たいして疑問にも思わず、日本平は日本平よなんて思っていたんですが、
日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの山に登って、この地を見降ろしたことからきている名前なんですって!日本は「にほん」ではなくて「やまとたけるのみこと」の「日本」だったんですね~~~。びっくりですわ。
あや~~、これだけでこの記事一杯になってしまいました。
古事記、日本書紀なんて、遠い遠いもの、ただの昔話と思っていましたが、いやあ~~。身近なところにあったんですね~~~。
日本武尊といえば、弟橘媛の悲劇を思い出します。
私の在住地は守谷市ですが、守谷という名は日本武尊がこのあたりを通ったとき、この地が森に覆われているのを見て、「森なる哉」といったことによるとか。「森哉」が「守谷」になったそうです。